12 『羊飼いと商人』

 啓太達が屋敷を出てからおよそ半日。

 途中休憩をはさみながらも街道を順調に進んでいるうちに、いつの間にか空がほんのり茜色に染まってきた。


 「見てみて!ケータ!あそこにたくさん動物がいるわ!」


 無邪気に御者台から身を乗り出しながら、ティアがそう声を上げた。

 言われた方に目をやると、白いもこもこした動物が集団で草を食んでいる。


 「あれは……羊だな」

 「羊!?あれが羊なの!?本で読んだことはあるけど、生きているのは初めて見たわ!」


 もっと近くでみられないかしら、とティアは御者台から精一杯首を伸ばした。

 ちなみに、落ちないようにしっかりと啓太の左腕を抱きしめながらである。

 

 第一王女として王都で暮らすティアにとっては、今回の旅の全てが物珍しいようだった。

 王都の外まで旅行することはあまりなかったようで、屋敷を出発してからずっと、珍しい鳥や植物、動物を見るたびに目をキラキラさせて興奮していた。


 「ああ、かわいいわね……」

 「ティア様、羊の毛はとってもふかふかなんですよ」


 啓太の右側から、クロエが優し気に声をかけた。ちなみに、彼女は今日一日ずっと啓太の右腕を抱きしめっぱなしである。


 (これが両手に花ってものか。ティアなんかは、はしゃいでる感じまだお子様だけどな)


 両腕のティアとクロエを交互に見ながら、啓太はそんなことを考えていた。


 「ケータ!ケータ!私、羊を触りたいわ!」


 そのお子様ティアは、クロエの言葉を聞くや一段と輝きの増した目で啓太を見上げてきた。


 「いや、いくら羊でも野生動物にむやみに近づいたら危ないぞ」

 「大丈夫ですよケータさん、どうやらあの羊たちは飼われているようです」


 そう言ってクロエが指さす方を見ると、羊たちの向こう側に灰色の牧羊犬を携えた一人の男が立っているのが見えた。


 「羊飼いか」

 「け、け、ケータ!あの灰色の犬!触りたいわ!」


 犬を見つけるや、ティアの瞳の熱量が一段階上がった。ついでに、啓太の腕を引っ張る力も。


 「わかったよ」


 啓太はそう言ってティアの頭を撫でると、懐から地図を取り出した。


 「さっき小さな川を渡ったから、今はこの辺か?」

 「そうですね、あっていると思います」

 「そろそろ今夜どこで休むか決めた方がいいな」

 

 啓太は顔を上げると、少し前を進むニーナとシルヴィの馬車を呼び止めた。


 「おーい、シルヴィ!一旦止まってくれー!」


 手を挙げて答えたシルヴィ達の馬車は、街道脇の少し開けた草むらに停止した。啓太も、後に続いて停車する。

 なお、馬車の操縦は最初ティアがやっていたが、流石に子供に任せておけるほど神経の図太くない啓太が途中から交代した。


 『ちょ、ケータ!そんなやり方じゃ馬がびっくりするでしょ!もっと優しく!』

 『こ、こうか?』


 クロエが微笑ましそうに見つめる中、ティアに手取り足取り馬車の操縦を教わるのは、中々の羞恥プライだった。


 「少しここで休憩して、今夜どこに泊まるか相談しようと思う」

 

 馬車を降りた皆を集めて、啓太はそう言った。


 「ねぇ、ケータ」


 ティアが待ちきれない、といった顔で啓太の袖を引っ張る。

 啓太は苦笑いしながらこう付け足した。


 「俺はこのあたりの地理に詳しくはないし、議論はシルヴィ主導でお願いできるか?」


 はーい、とシルヴィが手をあげた。


 「俺はこの王女様と一緒に、すこし羊と戯れてくるよ」


 啓太の言葉を聞いて、ティアの顔がぱぁっと輝いた。


 

 「すみません、ちょっとこの子を羊と遊ばせてやってもいいでしょうか?」

 

 啓太はティアを連れて羊飼いの元に行くと、そう声を掛けた。

 間近でみると、羊飼いは日に焼けた健康的な肌に白い歯が眩しいさわやかな男だ。


 「うちの羊たちとっすか?もちろんいいっすよ!」


 一ミリも逡巡せずに、男は白い歯を見せて親指をぐっと突き出した。イケメンだ。


 「ケータ!行ってくるわ!」


 あっという間に駆け出したティアは、そのままもふもふの群れへとダイブしていった。


 「うちのがすまないな」

 「いえいえ!全然いいっすよ!あんなかわいい子と遊んで貰えて羊たちも喜ぶっす!」


 笑顔のまま、男が右手を差し出してきた。


 「自分、デニスっす!それでこっちがマギー!よろしくっす!」


 自分と足元の犬を順番に差しながら、男がそう挨拶した。

 

 「啓太だ。よろしく」


 デニスの手を握り、握手に応える。


 「ケータさん達はどこに向かってるっすか?」

 「最終的には北のオロンに向かおうと思ってる」

 「オロンっすか?ずいぶん北の方まで行くっすね!」


 啓太の行き先を聞いたデニスは一瞬顔に驚きの表情を浮かべたが、すぐに元の爽やか笑顔に戻った。


 「まあな。見ての通り俺たちは行商をしていて――」


 啓太は街道わきに止めてある二台の馬車を指さす。


 「――オロンの街まで香辛料と干し肉を売りに行こうとしているんだ」

 「香辛料に干し肉っすか!今は冬だし、高値で売れると思うっすよ!いいですね~」


 デニスはうんうんと頷いた。


 「でも、その後はどうするっす?オロンに着いたあとも行商は続けるっすよね?」

 「ああ、もちろんだ。だから、オロンで適当に何か仕入れようと思っているが……」


 武具の件は、当然伏せておく。

 だが、デニスは浮かない顔をした。


 「うーん、でも、この時期のオロンの街に行ってもあまり売り物は無いと思うっすけど……」

 「そうなのか?」

 「自分が最後に行ったのはずいぶん前っすが、国境沿いのさびれた寒村っすよ?」


 デニスはそう言って首をひねった。


 「山沿いのすごく寒い所だから、冬は碌に作物も取れないっす。せいぜい葡萄酒くらいっすかね」

 「なるほどな……」


 水より安い葡萄酒では、行商人の商売にならないだろう。


 「どうせなら、国境超えて帝国まで行ったらどうっすか?確か、国境越えてすぐのところに大きい街があったはずっす!」


 デニスの言う通りなら、オロンにはあまり期待できないかもしれないな。


 「ありがとう、情報に感謝するよ。親切なんだな」


 啓太の言葉に、デニスは顔の前で腕をブンブンと振った。


 「とんでもないっす!羊飼いと行商人はどちらも定住の地を持たない旅人じゃないっすか!仲間っす!」

 「そんなものなのか」

 「そうっす!だから、ケータさんも困ったことがあったら何でも言ってください!」


 行商人は、荷馬車と共に旅をする。羊飼いは、羊と共に。デニスの言う通り、両者は確かに似ているかもしれない。


 「助かるよ。それなら早速一つ、聞きたいことがあるんだが」


 啓太は、人差し指を立てて切り出した。


 「見ての通り、もう日が傾き始めている。今夜泊まる所を探さなきゃいけないんだが、この辺で何かいい場所の心当たりはあるか?」

 「それならぴったりの場所があるっす!この街道を暫くまっすぐ進むと――」


 デニスはポンと手を打つと、啓太達が向かっていた方向を指さした。


 「――途中で右にそれる細い分かれ道があるっす!その先に村があるっすよ!」

 「村?そんなものは地図には載ってなかったが……」

 「小さい村っすからね~ でも、この辺を通る旅人がよく寄る村っすから、宿屋はあるっす!」


 宿屋があるなら有難い。

 いざとなったら仕方がないが、都会で生まれ育った啓太にとって野宿はできれば避けたい代物だった。


 「なんなら案内するっすよ!自分も村近くの羊小屋まで行くつもりだったっす!」


 そう言って、デニスは爽やかにニカッと笑った。



 太陽が地平線にすれすれになった頃。

 デニスの案内でたどり着いたのは、小さな教会を中心にいくつかの家が集まった小さな村だった。

 とはいえ、通りには人の姿がちらほらと見える。ミアレ村とは大違いだった。


「ここが宿屋っす!」


 村の中心である協会から少し外れたところまで来ると、デニスがこじんまりとした二階建ての建物を指さした。


 「ありがとう。すごく助かったよ」

 「いえいえ!じゃあ自分は羊小屋にいってくるっすから、これで失礼するっす!またどこかで会いましょう!」


 そう言うと、デニスはマギーと羊を連れてあっという間に去っていった。


 「ああ……、羊さん……」


 ティアがデニス(というより羊たち)が去っていった方向に手を伸ばしかけたまま、悲しそうな声を出した。

 

 (あれは、完璧に羊に堕ちたな) 


 この村に来るまでの道すがらも、ティアはわざわざ馬車を降りて羊たちと戯れていた。

 目に涙を浮かべたティアは、両サイドからシルヴィとクロエに慰められていた。


 「ケータ、帰ったら私達の屋敷でも羊を飼いましょう!」

 「考えておくよ」


 涙目で訴えかけるティアにさらっと返答しつつ、啓太は宿屋の扉を開けた。

 まだランプに火をともしていない屋内は、啓太が開けた入口の扉と、明り取りの窓から夕陽がわずかに差し込むのみの薄暗い空間だった。

 

 「すみません!」


 扉を開けてすぐのところにある古ぼけた受付には誰もいなかったため、声を上げて呼ぶ。


 「おお、いらっしゃい」


 受付の奥から、白髪交じりの中年の男が出てきた。


 「一泊したいんだが」

 「ありがとうございます。えっと、5名様でしょうか?」


 男が、啓太の後ろにいるティア達を見る。


 「ああ」

 「あいにくですが、本日はもう二人部屋が二つしか空いていないんですよ」


 宿屋の男が申し訳なさそうな顔をした。


 (シルヴィ、頼んだ)


 啓太はシルヴィに耳打ちし、助けを求める。

 こういう時は、旅慣れている彼女に任せるのが一番だろう。


 「それで大丈夫ですよ。ほら、一人子供みたいのも混じっておりますので、二人で一つのベッドに寝れば問題ありません」


 シルヴィはそう言いながらチラッとティアを見た。

 当のティアは自分のことだとは全く気が付いていない様子でボケーっとしている。


 (おい、それだと少なくとも誰かが俺と同じ部屋になるぞ?)

 (私は気にしません)


 シルヴィが気にしないなら、いいか。

 なんとなく、クロエは全く気にしない気がした。ティアはどうせ誰かとベッドを共有するから関係ない。

 ひそひそ話を打ち切り、啓太は男に頷いた。


 「そうですか。そうしましたら二部屋で手配いたしましょう。一泊一部屋銀貨5枚になります」


 啓太は銀貨を数えると、男に渡した。


 「それから、荷馬車が二台ある。これも停められるか?」

 「はい!馬小屋には空きがございますので、問題ありません」


***


 満月が高く上り、月明かりが照らし出す客室の中。


 「……どうしてこうなった」


 啓太は頭を抱えていた。

 同じベッドの上では、ティアがすぅすぅと寝息を立てている。

 月の柔らかい光を反射した髪と肌は、日の光に照らされた時と比べて一層透き通るような神々しさをたたえていた。

 口を閉じて寝ている分には絶世の美少女なのにな、などと思いながら、啓太は夕食時の会話を思い出していた。


 『部屋割りを決めるわよ!』

 『ほら、ケータ!何か公平に決める方法を知らない?』

 『じゃんけん?なにそれ面白そう!!』


 そんな調子で、啓太の紹介したじゃんけんによる公平な勝負の結果、啓太とティア、クロエとシルヴィが相部屋に決まった。

 クロエやシルヴィと同室で寝るのはなんだか倫理上よろしくない気がするが、ティアならまだ子供だし問題ないだろうと、啓太がホッとした時――


 『そういえば、ニーナを忘れていませんか?』


 とシルヴィが指摘したのだった。

 結局、馬の世話をしていて不在だったニーナを忘れた責任を感じたティアは、自分のベッドを譲ると言い張った。

 そして、じゃんけんの結果を変えるわけにはいかないと、ちゃっかり啓太のベッドの潜り込んだのだった。


 (そういえば、この旅の途中からニーナがフードを付けなくなったな)


 流石に往復で一週間ほどかかる旅の間、ずっと顔を隠すのは不自然だと判断したんだろう。

 そんなニーナの変化は、啓太にとってなんだかうれしくて。

 ティアに隠れて見えないが、隣のベッドから聞こえてくるニーナの寝息を聞いているうちに、啓太の瞼は段々重くなっていった。

 流石に疲れたし、もう寝てしまおうとうつらうつらし始めた時――


 「痛いっ!」


 顔に激痛を感じて、啓太は飛び起きた。

 啓太の顔の上に、ティアの足が乗っている。どうやら、啓太は寝ている間にティアからかかと落としを食らったようだった。


 (どんな寝相だよっ!)


 怒りを込めて心の中でティアに突っ込む。

 中途半端に起こされたついでに、いつの間にかティアに巻き取られていた布団をかけなおそうと体を起こした時――


 「ケータ、少し話がある」


 ベッドの傍で、月明かりに照らされて佇むニーナと目が合った。

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