13 『森と雨』
「ついて来て」
啓太の耳元でそう囁くと、ニーナは手招きしながらそっと部屋を抜け出した。
(ティアを起こさないように……っと)
啓太は顔の上に載ったティアの足をどけ、啓太の足に抱き着いたティアの両腕を剥がす。
そのままそっとベッドから抜け出すと、真っ暗な廊下に踏み出した。
「はぐれないで」
廊下に出た啓太の手を、ふいにニーナがぎゅっと握った。
「ひぇっ」
いきなりのことに、啓太はついうっかり変な声を出してしまった。だが、ニーナはそんなことはお構いなしに啓太の手を引っ張っていく。
(なんかこう、何も意識されていないのも、それはそれでドキドキするな)
ニーナは宿屋の裏口から啓太を連れ出すと、村から少し離れた丘の上まで誘導した。
宿の裏手から続くこの丘からは村が一望できる。
昼間は活気があった村も、今は明かりがすべて消え、しんと静まり返っていた。
「ニーナ、どうしてこんな所まで来たんだ?」
ニーナが立ち止まったタイミングで、啓太が聞いた。
「宿屋の中だと誰が聞いているかわからない」
たしかに、啓太達の止まった宿屋はお世辞にも壁が分厚いとはいえなかった。
寝静まるまで暫く、シルヴィとクロエのガールズトークがうっすらと聞こえてきたほどだ。ちなみに、内容こそはっきりとは聞き取れなかったが、何度か『ケータ』という単語が聞こえてきた。
「聞かれたらまずい話なのか?」
「そう」
ニーナはこくりと頷くと、さらに声を落とした。
「つけられている」
「俺たちの荷馬車を?」
ニーナは頷いた。
「気づいたのは屋敷を出た直後。かなり距離を取っているみたいだけど、ずっと同じ黒い馬車が後ろを走っていた」
「黒い馬車?気のせいじゃないか?あの街道は一本道だし、たまたま行き先が同じなだけだろ」
啓太の言葉に、ニーナは首を振った。
「ちがう。あの馬車は我々が休憩しているときは止まるし、進んでいる間はずっと進んでいた。いくら何でも不自然」
「……なるほど」
ニーナの言う通りだとすると、確かにそれは怪しいことこの上ない。
啓太は全く気付かなかったが、ニーナはずっとティアの護衛を務めてきた。人一倍こういうのには敏感なのだろう。
「話は分かった。で、追跡者の目的はなんだ?」
「……わからない。でも、ティア様が王女だとばれている可能性もある」
ニーナは深刻な顔でそう言った。
一緒に過ごしているとついつい忘れてしまうが、ティアはヘリアンサス帝国の第一王女だ。狙われる理由なんてごまんとあるだろう。
「ティアが狙われてるのならリスクは取れないな。一旦屋敷まで戻るか?」
「相手の目的がわからない以上、変な行動をとるのは危険。もし情報収集だけが目的なら、こちらがまだ気付いていないフリをした方が安全」
なるほど、ニーナの言葉は一理ある。
「それに、襲撃が目的なら戻っても鉢合わせするから結果は同じ。こちらは荷馬車だし、屋敷まで逃げ切れる距離じゃない」
「そうだな。なるべく自然に見えるよう、計画通りオロンの街まで行った方がよさそうだ。さすがに街に入ってしまえば安全だろうし、いざとなればそこで護衛を呼べばいい」
「賛成。道中は、私が気を付ける」
そう言って、ニーナは腰に差した短剣の柄を撫でた。
「王女様の護衛も大変だな」
「仕事だから」
啓太が地面に腰を下ろすと、ニーナも隣に腰を下ろした。
「ティアの護衛はもう長いのか?」
「もうずいぶん」
膝を抱えたまま、ニーナは月をぼんやりと眺めて遠い目をした。
しばらくして、ぽつりぽつりと口を開き始めた。
「私は、浮浪児だった。物心ついたときから王都の裏路地に住んでいた」
初めて聞く、ニーナの生い立ちだ。
「小さい頃は食べるものすらなく、毎日が死と隣り合わせだった。生きるためには物乞いも、盗みも何でもやった」
「ある日、仲間と一緒に貴族の屋敷に忍び込んだ。だけど見つかって、私だけ逃げ遅れて捕まった」
「そのまま王宮に連れていかれて、投獄されそうになった。だけど、陛下が助けてくれた」
「陛下は私がまだ幼かったため、罪を許すと言ってくれた。そのまま、城に住まわせてもらい、護衛としての訓練をした」
そこまで話すと、ニーナは言葉を切った。
どことなく不安そうな眼が、啓太の顔をみつめる。
浮浪児。啓太のいた現代日本では、まず聞かない単語だが、この世界ではさほど珍しくないのだろう。
きっと、世間からの偏見は啓太の想像を超えるものがあるのだろう。
「そっか、色々大変だったんだな」
啓太が掛けられる言葉はそれぐらいだ。代わりに、啓太はニーナの頭を優しく撫でた。
目を閉じながら啓太に身をゆだねるニーナの顔には、うっすらと笑みが差しているような気がした。
「ありがとう」
そのまま啓太とニーナは、無言のまま月を眺めるのだった。
***
――翌朝。
日が昇ると同時にニーナに起こされた啓太は、横で寝ているティアを起こして(ティアは完全に啓太を抱き枕にしていた)身支度を整えた。
同じくニーナに起こされたシルヴィとクロエと共に、啓太達はまだ薄暗いうちに宿屋をたった。
「もう!どうしてこんな朝早くから出発するのよ!」
御者台の中、心地いい惰眠の途中で起こされたティアは、少しご機嫌斜めだ。
「さっきも言っただろ?今日はこの後森を通らなきゃいけない。森の中で野営するのは危険すぎるから、今日中に通り抜けてしまいたいんだよ」
ぷくぅ、と膨らんだティアの頬を突っつきながら、啓太はそう説明した。
実際、半分は本当だ。夜の森なんてどんな動物が出てくるかわかったものじゃない。
一応、追っ手がいることは啓太とニーナだけの秘密にしている。その方が安全だと、昨晩ニーナに言われた。
「ティアさん、森は怖いですよ~」
横から、おどけた口調でクロエが言った。
「特に、今日これから通るアーテルの森には、怖い動物やお化けが沢山出るって噂です」
「ひぃ!け、ケータ!も、森を通るのはやめないかしら?」
クロエは実に楽しそうだ。
「そんなわけにはいかないだろ。サクッと通り抜けるぞ」
そのまま馬車は、街道を順調に進んでいく。
途中、何度も後ろを振り返りたい欲望にかられたが、我慢した。
先行する馬車に乗っているニーナがずっと柄に手を置いているのを見る限り、追跡者はまだいるのだろう。
こういうのは、気づかないうちはなんてことないのに、一旦意識すると気になって仕方がないものだ。
「見えてきたな。あれがアーテルの森か」
宿を出てから数時間、街道の前方に黒い木々の塊が見えてきた。
「ぶ、不気味ね……」
「そうだな……」
啓太の左腕を握り閉めながら、ティアがかすかに震えている。
黒い森は、啓太ですら背筋にうすら寒いものを感じるような不気味なものだった。
(熊とか出てきませんように!)
そんなことをこっそり祈っていると、
「天気が悪くなりそうですね」
とクロエが話しかけてきた。
追っ手ばかり気にして気付かなかったが、確かにどんよりとした厚い雲が空を覆い始めている。
これはひと雨降りそうだ。
「ケータ!雨が降りそうですから、早く森に入ってしまいましょう!」
先導する馬車から、シルヴィが声を張り上げた。
「ああ!そうしよう!」
二台の馬車は、速度を上げて進む。
ぽつりぽつりと振り出した雨が本降りになった頃、啓太達は森の入口にたどり着いた。
「一旦雨が止むまでどこかの木の下で雨宿りでもするか?」
「いいえ、これはすぐやむ雨ではないです。このまま進んだ方がいいでしょう」
さすが農家の娘といったアドバイスをクロエがしてくれる。
「そうね、この薄暗い森は一刻も早く抜けましょ!」
ティアの言葉に全員が頷いた。
不気味なのは皆一緒だ。
雨にぬかるんだ道を、二台の馬車は再び走り出す。
雨はさらに激しく降り、視界はほとんど失われてしまった。
すぐ前を先行するシルヴィとニーナの馬車すらかすんでよく見えないほどだ。
(ケータ、追っ手が近づいてくる)
唐突に、耳元でニーナの声がした。一瞬驚いたが、これが連絡の魔法だろう。
啓太は、ニーナに向かって脳内で話しかけた。
(森で俺たちを見失ったのか?)
(そうではなさそう。ものすごい速度で近づいてきている。危険)
ニーナの声には緊迫感があった。
(よし、逃げるぞ。お前はシルヴィを守ってくれ。ティアとクロエは、俺が何とかする)
そこまで言うと、啓太は馬に鞭を入れた。雨音にかき消されているが、先導する馬車でもニーナが鞭を入れているはずだ。
「け、ケータ!?どうしたの?」
突然速度を上げた馬車に驚いたティアが聞いてきた。
「どうやら誰かに狙われてるようだ。逃げるぞ」
啓太の言葉に、ヒッ、とクロエが息をのむ音が聞こえた。
「そ、そんなの私が返り討ちにするわ!」
「確かにティアは強い。だが、相手がどれだけ強いかわからない。今は逃げるべきだ」
そう言ってティアをなだめると、啓太は再び鞭を入れた。
360度、雨で真っ白に染まった視界の中、啓太達の馬車はさらに速度を上げて走り続ける。
振り返っても、追っ手が来てるかどうかはわからない。それでも、確かな殺気を背中に感じた。
(ニーナ!)
呼びかけてみるも返事は無い。今は連絡の魔法を使っていないようだ。
(くそっ、街道は一本道だ。こっちが重い荷馬車で走っている以上、追いつかれるのは時間の問題だぞ……)
啓太がそう考えた時。
雨音に交じって、後ろから車輪が泥を跳ねながらぬかるみに轍を作る音が聞こえてきた。
続いて、かすかな馬の蹄の音と息遣い。
「ティア!クロエ!」
手綱を握りしめながら、啓太は二人に声を掛けた。
「駄目だ。このままだと追いつかれる」
「そんなっ……」
クロエが悲痛な声を出した。
「俺が時間を稼いでみる。その間に逃げてくれ」
「ケータ、ダメ!」
「駄目ですよ!」
「あいつらの目的はおそらくティアだろう?俺が出て行ってもいきなり殺すことは無いだろう。うまく言いくるめてくるよ」
そう言って、啓太は手綱をクロエに持たせた。
「クロエ、ティアを頼む」
そこまで言うと、啓太はぬかるんだ地面めがけて馬車から飛び降りた。
「っ……、痛ぇ」
地面に体をしこたま打ち付け、勢いそのままに啓太は地面を転がった。
あっという間に全身泥だらけだ。
「……全く、俺にこんな一面があったなんてな」
ゆっくりと立ち上がりながら、啓太はそう独り言ちた。
脳裏に浮かぶのは、ティア達の顔。
一緒に過ごした時間は短いが、既にティア達は啓太にとって大切な仲間だった。
そんなティア達を傷つけたくない。守りたい。
啓太は街道の真ん中に腕を組んで仁王立ちすると、声を張り上げた。
「俺はここだぁぁぁあああああ!!!」
――その直後、白い景色をかき分けるようにして、真黒な馬車が現れた。
「おいおい、道を塞いでいるのは誰かと思ったら、賢者様じゃないか」
馬車から最初に降りてきたひげ面の男が、顔に薄ら笑いを浮かべてそう言った。
「トレア!クワット!降りてこい!標的を見つけたぞ」
男の声に、馬車の中から二人の男女が下りてくる。
「あら、本当じゃない。一人になってくれるなんて、楽でいいわね」
幸薄そうな女の声に、もう一人の男が黙って頷いた。
(全部で三人。……狙いは俺だったのか)
想定外だった。てっきり、狙いはティアだとばかり思っていた。
(賢者が俺だと知ってるってことは、王国の人間か?)
「自分が狙われてるなんて気づいてなかったって顔だな。悪いが考える時間はやれねぇ」
そう言うと、ひげ面の男はゆっくりと腰の剣を抜いた。
「っく……」
男がじりじりと間合いを詰めてくる。丸腰の啓太には、対抗する手段など何もない。
「……なんで俺を狙ってるんだ!?」
「…悪いな、おしゃべりに付き合う気はないんだ」
そう答えると同時に、男が切りかかってきた。
「っぐ」
横っ飛びでとんだ啓太は、左肩で刃を受けた。
一瞬の衝撃の後、焼けるような痛みを感じた。
(痛い痛い痛い!)
これまでの人生で感じたことが無いような激痛。
泥水の中横倒しになりながら右手で傷口に触れると、温かい鮮血があふれ出てくるのを感じた。
「チッ、よけやがって。そんなことしても苦しむ時間が長くなるだけだぞ」
男はひと払いで剣についた血を払うと、再び啓太に近づいてきた。
俺は、確実にここで殺される。
それは確定事項だ。
武器もなければ魔法も使えない啓太に起死回生の一手などない。
(っ、駄目だ。意識が……)
何とか最後の悪あがきをするため、起き上がろうとするも体は全く動かなかった。
右肩の傷は思ったより深かったらしく、血と共に急速に体から力が抜けていくのを感じる。
いつの間にか、泥水の中に血だまりができていた。
目の裏ががチカチカする。頭の中がぐわんぐわんする。
「終わりだ」
そんな男のセリフを聞いた気がした。
男が剣を振り下ろすのが見えた。
そして――
「待たせたわね!」
透き通るような声と共に、美しい金髪をたなびかせた少女の姿を見た気がした。
その顔はきっと、最高に得意げなのだろう。
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