10
唇に触れた傷痕は少し血の味がした。つ、と舌先でなぞると、くすぐったい、と嵐志は身を捩った。
「傷が浅くてよかった」
「舐めたら止まった」
「もうしちゃダメだよ、傷跡になるから」
「わかったっ、くすぐったいからもうやめてっ、」
ひくっ、とむず痒そうに嵐志は身体を震わせる。
「次やったら、これだけじゃやめてあげないからね?」
いじわる、と目を潤ませて嵐志は睨んだ。
「どんなふうなのか、知りたかったんだ」
嵐志が口を開いた。膝の上に頭を置いたまま、雪彦は嵐志が話すのを聞いていた。
「遥が、どうやって死んだのか。どんな痛みだったのか。知りたかった。それを知って、許さなきゃ、生まれ変わったとしても、俺は遥ともう二度と友だちじゃいられなくなる気がしたんだ」
「……生まれ変わりは信じないんじゃなかったの?」
朝、嵐志は確かにそう言っていた。生まれ変わりなんて信じないと。本人じゃなきゃ意味がないんだと。尋ねると嵐志は目を伏せたまま信じないよ、と言った。
「でも……いつかどこかで、また遥に逢えるって言うのなら、賭けてみたい」
「じゃあ、遥くんのために祈ってあげよう」
「祈る……?」
「そう、祈る」
宗教や教えが異なえど、世の安寧や平穏、誰かへの想いを願いに込めることを、この世界では祈りと呼ぶ。誰かを想うことのできる人が持つ、優しく美しい行為だ。嵐志はそれをするのにふさわしい。
「遥くんの眠りが、安らかであるように。彼の魂が、美しい軌道でいつか嵐志くんに出逢えるように」
「そんな……」嵐志は苦しそうに言い淀む。「永遠みたいなこと願えない」
「……どうして?」
「遥の重荷になる」
手を伸ばして嵐志の髪を梳いた。硬い質の髪が指をすり抜けていく。熱を孕んだ風が吹いて、風鈴が揺れた。
熱中症と脱水を起こしていた雪彦は、布団を敷いて眠りについた。ふと目を覚ますと、嵐志は頭を垂れて、静かに両の手を組み合わせて額をくっつけていた。きっと、ぎゅっと瞼を閉じて、眉を寄せて。それは雪彦から見ても綺麗な祈りの姿だった。でも次の瞬間、肩を大きく震わせて、何かに耐えるような甲高い嗚咽が聞こえてきた。
「はるかぁ……っ!」
情けない声で友の名を呼ぶ。その声に雪彦の胸がぐうん、と締め付けられた。
死別とは改めて残酷なものだ。どこにもいないし、絶対に見つからない。声の限りに呼べど叫べど、もう自分が誰だったかもわからない。けれど、その欠落も彼を構成する一部なのだ。有名なアーティストが最近出した曲の詞にもこんな言葉がある。『君が付けた傷も輝きのその一つ』と。欠落が一部を作り出すとは、なんたる矛盾だ。
雪彦は横になったまま嵐志の背中を眺め、嗚咽を聞いていた。嘆きが夏の群青に吸い込まれていく。言葉を詰まらせて、思い出の彼方に押しやってしまうほど、悲しみを湛えた青空だった。滲んだ視界が夏の光を反射して、あまりにも眩しくて、美しくて、魅せられていく。
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