07 『旅の終わりと新たなはじまり』

 「っ……!」


 少女の手のひらの血を見た瞬間、ニーナは後ずさりした。

 悲し気な目でそんなニーナの様子を見た少女は、光を失ったような虚ろな視線を啓太に向けた。


 「……どうかあなたも離れてください。ごほっげほっ。」


 胸を押さえながら、少女は力なくせき込む。見るからに、弱り切っていた。

 啓太は少女の願いを一旦無視し、問いかける。


 「名前は何という?」

 「……クロエです」

 「クロエか。俺は啓太、それでこっちはニーナ」


 自分とニーナを順番に指さして、啓太は自己紹介をする。


 「啓太さんにニーナさんですね。あの、私は流行病にかかっているので近づかない方がよいですよ。うつるのを恐れられ、こうしてここに取り残されておりますし」

 「流行病?」

 「はい。私の村では時々患者が出るんです。最初は長引く咳から始まり、次第に血を吐くようになります。一度血を吐いたらもう長くはないと皆言っております」


 啓太が確認しようとニーナの顔を見ると、深刻そうに頷いた。


 (長引く咳に、喀血。結核か?)


 「そうか。でも安心してくれ、俺はその病に耐性を持っている」

 「耐性……ですか?」

 「ああ。とにかく、まずはこの地下牢を出よう。その後で事情を聞かせてくれ」


 啓太はクロエを抱き起すと、背中におぶった。身長は175cmの啓太とそこまで変わらなく見えるが、背中には重さをほとんど感じなかった。

 

 (この子、軽すぎるな。危ないかもしれない)


 「よし!ニーナ、先導してくれ。急いでここを出よう!」


***


 「ケータ!地下に潜ったって言ったから、心配したわ!」

 「ケータさん、ニーナさん、ご無事で何よりです!」


 地上では、近衛隊を数名引き連れたティアが仁王立ちで待っていた。横には、シルヴィが心配そうな顔で立っている。

 心なしかティアの目が赤いが、これは啓太を心配したからなのか、それともギュスターヴにこってり叱られたからなのか。

 後者だな。

 

 「悪かった、二人とも。だが、収穫はあったぞ」


 柔らかい草の上にクロエを下ろしながら、啓太は言った。

 ちらっとニーナの方に目線をやると、いつの間にかフードを被りなおし、寡黙な御者の振りに戻っている。


 「ケータ、その子はどうしたの?」

 

 寝かされ、再びごほごほと咳込みはじめたクロエをみて、ティアは首を傾げた。


 「この子は地下牢に閉じ込められていて――」

 「流行病にかかっておりますね?」


 心配そうにクロエに近づいてきたシルヴィの目が鋭くなり、一歩後ずさった。

 さすがは行商人の娘、この手の情報には詳しいようだ。


 「そう言っていた。ティア、この子の病を治せたりする?」

 「……無理ね」


 ティアは下を向き、悔しそうに言った。


 「『回復』ヒールの魔法はあくまでも傷を塞ぐものなの。病気の治療には使えないわ」

 「そうか……」


 ティアにも直せないのなら、クロエを助けるのはかなり難しいだろう。

 抗生物質などないであろうこの世界で、喀血するほど進行した結核は直せない。

 ニーナやシルヴィの態度を見るに、原理はどうあれなんとなく人から人へうつる病気だとは認知されているようだ。

 従って、馬車に乗せて王都に連れ帰ることもできないだろう。


 「あの……、私のことはどうぞ気にしないで下さい。何があったかはお話いたしますので、その後はどうぞ捨て置いてください」

 「いや、そんなわけには――」

 「そんなことできるわけないじゃない!」


 啓太にかぶせるようにして、ティアが声を張り上げた。

 

 「あなたは私が何とかして元気にして見せるわ!見捨てることなんてできないじゃない!」

 「ティア……」


 涙目で叫ぶティアは、まるで駄々をこねる子供のようで。

 だが、そこには確かに信念のようなものがあった。


 (ケータ、何とかならないの?あんた、賢者でしょ!)

 (賢者じゃないって知ってるだろ!俺の元いた世界には、この病気を治す薬がある。ティア、一旦俺を帰してくれないか?薬を取って戻ってくるから)

 (そ、それはちょっと――)


 「げほっ」


 クロエは再び大きく咽ると、地面にを吐いた。


 (ん??)


 啓太は素早く身をかがめると、クロエの額に手を当てた。


 「ケータさん、うつりますよ!?」

 「心配してくれてありがとう、シルヴィ。でも大丈夫だ。俺はこの病に耐性がある」


 BCGによる結核の予防効果は15年ほどしか続かないというし、啓太の安全が100%保障されたわけではない。だが、啓太には何か確信めいたものがあった。


 (熱はなさそうだ)


 目の下を引っ張り瞼の裏を見ると、真っ白だった。


 (貧血か)


 最後のダメ押しにクロエを仰向けにした啓太は、みぞおちに手を当てた。


 「ちょ、ちょっとケータ!あんたどさくさに紛れて何しようとしてるのよ!」


 ケータはティアが顔を真っ赤にしているのをみて、


 (あ、これは恥ずかしいんだ)


 とほほえましい気持ちになった。


 「変なことはしないさ。ちょっと確かめたいことがあるんだ」


 「クロエ、今から君のお腹をゆっくり押す。痛みを感じたら教えてくれないか?」

 「お腹……ですか?わかりました、お願いします」


 そう言ってクロエは目を閉じた。少し頬に朱がさしたような気がする。


 (なんでお前まで恥ずかしがるんだよ!結構余裕だな!)


 心の中で突っ込みを入れつつ、啓太はクロエのみぞおちをゆっくり押した。


 「んっ……」

 「痛いか?」

 「いえ、くすぐったいです。」

 「わかった。もう少し下の方を触るぞ?」

 「……はい、優しくして下さい」


 ティアにシルヴィにニーナ、三人分の冷たい視線を後頭部に感じながら、啓太は触診を続けた。

 何事も先駆者は奇異の目で見られるってものだ。


 啓太はゆっくりと場所を変えながらクロエのお腹を押していく。みぞおちから、肋骨のふちに沿って段々と下の方へ。


 「あっ……、ふぅ……」


 クロエは時々くすぐったそうに 身をよじる。というか胸がちょこちょこ当たって気が散ることこの上ない。


 「痛いっ……!」


 肋骨の下、左の脇腹までたどり着いたとたん、クロエの様子が一変した。


 「大丈夫!?ケータに何かされたの?」

 「するわけないだろ!それよりティア、出番だぞ」

 「出番?」

 「これは流行病なんかじゃない。ここに『回復』ヒールをかけてくれ」


 そう言って啓太がクロエの脇腹を指さすのを見て、ティアは飛んできた。

 この王女様、行動力だけはある。


 「『回復』ヒール!」


 辛そうだったクロエの顔が、みるみる穏やかになっていった。


 「あれ……、痛くないです」


 クロエは不思議そうな顔で魔法を受けた脇腹を撫でた。明らかに、顔の血色がよくなっている。


 「ごほごほっ」


 咳はまだ続いているようだが、もう血は吐かなかった。


 「本当に流行病ではなかったんですね」

 「ああ。クロエの吐いた血が赤黒かったからな」

 「赤黒いと、どうして流行病ではないとなるんでしょうか?血の色での見分け方なんて、商人の情報網にもありませんでした」

 

 シルヴィは首をひねる。

 そりゃそうだ。ヘモグロビンどころか赤血球の概念もまだない時代なのだから。

 

 「詳しい仕組みはわからないが、流行病のような胸の病気だと鮮やかな赤い血を吐くんだよ。でも、クロエの血は赤黒かった。だから、お腹の病気を疑ったのさ」

 「なるほど……、ケータさんは物知りですね」


 シルヴィがきらきらした目で啓太を見つめてくる。この純粋な瞳をだますのは心苦しいが――


 「俺はこの国を立て直すために呼び出された賢者だからな」


 ティアにちらっと視線をおくり、――目があった気がした――啓太はそう言うのだった。


***


 「賢者どの、まずは謝罪をさせて欲しい。すまなかった」


 ここはローサ城四階謁見の間。

 事の顛末を報告しにやってきた啓太に対して王が最初にかけたのは、謝罪の言葉だった。


 「詳しいことは既にギュスターヴやティアから聞いている。娘がが紹介した貴族邸であんな事態になるとはな」

 「そんなことはございません。おかげでいくつか収穫もございました」


 ヘリオスの横に座っているティアは、国王に叱られてすねたのか、口をとがらせてしかめっ面をしていた。

 

 (なんだあの口は)


 「そうじゃな。そちらについては、もちろん感謝しよう。賢者殿の機転で、王都の一番近い所にはびこっておった悪徳貴族を排除することができた」


 ヘリオスはそういうと、優しい目で啓太を見つめた。


 「賢者殿が見抜いた通り、ガストンは現金欲しさに奴隷商売に手を出していたようだ。ミアレ村の住人を脅して、両親と長男は増産のために朝も夜もなく強制労働、それ以外は地下牢に閉じ込めて売りさばいていたようだな」

 「やはりあの地下牢は、ミアレ村につながっていましたか?」

 

 王は目を細めると、大きくうなずいた。


 「ご明察じゃ。あれがいつ作られたものかはわからないが、あの地下牢はミアレ村とマンサール邸をつないでいた。奴は、そこに村人を閉じ込めていたようだ」

 「村人たちの売り先はどこでした?」

 「ガストンもよく知らなかったようだ。彼に奴隷商売を進めた男が引き取っていったらしいが、ガストン自身もそやつの顔を知らないらしい」


 国王は、そういうと残念そうに首を振った。


 「引き続き、我が国の方で調べ続けよう。いずれにせよ、ガストンは大罪を犯した。領地は召し上げ、一族は国外追放としよう」


 ヘリオスは鋭い目でそう告げると、脇に控えた騎士の一人に目くばせした。

 騎士は一礼すると、さっと謁見の間を出ていく。

 

 (おそらく、処分を伝えに行くんだろうな)


 啓太は騎士の出ていったドアの方を見つめながら、そんなことを考えていた。


 「さて、賢者殿。お主は今回、賢者の名にふさわしい働きをした。褒美を与えなくてはな」

 「陛下、私の仕事はあくまでも国の立て直しです。今回のことは褒美頂くようなものでは――」

 「功労者に褒美を与えるのは、私の数少ない趣味なんだよ。賢者殿とは今後一緒に改革改革を進めていくことになるしな。」

 「それに、悪徳貴族の取り締まりは立派な立て直しじゃろ?」


 そういうと、ヘリオスはいたずらっぽく笑った。初めて笑顔を見たが、どことなくティアの面影がある。


 「恐れ入ります。それでは、今回の改革の拠点を用意して頂けないでしょうか?」

 「拠点?」

 「はい、改革に携わるチームが集まって、会議や日々の議論ができる場を頂きたいのです」

 「ふむ……、なるほどな」


 ヘリオスはひげを撫で付けながら、啓太の提案にふさわしい場所を考え出した。


 「お父様、私にいい案があります」

 

 横で静かにしていたティアが、そう言ってヘリオスに耳打ちした。


 「ふむふむ……、おお!それはよいな!」

 

 ヘリオスにっこりと頷くと、啓太の方に向き直った。


 「賢者ケータどの!貴殿を旧ガストン・マンサール子爵領の代理領主とする!子爵邸を拠点として、改革を進めるように!」

 「はい!――え!?」


 王から与えられた、想像の斜め上の褒美に啓太の思考が停止した。

 見上げると、ティアとヘリオスがおそろいのどや顔で啓太を見ている。


 「うむ。どうせあそこはしばらく王族の直轄地にする予定だったからな。あそこなら王都まで近いし、田園地帯だから農業改革のテストにもなるじゃろ」

 

 「おっしゃる通りです、陛下。しばらくは王都と行き来することになるかと思いますが、有難く拠点として使わせていただきます!」

 「うむうむ」


 ヘリオスは満足そうに頷いた。


 「して、改革の仲間集めでも何か手伝ってやれることはないか?ガストンの当ては外れたのじゃろ?」

 「それでしたら問題ございません」


 今度は啓太がにやりと笑った。


 「既に、メンバーの当てはついておりますので」

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