14 『ティア・ローズ・クラリス・シャリエール』
降り続く激しい雨が、次々とティアに打ち付け体温を奪っていく
ケータを追って馬車を飛び降りたため、体は痛いし服は泥だらけだ。
第一王女として生まれ、王宮の中で安全に育ってきたティアがここまでボロボロになったのは初めてだった。
それでも、ティアはぬかるみの中まっすぐに立ち、ケータを傷つけた男たちにまっすぐ向き合った。
「ははっ!どんな増援が来たかと思えば、お嬢ちゃんじゃないか」
男たちは突然割り込んできたティアに一瞬驚いた様子を見せたが、ティアが丸腰の子供だとわかると腹を抱えて笑った。
(いいわ、今はそのまま油断していてちょうだい)
今はケータの怪我を確認することが先決だ。
雨ではっきりとは見えなかったが、おそらく剣を持ったひげ面の男に切られたのだろう。
「ケータ!大丈夫!?」
男たちがすぐに襲ってこないのを確認し、ティアはぱっと倒れているケータの元に駆け寄った。
そのまま、啓太の肩をつかんでゆする。
「……ティア?」
目を閉じたまま、かすれた声でケータがティアの名前を呼んだ。
「そうよ!私よケータ!しっかりして!」
「……」
ケータはもう呼びかけに答えなかった。
「私が絶対助けるわ」
意識を失ったケータに、ティアはそう決意を語りかけた。
(……すごい血ね。早く直さないと)
近くで見ると、ケータの左肩から胸にかけて、生々しい切り傷があった。
今だどくどくとあふれ出す血は、雨に流されてぬかるみの上に血だまりを作っている。
(時間が無いわ)
ぎりっ、とティアは奥歯を噛み締めた。
自分があの時ケータを止められていたら。
それが駄目でも、もっと早く助けに来ていればこんなことにはならなかったはずだ。
「『
ティアの手のひらから出た緑色の光は、ケータの傷口を照らし、出血の勢いを弱めた。
(これだけ血を失ったら、今さら傷口を塞いでも焼け石に水。本格的な治療が必要ね)
この場で本格的な治療はできない。
まずはあいつらを排除するのが先だ。
「……あんた達、覚悟はいいわね?」
ケータを傷つけた襲撃者達への怒りと、ケータを助けるのが遅すぎた自分への怒り。
両方の怒りに肩を震わせ、こぶしを握り締めながらティアは再び襲撃者達と向きあった。
「私のケータを傷つけたあんたたちは、絶対許さない」
自分でもぞっとする程、低い声だった。
顔にかかる雨粒も、じっとり濡れて張り付く髪も服も意識の外に追い出す。
今はただ、あいつらを排除しよう。
「おいおい、お嬢ちゃん。邪魔をするなら容赦はしないぞ」
ティアの怒りに気付いたひげ面の男が、ドスの聞いた声を出す。
「それでいいわ。こっちも容赦しないから」
「子供のお遊びじゃないんだ。後悔するなよ?」
そう言うと、男はティアに剣を向けたまま、ゆっくりと歩み寄ってきた。
まるで、そうすればティアが恐怖で逃げ出すと思っているかのように。
すっと、ティアは右の手のひらを男に向けた。
「なんだ、それ?そんな空っぽの手で何ができるって――」
「『
男の体に手の照準を合わせ、ティアが叫んだ。
その瞬間、周囲一帯の風がティアの手のひらに集まってきた。
風は手のひらの上で塊となって渦を作ると、そのまま暴風となってひげ面の男を襲う。
「ぐぇっ」
猛烈な勢いで吹き飛ばされた男は、そのまま馬車にぶつかった。
森に響くような『ごきっ』という音を残して、男はそのままだらしなく地面に伸びた。
「次!」
ティアは手のひらを残る二人の内、くたびれた女の方に向ける。
「ま、魔法!?」
一瞬の出来事に固まっていた女は、ティアの手をみてじりじりと後ずさった。
「次はどっちが来るの?」
ティアは手のひらの照準を残る二人に、交互に合わせる。
「……その魔法、まさかアンタ」
女はそう呟くと、腰の短剣を抜いた。
女の横で、もう一人の男も剣を抜く。
「降伏してくれたら、見逃してもいいわよ」
ケータを傷つけた男は倒した。残る二人にはそこまで恨みはない。
「こっちもプロだからね、そういうわけにはいかないのよ」
恩情から差し伸べた手は、振り払われた。
「それなら仕方ないわね」
そう言ってティアは帽子を脱いだ。
薄もやの森の中でも輝きを放つ、豊かな金髪が解き放たれる。
「あ、アンタやっぱり――」
「やっと気づいたのね」
そう言うと同時に、ティアは右手に深紅の炎を発現させた。
徐々に炎は大きくなっていく。
「私はヘリアンサス王国第一王女のティア・ローズ・クラリス・シャリエール。王国の名のもと、あなた達に裁きを下すわ」
きっぱりと宣言したティアの手の上で轟々と燃え盛る巨大な火柱を見て、二人が剣を取り落とした。
ティア・ローズ・クラリス・シャリエールは、その魔法の才より、王室歴代最高の王女と呼ばれている。
魔法が使えること自体は、そう珍しいものではない。
回復系の魔法や運搬系の魔法など、大抵の魔法は習得が簡単なため使い手もそこそこ多く、日常的によく使われている。
だが、魔法はあくまでも生活を便利にするための補助。それが世間一般の常識だった。
他人を攻撃可能な魔法の使い手など、おとぎ話や伝説の中にしかない。
それでも、ティアにはその才能があった。
「『
詠唱と共にティアの手から放たれた巨大な炎は、馬車ごと襲撃者を飲み込んだ。
***
――ぴちゃん、ぴちゃん。
水滴の音が聞こえる。
深い海の底に沈んでいた啓太の意識が、ゆっくりと戻ってきた。
(ここは……)
啓太が目覚めたのは、薄暗い場所だった。天井は岩がむき出しになっている。
(ここは洞窟か? 一体何があったんだっけ……)
まだ重く凝り固まったままの脳で、啓太は自分の記憶を辿る。
(たしか、森に入って、それから追っ手が迫ってきているとニーナから警告があって……)
森に入ってからの記憶を順番に思い出す。
(そうだ、追いつかれそうになって、俺は皆を助けるために馬車から飛び降り。それからあいつらに……!)
左肩をざっくりと切られた時の、あの焼けるような痛みを思い出した。
(そして、確かあの時――)
意識を失う直前。最後に覚えているのは仁王立ちする金髪の王女だ。
「ティア!」
「うーん、むにゃむにゃ。もう食べられないわ……」
存在を確かめようと跳ね起きた啓太は、そこで初めて自分の隣で寝ているティアに気が付いた。
あんなことがあったのに、なんて気の抜ける寝言を言うやつだ。
(やっぱり、あの時助けに来てくれたのはティアだったか)
啓太がまだ生きていて、ティアが隣にいるということは、そういうことだろう。
「ありがとう」
そう呟きながら、啓太は右手で寝ているティアの頭を撫でた。
「んっ……」
「悪い、起こしちゃったな」
ティアはゆっくりと目を開くと、ぼんやりと啓太の顔を見つめてきた。
ややあって、ティアの目がぱっと見開かれる。
「ケータ!よかった!目を覚ましたのね!」
「ああ、おかげさまで」
そのままティアは飛び起きると、啓太に力強く抱き着いてきた。
けが人にも容赦のないやつだ。
「ああ!本当に良かった!ケータが死んじゃったら私……!」
啓太の胸に顔をうずめながら、ティアが言葉を紡ぐ。
「本当に助かったよ。実際、あの時は死を覚悟した」
啓太は無事な方の右腕で、優しくティアを抱きとめた。
「もう二度とあんなことしないでよねっ!」
「ああ、反省したよ」
「ケータは私が召喚したんだから!私のモノなの!今度勝手な事してみなさい?許さないわ!」
「誓うよ。もう無茶はしない。どれだけ自分が無力かは、十分思い知ったから」
あの時の行動は、自分が何としてでも仲間を守ろうとして結果だった。
別に今でもそれが間違っていたとは思わない。
だが、自分がもう少しティアの実力を信じていれば、もっと別の解決手段が取れたかもしれない。
そういう意味では、教訓にすべきだろう。
それからしばらく、すすり泣くティアを啓太は無言で抱きしめ続けていた。
「――で、ここは一体どこなんだ?」
ティアが落ち着きを取り戻したのを見計らい、啓太が訪ねた。
「森の中でみつけた洞窟よ。あなたを治療するために、一旦雨を凌げる場所が必要だったの」
「傷を塞いでくれたんだな。ありがとう」
恐る恐る触れた左肩は、切られたのが夢だったかのように滑らかだった。
「……そうね」
ティアの歯切れが悪い。
「何かあるのか?」
「実はケータに、言わなきゃいけないことがあるの」
顔を上げたティアは、いつになく深刻な顔をしていた。
「実はね、ケータの出血が思ったより酷くて、回復の魔法だけでは助けられなかったの」
「回復の魔法は傷口を塞ぐことしかできない、だっけ?」
「そう。だから、今回は別の魔法を使わざるを得なかったの」
「別の魔法?」
聞き返した啓太の言葉に頷くと、ティアは続けた。
「ケータは実際ほとんど死にかけだったわ。自然回復を待っていられないほど生命力が失われていたの」
「まじか」
「だから、今回私が使ったのは『
「『
「簡単に言うとね、失われたケータの生命力の代わりに、私の生命力を分け与えたの」
何てことだ。
「そんなことして、お前は大丈夫なのか?」
「私は問題ないわ。生命力って言ってもほんの僅かで良かったし。でも、ケータには申し訳ないことをしてしまったわ」
「どういうことだ?」
ティアは、唇の端を噛みながら、言葉を選ぶようにして言った。
「ケータの魂に、私の魂が混ざっちゃったのよ?私がその気になれば、ケータを支配できるの」
何だその吸血鬼みたいな能力は。
「それぐらい別に構わないさ。今までもティアには振り回されっぱなしだっただろ?」
実際、元々ティアに召喚された身だ。別に今さら物理的に逆らえなくなった所で何も変わらないだろう。
「それだけじゃないわ!ケータの魂に私の魂が強く結びついたせいで、たぶんケータはもう元の世界には戻れないわ」
――それは困る。けれども。
「それでもいいよ。助けてもらえなかったら、どうせあそこで落としていた命だ」
口をついて出てきたのは、そんな言葉だった。
自分でも意外だが、元の世界に戻れないと聞いても、動揺は少なかった。
仕事ばかりの生活にあまり未練が無かったのもそうだが――
(なんだかんだ、こっちでティア達といるのを楽しいって思ってたんだな)
「いいの……?」
「ああ、俺はまったく気にしない。だからティアも気にするな」
そんな啓太の言葉を聞いて、ティアの顔がぱぁっと明るくなった。
「け、ケータがそういうなら気にしないわ!さあ、気を取り直してこれからどうするか考えましょう!」
つとめて明るくそう言いながら立ち上ると、ティアは手をかざして詠唱した。
「まずは明かりをつけましょう!『
ティアの手に現れた青白い光が、洞窟全体を照らし出す。
啓太はティアの魔法に照らされた洞窟を、ゆっくりと見回した。
(そこまで広くないな。洞窟の入口は、ここからだと見えないか)
そして視線をティアに戻すと――
「おい、透けてるぞ」
「きゃ!」
雨でぐっしょり濡れたティアは、体に張り付いた白いブラウスから素肌が透けていた。
啓太の言葉に、ティアじゃ慌てて手で体を隠す。
「……見た?」
「布の上からじゃ何にも見えないよ。ほら、これで隠せ」
そういうと、啓太は自分が着ていた上着をティアに放り投げた。
切られた肩のところに穴が開いているが、この際別にいいだろう。
「あ、ありがとう……」
「それにしても『きゃ!』って。前は俺の前でも平気で着替えてただろ?」
「う、うるしゃい!あの時はあの時なの!」
からかう啓太の言葉にティアは顔を真っ赤にしながら、受け取った上着でいそいそと体を隠した。
「き、気を取り直して。これからどうするのがいいと思う?」
上着で体を隠し終わったティアが聞いてきた。
「うーん、まずはクロエ達と合流した方がいいだろうな。ニーナには森の出口で待ち合わせると言ってある。朝になったら出発しよう」
「それがいいわね。でもね、一つ問題があるのよ」
「問題?」
「私達には、馬車が無いわ」
ティアの言う通りだ。徒歩では馬車の二倍以上時間がかかってしまう。
「例の襲撃者達が乗っていた馬車があるだろ?あれならまだあそこに――」
「もう灰になってるかも」
……一体何をしたんだよ
「そ、そうか。それなら徒歩しかないな。でも、朝早くに出発しても日が暮れるまでに森を抜けられる可能性は五分五分だな」
「よ、夜の森を歩くのはやめましょうね?お化けが出たら食べられちゃうわ」
啓太の袖をくいくい引っ張りながら、ティアが不安そうな声を出した。
人間相手にはとことん強気な王女様も、お化け相手にはかなわないか。
(遠回りになるけど、一旦来た道を引き返して森の外に出るか?)
啓太が腕組みして考えこんだその時。
「――お困りの様っすね!」
なんとも間の抜けたような、爽やかな声が洞窟に響いた。
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