バターナイフの切れ味は 10

今まで生きてきた20年間の中で、僕が自分の両親と同じ年頃の人と面と向かって話をしたことは殆どない。

中学、高校時代も若い先生とは、それなりの会話は出来たが、どうしても年配の先生というのは、両親の影と重なるのだ。

僕は両親が苦手なんだ。正確には父親の事が苦手。堅苦しく無口で、たまに話す事は、勉強や進路の話ばかり。

敏之さんが親父にみえる。出来ることなら話たくない相手だ。

夫婦は、自分達が既に死んでいる事に気付いてないようだ。だから、僕が自分達の家に居ることに困惑して、生きているように振る舞う。

「初めまして。僕は杉原達郎と申します。」

「泥棒の自己紹介なんていらん!何故、我が家に居るのか聞いているんだ!」

見える人が見れば、幽霊は生きてる人間と区別がつかない。と、本で読んだ事はあったがこれ程とは。

顔を真っ赤にして、指を何度も指してくる動作。幽霊とは思えない。

敏之さんの隣に立つ美千江さんは、生前もそうであったのか、敏之さんが言葉を発している間は、俯き、肩をすぼめて小さくなっている。そのまま石になってしまいそうだ。

「さっきから言ってるだろ!何故、我が家にいるんだ!」

「単刀直入に申し上げます。敏之さん、美千江さん。御二人は既に亡くなっているんです。」

頭の中の辞書から、乏しい敬語と形式的な文句を引き上げては、何とか雰囲気に呑まれないように、あくまでも淡々と話をする。

二人に亡くなっている事を認識させなければ、何も始まらない。

「何を言い出すと思えば!お前はあほなのか!?」

「敏之さん、今日は何月何日だと思いますか?」

「何故、そんな事に答えなきゃならんのだ!」

「質問に答えて下さい。答えて頂ければ、僕は出ていきません。」

怯むな。呑まれるな。

「答えればいいんだな!10月15日だ!締め切りが迫っているのだから、とっとと出ていってくれ!」

無言で無表情で、リビングのテレビのリモコンの電源ボタンを押す。

爽やかなBGMと朝のニュース番組が流れる。

「来週はクリスマスですね。寒さは一層厳しくなりそうです。」

テレビ画面の中、野外から中継している女子アナは、秋の格好には相応しくない厚手のコートを羽織っている。

「もう一度だけ聞きます。今日は何月何日ですか?」

敏之さんは、さっきまでの威勢が嘘のように唇をわなわな震わせ、テレビに釘付けになっている。

「そんな筈はない...。今日は10月15日だぞ...。このアナウンサーは何を言っているんだ...? 締め切りは...?どうなっているんだ?」

「繰り返しますが、お二人は既に亡くなっているんです。」

敏之さんは真っ赤な顔から真っ青になると、崩れ落ちた。

「馬鹿な...。何かの間違えだ...。」

気の毒に思うほど、小さくなっている。だが、事実を伝えなければいけない。

「貴方、私はもう疲れました。お仕舞いにしましょう。」

美千江さんの声はか細いが、芯が通っていた。





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