昨日の薬指 22

寝不足でふんわりする頭に泣き声って響くもんやな。

思考が纏まらない、言葉を掛けられない自分に苛立つわ。

「レディさん…。まだ居る?」

弱々しい声でうちを呼ぶ。

居るに決まっとるやん。この件はうちがケリを着けると決めたんや。なんぼでも待つわ。

「私……狡い人間なんです。レディさんに姉さんの事を言われた時、咄嗟に計算したんです。」

「何を計算したんや?」

「預かった切り抜きの資料、今日お渡しする約束しましたよね?私が姉さんに何をやっても、レディさんならここへ来てくれると踏んだんです。」

扉の下から、資料が挟まったクリアファイルがすっと滑り出てきた。

「まだ個人情報の扱いが雑な時代の記事のコピーです。住所まで載っています。」


1階から薄っすら米の炊ける匂いが漂ってきたと思うと、美千江さんがお粥を作って僕が起きるのを待ってくれていた。

 昨日は帰ってくるなり倒れたからな。

敏之さんと美千江さんには心配を掛けてしまった。

辻岡で見たあられさんの姿が自分と重なって見えた。

姉二人と比較されて育ってはいないが、劣等感を抱いて生きてきた。

何をしても周りに劣って、新しい事に挑戦するのが怖い。覚えが悪くて、教えてくれる相手を絶対に怒らせた。

褒められた事もある。小学生の時に授業で書かされた作文が、先生に素晴らしと褒めてもらえた。

唯一と言っても過言ではない褒められた思い出。

僕が作家になりたいと思った動機。

色んな思いが吹き出して意識を失ったんだ。

「まだ顔色が悪いわね。無理してまで食べちゃ駄目よ。」

小鍋から茶碗にお粥を盛りながら僕の顔を窺ってくる。

嬉しいけどこそばゆい。いや、嬉しくてこそばゆい。

 茶碗の中で形を保っていた米粒は舌にのせると優しく崩れ、鰹節の薫りを放つ。

温かくて滋味。辻岡の料理に劣らない家庭の味だ。

飾らない「美味しい美味しい」が、自然と口に出る。

食べ切れないと思ったが結局平らげだ。

チャイムが鳴ったのは、完食の余韻に浸っている時だった。

「私が出るからお母さんは座ってて。」


今のうちとあかりを繋ぐのは、クリアファイルに挟まったA4の資料だけや。

 杉ちゃんの仕事の話をティンカーの喫茶店で聴いた時は、話の突っかかり程度の事で深く聴くつもりや無かった。

やけど状況が変わった。「成仏するまで一緒にいるつもり。」やと。

 杉ちゃんが担当してる事故物件の一軒家。夫婦無理心中の家。

「可愛がって貰ってる。」って、無理心中で亡くなった夫婦やで?

相当強い想いを残して亡くなってる筈やのに。

もういつ成仏してもおかしくない程、想いを断ち切れたんか?

 どうやってや?杉ちゃんはどうやって夫婦の鎖を断ち切ったんや?

こうなったら直接聴きに行かなあかん!

こうしてうちは、百貨店で買った菓子折りを持って、鮫岡家のチャイムを押したんや。








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