3章 陽炎心中

1

 和室で大の字になって嵐志が寝転がっていた。三十五度以上にもなっているのにクーラーも付けていない。障子を開けっ放しにしているけれど、風も入ってこない。シャワーのような蝉の声だけがうるさい。

 夏休みに入って二週間。八月の初めになるというのに、嵐志は雪彦と出かけた祭りと向日葵畑、それから今回の里帰り以外に遠出という遠出をしていない。昨年の今頃だったら、森に川に遊びに行ってすっかり小麦色に灼けていたはずだ。

 里帰りと言っても一之瀬家の別荘に泊まりに行くだけで、仰々しく親族が集まることはない。地元の田畑が広がる静かな田舎に平屋の日本家屋で一週間、密かに夏を満喫するだけの小旅行だ。本来ならば、大学生になる愛衣と中学生になる結衣の姉妹も来るはずだったのだが、それぞれサークルや部活の合宿が重なってしまったせいで、今回は嵐志と二人きりで来ていた。

 行きたいと言ったのは嵐志だけれど、ここに来てからというものの、こうして寝転がって三日を過ごしていた。今日で折り返しの四日目だ。

 散策から戻って、麻の浴衣に着替えた雪彦はまだ寝転がっている嵐志の顔を真上からのぞき込んだ。

「嵐志くん」

 呼びかけても返事がない。片腕で目元を完全に覆っているせいで表情が見えないけれど、うっすらと汗が浮かんでいた。顔をのぞき込んでもう一度呼ぶと、少し首を傾けて胡乱げな目が雪彦を見上げた。その目を見て、雪彦は背筋にぞくっと怖気が走った。嵐志って、こんな目をしていたっけ。こんな、死んだ目をする子だったっけ。

 冷蔵庫からサイダーのペットボトルを出して、彼の額にぴたりと当てた。つめたい、と小さく唇が開いた。なにも言わずに縁側に座る。縁側の廊下が日差しで熱くなっていた。氷をたっぷり入れたグラスにサイダーを注ぐ。しゅわしゅわしゅわと泡を立てる音を聞いて、嵐志はごろりと寝返りを打った。頬に畳の跡が付いていた。

「飲む?」

 だらんと伸ばされた手にグラスを渡すと、嵐志はのろのろと身体を起こした。グラスいっぱいに入ったサイダーをくっと一気に飲み干す。口の端からサイダーが零れて、それを手の甲で強引に拭った。からからとグラスの中で氷が音を立てた。

「大丈夫かい?」

「……へーき」

 嵐志は返事をしなかった。代わりに雪彦の肩に頭をとん、と乗せて、猫みたいにすりすりと額を擦りつけてくる。

「気分が悪いわけではないんだね?」

「……ゆき兄、いい匂いがする」

「こら。そんなこと言ってると襲っちゃうぞ」

「できるもんならやってみなってーの」

 簡単に、それも棒読みみたいに言うものだから「……言ったな?」と雪彦は彼の腕を掴んで引き倒した。

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