墨は闇より深い黒~異聞・やまひめ百鬼夜行~

墨ノ江なおき

第2話 氷結(こおりむすび)

 あら、お兄さん、いい男じゃないか。ちょいと寄っていかないかい?


 なんだい、取っていやしないよ。安心おし。


 いいからさ。それとも、あたしじゃ、不満だってのかえ?


 あはは、嘘さ。冗談だよ。でも、来るだろ?


 そうそう、ほら、こっち。


 ここさ、どうだい、入りなよ。


 まぁ、そんなに広くはないけどさ、十分だろ?


 なぁに、あんた、今さら、帰ろうってんじゃないだろね?


 そこに座りなよ。少しお待ち、奥から酒を出すよ。


 ひやで構わないかい? 温めるのが、面倒でね。


 とびきりの強い奴さ。だから、かんでなくても、体が火照るだろうよ。


 さ、用意したよ。遠慮なく、飲みなよ。あたしのおごりさ。


 お近づきの印ってね。あたしも、飲もうかね。


 あんたを連れてきて、何だけどね。今日は、さっぱり、客が取れなくてね。


 ま、あんたのおかげで、助かったよ。


 さすがに、こんな静かな夜に、一人寝は、寂しいからね。


 ん、いいだろ? 家で待つ女房がいるって? まぁまぁ、律儀なことで。


 そんなこたぁ、どうでもいいじゃないか、ね?


 だって、そうだろ?


 あたしが、その女房なんだからさ。


 え、何を言ってるか、分からないって?


 この顔を、見忘れたかい?


 さぁ、とくとご覧なさいな。


 ははっ、怖気づくんじゃないよ!


 あんたの、恋女房の顔じゃないか。


 見飽きるほど、見てきた顔だろ?


 それとも、本当に、飽きちまったってのかい?


 まさか、忘れちまってなんか、いないよね?


 あれから、まだ一年ひととせも経っていやしないんだから。


 あたしを置いて、ここに来て、おぜぜ・ ・ ・を稼いでいるんだろう?


 ……あたしのために。


 あたしと添い遂げるために、先立つものがいるって、張り切っちゃってさ。


 こんな遠い所まで、出稼ぎに来なくたって……


 お蔭様で、待ちくたびれちまったよ。


 体も、持たなかったし。


 ああ、そうさね。お医者様も、お薬も、間に合わなかったよ。


 怖気おじけづくんじゃないよ。


 お察しの通り、今のあたしは、幽霊さね。


 散々、探し回っちまったよ。


 こんな、北の最果てまで。


 寒いねぇ……いとしいねぇ……


 哀しいねぇ……寂しいねぇ……


 けど、怨んじゃいないよ。全部、あたしのためだったんだろ?


 あたしと一緒に暮らすため……。


 その願いを、今、叶えようじゃないか。


 生きているうちに結ばれたかったけど、でも、こうして。


 化けて、出ることが、できたんだからさ。


 思いの強さは、本当だったよ。


 あたしをここに呼んだのは、実は、あんたさ。


 なく彷徨さまよっていたあたしを、引き寄せたのは、あんたの執念さ。


 縁が、できちまっていたんだろうね。もう、とっくの昔に。


 あんたと、あたしは、今世いまよ夫婦めおとさ。


 あたしは、あんたと、結ばれたいよ。今度こそ、本当に。


 あたしの肌に、また、触れてくれるかい?


 あんたが、抱いて、溺れてくれた、この体に。


 もう一度、熱を、与えてくれるかい?


 ほぉら、綺麗きれいだろう?


 真っ白な、柔肌。


 あんたが、何度もめてくれた、ガラスのように、透き通る肌さ。


 好きなだけ、愛しておくれ。


 今生こんじょうの、別れさ。


 もし、来世なんてものがあるなら、それでも、いいけどね。


 この想いは、胸の高鳴りは、今宵こよい、ここで、おしまいさ。


 ああ……あんたが、欲しいよ。


 強く、抱いておくれ……


 ・


 ・


 ・


 雪洞せつどうの中で、氷柱つららを抱いた男の凍死体が見つかったのは、翌朝のことだった。

 その死に顔は、とても満ち足りて、安らかなものだった。


 人々は、うわさして、こう伝えた。

 曰く、「ゆきおんな」は、とても怖く、そして、儚げなものだと……。


 北海道、竜川市、時に、明治25年のことである。

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