バターナイフの切れ味は 6
電車の中で書類を読み耽りながらぶつくさ呟く人間がいれば、注目の的にも成るだろう。
周りの乗客から深く突き刺さる視線を浴びようと、止める事が出来ない。
事故物件の資料には、今まで生きてきた中で全く関わった事のない文字が当たり前のように羅列されている。
事件発生の日時、被害者、死因。
刑事ドラマで聞いた言葉。
目撃証言あり。霊障。
こんな言葉が賃貸物件の資料に書かれてなんているものか。
読みながら、自分はとんでもない事に関わったんだと、深く穴の底に落ちる感覚が視界までも蝕んでゆく。
「ほら、まぁまぁ。先ずは紅茶でも飲んでさぁ。」
小田の気の抜ける話し方に、苛立ちより不思議と心が落ち着いていく。
人間は極限に立たされると、体に思わぬ変化が起こるようだ。
「で、誰が自転車を受け取ったか分からないと。」
「そうなんです。当たり前ですが家には僕以外は居なかった筈なのに。」
「遠慮せずに食べてよぉ。美味しいケーキだからぁ。」
着いたときはちょうどおやつ時だったようで、紅茶とケーキの甘い匂いが案内所に漂っていた。うん、鮮やかなベリーが添えられた美味しいチョコレートケーキだ。
花子も口回りにホイップクリームを付けている。
「うんまぁ、対応したのは亡くなった鮫岡さん夫婦のどっちかだろうねぇ。」
ケーキを頂いた後に紅茶を楽しむように、当たり前の事と言わんばかりの小田の一言。
「なに言ってるんですか?冗談は止めて下さいよ。」
「杉原君さぁ、怖い話好きなんだよねぇ?なら、地縛霊って言えば分かるでしょ?こういう物件にはよくあるんだよぉ。」
地縛霊って、その場所に強い想いを残して成仏出来ない幽霊じゃ。
「成仏出来て無いって事はぁ、何かあるんだろうねぇ。」
「まっ、丁度良いからぁ、杉原君、夫婦を成仏させてあげてねぇ。」
案内所に関わった二日間。今までの人生を根本からひっくり返す事ばかり起きて目眩がする。
都市伝説と思っていた瑕疵物件に住む仕事。生きている人間のように振る舞う幽霊は地縛霊ときた。
「成仏させてって言われましても...そんなのどうやって...。」
「手探りでやれってぇそんな残酷な事は言わないよぉ。お話を聞いてあげるんだよぉ。何で成仏出来ないかはぁ、当人に聞かなきゃ分からないしぃ。」
いや、無理です。あり得ない事過ぎる。今すぐ辞めたい。
「またぁ顔に書いてあるよぉ。そんな事、考えないでよぉ。」
何よりこいつがあり得ない存在すぎる。昨日は大家から追い出した事を聞いていたとして、今度は心を読まれているような、ぐにゃりと溶けた褐色の毒を浴びている気分だ。
「じゃあこれをあげるよぉ。」
渡されたのは4枚のお札。何て分かりやすい徐霊グッズなんだろうか。
「これをねぇ、今回のような怪異が起きた箇所に貼るんだよぉ。因みにこれぇ、篠崎ちゃんの手作りだからぁ。」
「高くつくよ。」
初めて篠崎の声を聞いた。低くてしっとりと露が滴るような声。
「彼、嫌々そうに帰って行きましたね。」
「なんだかんで、頼まれたら断れない性格なんだろうね。」
「あの子、今日は機嫌良かったですね。」
「昨日はケーキを用意してなかったからね。コーヒーだけじゃへそを曲げるよ。」
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