幕開け

裏商店街会合の結果、エメラダはこの世界に留まる事になった。

 黒牟田ならエメラダを悪魔の世界へ帰す事は容易だが、当の本人が見聞を広げる為に残ると言い張ったのだ。

「旅に出る時、母上は言いました。全ては縁。だから恐れず進めと。母上も人間の世界に居た事があると。」

泣いてばかりだったのが嘘のように、堂々としている。

感心している瑠衣香と黒牟田をよそに「なんだ、敬語使えるのか。」と、杉水は場違いな事を考えていた。

「残るのは結構な事だが、擬装が出来なければ話にならん。それにどこに住むつもりだ。」

指でサングラスを押し上げる右左上。

表情は読み取れないが、眉間に寄った皺がエメラダを威圧する。

「それなら私に任せて。」

エメラダと右左上の間に割り込んだのは、瑠衣香だった。

「私の家に住めば良いし、擬装くらいなら教えられる。」

一瞬、肌にピリッとささる空気になったが、右左上が承諾することで元に戻った。

「一週間だ。その間に覚えさせろ。出来なければ送り返す。」


 帰り際、るい姉に手をひかれるエメラダが言った事が頭から離れない。

「杉水、これも何かの縁だ。私の手下になれ。」

「嫌だ。」

エメラダはまた泣き出した。


悪魔達の会合とは、どれ程にファンタジーの棚に並んでいる古本たちに使い回されてくたびれた言葉なのか。

紙にインクで書かれた物を目で追うのと、五感を余すことなく使うのでは疲労感が全く違う。

 その後のアルバイトは悲惨だった。

いつも漕いでる自転車のペダルが重い。やっと店に着いたと思うと一瞬、視界の天地が入れ変わり。

嗅覚が非常に鋭くなったのか、古本特有の臭いを通り越してあまりのかび臭さに吐きそうになる。

 聴覚もおかしい。

視界に入る文字が耳もとに流れ込んでくる。

老若男女、音量も大小様々でエンドレス。

「うわっ!?杉ちゃんどぉしたの?顔が真っ青を通り越して土色だよぉ?」

店長の飯田さんが、ぐったりと椅子に座る僕の顔を覗く。

こんな時でもその声は、心配より興味の色が勝っている。

「実は、悪魔の会合に参加しまして。」なんて言えるはずがない。

悪魔の存在については他言無用と、右左上さんにキツく言われているのだ。

 そりゃそうだ。正直に話したところで悪魔なんて誰か信じるか。

オカルトマニアな店長なら喜んで食いつくだろうが。

何しろ古本と一緒に謎の骨董品が並べられてる店だ。

 絵画や人形は勿論のこと、針のない時計に使い方の分からない天秤、さらには何か入っているかどうやって開けるか分からない箱などなど。

近所の人達からは「異世界のガラクタ屋」と囁かれる始末だ。

ちなみに店長は、その呼び名をいたく気に入ってるらしい。

「本当に大丈夫ですか?車で家まで送りますよ。」

水の入ったペットボトルを持ってきてくれる男鹿さんこそ、人としての模範解答なのだ。

 こんな対極的なふたりの経営者で成り立つこの店は、確かに異世界だ。


男鹿さんの好意を断り自力で帰るを選択した事を後悔したのは、店を出て直ぐだった。

 アスファルトに油を滲出させて、道路を歪な虹色に輝かせる日射し。

元凶たる夏の太陽を重量感のある雲が覆ったと思えば、たちまち雷雨となった。

 これは好意を断った天罰とでもいうのか?

理不尽過ぎないか?自転車で10分の道のりが永遠に続くようだ。

ペダルが来たときより重い。

 アパートに着き、濡れた衣類を洗濯機へ放り込んだ。

雨に奪われた熱を取り戻そうと、体が必要以上に熱くなる。

もう駄目だ。

新しいTシャツに着替えて布団に潜り込む。

眠りに墜ちるのは一瞬だった。

 誰かに呼ばれた気がした。

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