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 嵐志の身体は簡単に押し倒された。普通、もっと抵抗があってもいいのだが、ここ最近の彼はされるがままだ。畳の上に転がされた彼の腕を掴んで、覆い被さってからふと気づく。

「あ」

「なに?」

「これって浮気になるのかな」

 嵐志は少し考えてから「……なるんじゃないの? いたしちゃったら」と気怠げに言った。首筋から汗が一つ伝って落ちた。

「嵐志くんの口からそんな言葉聞きたくなかったなぁ」

「ゆき兄のせいだ」

 嵐志は気まずそうに目を逸らした。なにかを諦めたような表情に、雪彦は少し戸惑いを覚える。ややあって嵐志は横目でちらっと雪彦の目を見て、これまた気まずそうに口を開いた。

「……しないの?」

「なにを?」

「いろいろ」

「してほしいの?」

 嵐志は「別にいいよ」とため息と一緒に

吐いた。

「どうせ生きていたって仕方ないもん」

「本気でそんなこと言ってる?」

「もし嘘だったらさ、ゆき兄は態度変えんの?」

「まさか」

 雪彦は微笑んで嵐志の額を人差し指でぱちん、と軽く弾いた。

「嘘でもほんとでも、俺はこれだけさ。これでもずるいって言うのかい?」

 案の定、嵐志はずるいと言った。またその額をぴんっ、と弾く。

 生きることを諦めていた雪彦をこの世に引きずり戻したのは。三途の川を渡ろうとしていた雪彦の腕を引っつかんで、現世にぶん投げるように引き戻したのは。他でもない、この少年なのに。

 五年前、大樹と付き合う前だ。雪彦は大樹と心中しようとしたことがある。男同士の付き合いに非難が集中し、雪彦の心が耐えきれなかったことと、そのせいで大樹が学校内での居場所を失ったことが要因だった。今思い返しても、当時の雪彦は自暴自棄になっていて、大樹と二人だけの世界に閉じこもり、周囲を見ることを忘れていたと思う。

 その時に真っ先にダメだと声を上げたのが、嵐志だった。雪彦に飛びつき、小さな身体で馬乗りになって、何度も「ダメだ」と叫んだ。死んじゃったら死んじゃうんだと、どうしてそんなこともわかんないんだと、雪彦に訴えた。

 今は立場が逆転していることが、雪彦は恐ろしかった。

「嵐志くんがいなくなったら、いやだなぁ」

「……それは嘘?」

「まさか」

 ごろん、と嵐志の隣に寝転がると、その頭をぎゅっと腕の中に抱え込んだ。

「俺に憧れてくれる子がいなくなる」

「そんなこと、ないじゃないか。だってゆき兄は……ゆき兄はっ、」

 背中を撫でてやると、嵐志は震える手で浴衣をぎゅっと握ってきた。すり、と額を胸に擦りつけて「ゆき兄ぃ、」と呟いて、嵐志は静かになった。

 雪彦は、彼がこうなってしまった原因を、知っている。

 

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