003

 もうホームルームも終わっただろうか。時計を見ながらそんなことを思っていてると、鞄の中からスマホの通知音が鳴り響いた。

 スマホを確認するとメッセージが一件。『鼻血大丈夫?話は今度で大丈夫だから。お大事に』とのこと。

 正直、ホッとした自分がいる。


 少し返答に悩み、何度も文を打ち直し、結局一番初めに書いたメッセージを送った。

 一息ついた俺は、いい加減体操服から制服に着替える。

 保健室にいた傍ら、クラスメイトたちと帰りに出くわすのはよくない。もう少し時間を潰してからここを出ようと、椅子に体を預けた。


 しばらく、カチカチと時計が秒針を刻む音だけが保健室に響いた。

 青葉先生はパソコンで仕事を、その後ろから白枦さんは画面を覗き、俺は特に何かするわけでもなく、天井のシミを数えていた。

 そんなとき、保健室のドアがノックもなしに開かれる。



「迎えに来たよー」



 開かれたドアの先にいたのは黒いパーカーを着た女子生徒。左腕に包帯を巻いており、怪我でもしているのかとも思ったが、ドアを左手で閉めたのを見る限り怪我というわけではなさそう。

 凝視しすぎたか、彼女はこちらに気づく。



「なにか用ですか?」

「用というか、その包帯はどうしたのかなーって」

「これですか? ふふふっ……目の付け所がなかなかいいではないか。これは私の中に眠る強大な魔力を閉じ込めておく為の魔道具……! これを装備していなければ人間共は私を見るなり、あまりの魔力濃度に耐えきれず意識が飛んでしまう。それは悔しくも私も同様のこと。もしも! 私の意識が飛び、抜け殻となってしまえば私の意識を魔力が制圧し、暴走してしまうことだろう。そうなってしまえば全ては後の祭り……。世界は歪みを矯正し、ただひたすらに崩壊へとひた走ることになるだろう……ドヤっ!」



 長くて怠い設定を聞かされ、挙句最後に渾身のドヤ顔を見せつけられた俺は全てを察した。

 ああ、この子は紛れもなく――中二病だ。痛い子だ。黒歴史製造機だ。

 きっと数年後、過去の自分を悔いて左手の封印なんかより当時の記憶を封印したかることになるのだろう。

 中二が着けている包帯を俺なりに一言で表すなら。



「つまりファッションか」

「断じて違う!」



 中二病の皆さんは必ず否定するんです。でもそれは市販で買ったただの包帯なんですよね。知ってますから。



「まったく、これだから一般人は」



 ぷりぷりと怒った様子で俺に背を向けた中二は、そのまま白枦さんのもとへ行く。



「何を見ているのです?」



 白枦さんが飽きもせず覗いていた先生の操作するパソコン画面を中二も覗き込んだ。



「これって――」

「三枝さんも動物好きなの?」



 画面を覗き込む中二が青葉先生の質問に困った顔をし、「好きですけど」と続ける。



「先生、まだ五時前です」

「いいじゃない。養護教諭って意外と暇なの」

「だからって仕事中に猫の動画観るのはどうかと」



 え、仕事じゃなかったの? てっきり何かしらの資料でも作ってるものかと。確かにキーボードに殆ど触れてなかったし、白枦さんも興味深々で覗き込んでた理由とも辻褄が合うけど。



「まぁ先生が何しようと知ったこっちゃないですが。行こう、ミナミ」

「うん」



 ふたりは一緒に保健室を後にする。

 俺もしばらくしてから帰路に着いた。





 顔面ボール事件から数日、いつもより少し早く目が覚めた俺はすることもないので早々に朝の支度を済ませて家を出ることにした。

 山の中腹に建っている団地の402号室。そこが俺の暮らす家。


「いってきまーす」


 どうせ返事が返ってこないのは知っているのだが、家主である姉には一応出る前には声を掛けている。

 玄関を出ると所々から聞こえてくる蝉の鳴き声が夏を意識させ、余計に蒸し暑さを感じてしまい、何度も汗が頬を伝う。

 まだ6月だと言うのにこの暑さ。地球温暖化が原因なのだろうか。


 団地にエレベーターなんて便利な物は付いておらず、ジグザグの階段をひたすら下る。

 踊り場から見える外の景色は高い位置に建っているだけあってなかなかに絶景。長い坂があり、その先にはそれなりに発展した街があり、さらにその先には海がある。

 学校もここから見えるのだが、そこまでの距離を今から歩くと考えると気が滅入ってしまう。


 麓まで下りる長い坂を音楽を聴きながら歩く。

 数十メートル先で同じ高校の制服を着た見覚えのある姿が目に入った。



「よいしょっと」



 彼女は重たそうな背の高い段ボール箱を抱えて家を出ていた。

 あのオーバーサイズのパーカーに、左手に巻いた包帯。間違いない、保健室で見た人だ。

 名前は確か……。

 青星先生が一度だけ彼女の苗字を口にした気がしなくもないが、思い出せない。

 中二でいっか。

 段ボールを持ってよろめき歩く中二が危なっかしく声をかけた。



「荷物、持とうか?」

「……貴方は?」



 忘れられているらしい。確かに俺にとってはあの日は特別インパクトの強かった一日だが、中二にとってはただの日常だったのだろう。



「覚えてない? 数日前、保健室でちょっとだけ話した」

「保健室? ……ああ思い出した! 私の魔道具をファッションだとか愚弄してきた冴えない男!」

「冴えないは余計だ! それに愚弄したつもりはないよ」



 知ってる? 男子ってどんな女子だろうとキモイ、冴えないとか、不潔とか言われた日には心臓に穴が開いたかと思うぐらい胸が痛むんだからね。



「ふんっ! 貴方のような人の手など借りずともなんら問題はありません!」



 意固地に首を横に振って歩き出す中二だったが、坂道ということも相まって足元が見えないのは恐怖心を煽るらしく、冷や汗を垂らしながら慎重に歩く。



「やっぱ持とうか?」

「問題ないです!」

「中、何が入ってるの?」

「ちょっとしたボードゲームです」



 なぜにボードゲーム?

 首を傾げて不思議に思う俺を横目に見た中二は、無言でふたり横並びで歩く空気感に耐えられなかったのか教えてくれた。



「放課後、ミナミやカオル、他一名とで遊ぶんです」

「ミナミって白枦さんのことだよね?」

「ミナミの事を知っているのですか?」

「名前とクラスだけ。あの日、ちょっとだけ話したから」

「意外ですね。ミナミと話せるなんて」

「——? どういう?」

「あの子は基本無口ですし、初対面相手に口を開くことはまぁないです」

「そうなのか?」

「ミナミと話したのなら分かるでしょう? あの子は他とは違います」

「君と同じ、中二病ってこと?」

「少し、いや大きく違いますね。あの子は私とは違う。もっと特別。所謂電波系ってやつです。だからあの子は周りとは核心的にズレていて、上辺だけの同情に傷つく」



 だから人と極力話さないと? ——答え合わせ求めてそんな質問を投げかけようとしたが口に出す直前で飲み込んだ。

「少し話しすぎましたね。すいません。その日のミナミは気分が良かったということで、この話題は終わりにしましょう。……やっぱり鞄だけでも持ってくれるとありがたいです」

「任された」



 麓を下り切り街に出ると人通りが増え、駅の近くを通る時には同じ高校の生徒たちの姿も多く見受けられるようになった。

 家を早く出たつもりだったが、いつもより生徒の数が多く、どうやら登校者数がピークの時間帯らしい。

 踏切で足止めをくらい、遮断桿が上がるのを待つっていると後ろから足音が近づいてきた。



「お、おはよう! 三笠くん」

「ん? ああ、朝比奈さん。おはよう」

「今日は暑いねー」

「だね。雲ひとつない快晴だ」



 あの日以来も、朝比奈さんとは何事もなく日々を過ごしている。

 いつも通りの会話、いつも通りの距離感。



「ところで、なんで二つ鞄を持ってるの?」



 肩にかけた二つの通学鞄。一つは自身の物で、もう一つは中二の物。



「ああ、これは」

「私が頼んだのです」



 説明しようとしていたところ、中二が口を挟んだ。



「えーと?」



 たぶん二人は初対面。朝比奈さんはどちら様? と訊きたげに首を傾げた。



「私はそこの男には中二なんて不本意なあだ名で呼ばれていますが、私の真名は——ガタンごとん、ガタンごとん、ガタンごとん——です。いいですか? 間違えないでくださいね」



 タイミングが良いのか悪いのか、肝心な自己紹介を口にしているタイミングで電車が通り過ぎ、走行音によって掻き消されてしまった。



「えーと……(だめだよ、小さい事をいじっちゃ)」



 耳元で朝比奈さんが俺を叱った。

 そういう意味での中二じゃないんだが。



「誰がチビですか! 聴こえてますからね!」

「ご、ごめんね!」

「まったく、人を見た目で判断しないで下さい。だいたい、この歳の平均身長は157センチ程です。対して私は152センチ。誤差の範囲です」



 5センチの差を誤差と呼んで良いのか否かはさて置き、なぜ平均身長なんて知っているのかについては触れないでおこう。

 それこそ魔力が暴走して暴れ出しそうだ。




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