胡麻の廃屋 21

ぎしっぎしっと扉の向こうの足音が廊下まで響く。

縦に嵌め込まれたすりガラス越しの人影。

突如として行方不明となった廃屋の家主が帰ってきた?そんな筈はない。

僕はもう知っているじゃないか。

今いるこの世界では往々おうおうにして起きるんだ。

 この扉の先で何が起きようと覚悟を決めて臨む。

僕はもうこの世界の人間なんだ。

「まだ時間あるから他行くぞ」

篠崎さんの思わぬ一言に面食らう。

いや、白木さんは。

「白木なら大丈夫だ」

その一言だけで後ろ髪ひかれる思いをひきづりながら台所に背を向けて風呂場の方へ。

 扉を開けて二人横ならびで狭い洗面台の前に立つ。

平時の篠崎さんと居心地の悪さがモロに表情に出てる対比が鏡に写し出されているされている。

煙草の煙が直ぐ側に。指先にジャージが触れる。

「気が付いたか?」

突然の問に心臓が鷲掴みされたかと思った。

「ここ」

指さした先。言われるまで気が付かなかった。

「ヒビが直ってる……?」

理解が追いつかない。

いつか立て壊される廃屋の鏡を誰がわざわざ直す?

「こっちも」

浴槽を見ろと片手をズボンのポッケに入れたままで目を向けられる。

篠崎さんの背中越し。

そこにはたっぷりと湯が張られた。身を浸せば溢れて色鮮やかなタイルを濡らしそうなくらいに。

「ここ…廃屋ですよね?どうしてお湯が?」

篠崎さんが浴槽の側で屈んで、手を入れる。

「いや、篠崎さん!そんな得体の知れないのに触ったら!」

「いいから見てろ」

腕で掻き混ぜても浴槽の湯が揺れない。

手を椀にして引き上げてもお湯は一滴も掬われてない。腕も全く濡れていない。

 余りに現実離れした光景にたじろいでしまう。

「これは現実じゃない。かつての日常を再生しているだけだ」

しているだけと言われても。

「そうなんですね」と納得できる部分が全く無い。

「篠崎さんがやってるんですか…?」

思いあたる節がある。

鮫岡夫婦の家だ。

あの時、夫婦を出現させたのは篠崎さんが書いた御札による物だった。

未練を断ち切る為の物だとかなんとか。

「これは違う」

「ご飯よー!」

廃屋中に朗らかな女性の声が響く。

用件だけの短い呼び掛け。

「はーい!」

遅れて少女の声が二階から。

階段を駆け降りて廊下を走る音が。

開けっ放しの扉から廊下を見れば髪をなびかせる後ろ姿。

「降りてきたか…」

少女の後を追う形で篠崎さんと台所へ向かう。

勢いそのままに扉が開かれる音。

後を追って篠崎さんが実際に開ける。

そこに居たのは写真の通り肉づきのいい女性だった。 

 西日が差す台所は懐かしい匂いがする。

炊飯器が出す米の匂い。テーブルに並ぶ野菜の煮物。焼き魚の油。得意としてた胡麻豆腐の胡麻を炒った香。

「さっ、暖かいうちに頂きましょう。あさひ」

本当に懐かしい声。



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