9

 ベンチに座り、雪彦が作った指の先ほどの小さな折り鶴を嵐志は手の中でころころと転がした。

「ゆき兄のこれはなにを祈ったの?」

「なんにも」

「なんにも?」

「そうだよ。折り鶴を折ることに祈りなんて必要ない。元々折り紙ってのは、子どもの遊びだからさ。それほど祈りに重要じゃない。特別視してるのは、言っての通り、この像が原因なんだから」

 再び見上げた原爆の子の像は、相変わらず凜とした立ち姿で折り鶴を捧げている。陽の光で折り鶴の枠が綺麗に反射して神々しい。でもこうして見ていると、よくファンタジー小説に出てくる人柱みたいにも見えてきた。

「こんなにたくさんの祈りは、どこにいくんだろう」

 嵐志がゆっくりと問うた。

 かたちのない祈りは折り鶴となってこの広島に集まってくる。それじゃ、集まった折り鶴たちはどうなるのだろう。願いが叶ったら、どうするんだろう。ただの紙切れには、もう戻らない。雪彦は静かに答えた。

「燃やすのかもね、大樹がしたように」

 祈りってなんだろう。誰に祈るんだろう。みんな口をそろえて神様に祈るんだというのだろうか。神なんていないのに。神だけに祈りを捧げるというのならば、祈る行為こそが無意味だ。概念だけの存在に祈るなんて、愚者の所行だ。

 小学生の頃、同じクラスの女の子が入院した。その子の為にとクラスで千羽鶴を折ったことがある。雪彦も鶴を折ったが、別に女の子は仲がよかったわけでもなく、女子たちに強制的にただ紙を折るという行為をしただけだ。クラス全体が、折らないやつは仲間はずれ、という空気になっていたのだ。

 祈りだってなんだって、強制されては何の意味もない。祈るならば大切な人のために。

 例えば…………例えば、

 そう思い起こして雪彦は呆然とする。誰も出てこなかったのだ。嵐志も。他の姉妹も。恋人の名前すら、考えなければ出てこなかった。あんなに会いたいと、触れて欲しいと、七夕の星に願うくらいに思っていたのに。信じられない事実に雪彦は口元を手で覆った。

「ゆき兄?」

 はたと顔を上げると、嵐志が心配そうに顔をのぞき込んでいた。

「どうしたの?」

 なんでもないよ、と返せば、すぐに嘘だと嵐志は返してきた。

「だって、ゆき兄……」

「俺がなに?」

 嵐志は口を閉ざしたけれど、視線を彷徨わせてから躊躇いがちにまた口を開いた。

「ゆき兄……今、兄者のこと考えてたでしょ」

 ぐさりと心臓を刺された。嵐志は、雪彦が考えていることが見えるかのように核心を突いてきて、さらには共感してくる。どうして、と雪彦が聞く前に嵐志はまた「だって、」と続ける。

「だって……いま、ゆき兄、寂しそうな顔してた……」

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