バターナイフの切れ味は 8

夢の中では起き上がって動いているというのは、感覚が矛盾してどうにも気分が悪い。

視界は全体的に、透明な渦を巻いてぼんやりと。シロップの中で泳いでるようなまとわりつく重さ。

イラストが描かれた風船も膨らまないと何が描かれているか分からないように、幾つもの音が足音と同時に鳴っていては、正体がまるで掴めない。

場面も飛び飛び。

階段を降りる途中から次は口を濯いで。

不明瞭でも、床を這うゴキブリを指差す人のジェスチャーは分かるものだ。

リビングでパンを噛って、床に髪の長い女性が倒れている。

助けようと藻掻けば、視界の端から暗闇が滲出する。

目が醒める前に聞こえたのは、男性の叫び声。そして、胸に鈍痛。

暖房を点けていない冬の朝。一層寒く感じさせるのは、寝巻きが張り付く程に掻いた寝汗。

物音ひとつしない部屋で、張り裂けんばかりの心臓の音は耳もとで大袈裟な程。

何度見ても慣れないものだ。喉がひりつく。

水を求めて階段を降りる。夢をなぞっているようだが、視界も聴覚も今は正常。

正常なはずだ。なら、なんで台所に髪の長い女性が立っているのが見えるんだ?

部屋の寒さ、外側からの冷えとは異なる内側から氷が張ってゆく感覚。

見たい訳ではなく、動けないので必然的に女性を観察する事になる。

シンクの蛇口の下に手を突き出し、手を洗っているように指をくねくねと。

まな板の前で包丁を使う仕草をして、トースターを開ける。

取り出したかと思うと、リビングのテーブルに運んで並べる。

椅子に座って暫く、立上がって顔を上げると床へ倒れた。

「ああ゙あああ゙!許してくれ美千江ぇ!」

耳もとで叫び声が響いた。


「それはそれはぁ、朝から災難だったねぇ。」

呼び出し音1コール以内で必ず電話に出る辺り、小田は常にスマートフォンを弄っているのだろうか?

まさかとは思うが、全てお見通しで電話が掛かってくるタイミングを把握している訳ではないだろう。

そうとは言い切れない圧が、小田からは確かに滲んでいる。

「まぁ、あんまり続くようだとぉ精神的にもつらいだろうからぁ、杉原君からの報告を僕なりにまとめるよぉ。」






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