胡麻の廃屋 20
昼下がりと夕暮れの間の高級住宅街を黒塗りのタクシーが走る。
後部座席の白木さんが篠崎さんに抱きついたまま先に降りて僕が料金を支払った。
歯医者に無理矢理連れてこられた子供か。
「またのご利用をお待ちしています」
運転手の若そうな女性は、最後まで無愛想で顔がよく見えなかった。
ほんの数日振りなのにとても懐かしく感じる。
刻々と茜に変わっていく。
胡麻を炒る香りはしない。
長く落ちる影の上で、白木さんは膝が震えて立っていられないようだ。
腰が引けるのは共感できる。
高級住宅の白壁や滑らかな木面が日を反射して輝くのに対して廃屋は吸い込んで無尽蔵に闇に沈んでいる。
踏み込んだ足が底なし沼のように足掻きも出来ずに呑み込まれる。
そんな筈はないのに。
「着いちゃいましたね……。あぁ、嫌です…。また中に入るなんてもう無理ですぅ……」
「爪立てるな信号機」
白木さんは自分が信号機などと妙なあだ名で呼ばれたのに気がついていない様子だ。
一歩一歩、玄関に向かっていく篠崎さん引き摺られる形の白木さん。
体重をかけて篠崎さんを止めようとしても悲しい事に軽すぎてまるで重しにならず。
ずりずり。両足の甲が擦れてる。
「いーや!私もう、いーやですぅ!編集長のばかー!」
一段と影が濃く延びた時だった。
顔を上げ振り回して泣き喚く白木さんの頭ががくっと前に倒れた。
後ろから見ていたら、そのまま首から先が落ちてしまったように。
真っ直ぐ前だけを見ていた篠崎さんも腕を離した白木さんの方を見た。
最初から嘘泣きだったかのようにぴたりと泣き止む。
確かな足取りで自ら玄関へ向かい開けた。
「白木さん?」
声掛けに全く反応しない。ふり向かない。
迷わず一人で廃屋へと。
「白木さん!」
駆け出して篠崎さんに肩を掴まれた。
反動ですっ倒れそうになる。
「焦るな。あいつの役割だ」
役割?役割とは?
「役割ってなんですか!?白木さん明らかにおかしいですよ!」
いつの間にポケットから出していた煙草を咥えて上目で睨みつけてくる。
この鋭さが篠崎さんだ。
急速に焦りから頭に昇った血が心臓に戻っていく。
呼吸も平常に。
煙草の長い灰の落ちた行方に目を配るまでに落ち着いた。
煙の臭いが鼻先を通り過ぎていく。
互いに見合って動かない。
篠崎さんは白木さんの異変を「役割」といいきった。
即ちこれは、彼女の想定内でこの先の見通しも立っているようだ。
「行くぞ」
肩を掴む手が離れた。
緊張から開放された筋肉に課すかな痺れが残っている。
篠崎さんの一歩後ろを歩く。
玄関に白木さんの姿はない。
階段を踏む軋んだ音もしない。
二手に分かれた廊下。
右のリビングを兼ねた台所の方から胡麻を炒る香りがする。
何の躊躇もなく香りの方へ。
襖の反射の夕焼けと窓から差し込む夕焼けの間を歩む。
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