まおちゃん(19歳/業界未経験)

初っ端から汚いお話にはなりますが“まお”ちゃんになった日というものは、夜な夜な洗面所で指を口に突っ込んでました。まともに食べてない日にゲロが出た時は嬉しかったです。

泣いていると、やるせなくなってしまって自傷行為をしたくなる日もありました。

ですが風俗業界でのルールで、自傷行為によって出来た傷がある場合、貰えるお給料がかなり下がるといった暗黙のルールがありました。なので我慢してました。代わりにオーバードーズをしていました。



そんな私でしたが、営業終了後に渡されるお給料をお財布に詰める瞬間は唯一凄く嬉しかったです。

日を増す毎にお財布が一万円札でどんどん太っていくのが好きでした。そんな太ったお財布を開くとたくさんの福沢諭吉の顔がこんにちは!ってしている光景は見ていて凄く気持ちよかったです。

仕事の待機中や仕事行く前はバッグからお財布を取りだして一万円札をテーブルの上に並べて1...2...3...と一万円札の数を数えて、今日はあとこのくらい相手したらこれが買える!と自分を奮いだたせて、やる気を出してました。


“まお”ちゃんになった事で、授業で必要な道具も困ることなく購入出来ました。

“まお”ちゃんになれば、一日で家賃分は稼げたので家賃代も困りませんでした。


数ヶ月経った時には、‟まお”ちゃんになった日も泣かなくなり、嫌悪感や罪悪感も日に日に薄れていってしまいました。

慣れてしまったのでしょう。慣れというものは怖いもので、そういうことに対して何も思わなくなりました。



そして私は、冬頃に学校もそのまま辞めてしまいました。

正直、カメラの方も学べば学ぶほどに苦手になってしまってました。

そして学校のために風俗で働いていたはずなのに、お金を稼ぐことの方が楽しくなってしまってました。



お金を持っていない人間が中途半端にお金を手にしてしまうと、ついつい欲張ってしまうんですよね。

お金を持ってない人間だからこそ、お金を手にすることで悲しいことに、どんどんと卑しい考えになってしまうのです。


例えるなら、パチンコや博打と一緒で、それらの娯楽で大きなお金が手元に入ってしまうと辞め時が分からなくなる感じ。

パチンコならば、ある程度回したからあともう少しでリーチが来るかもしれない。

博打ならば、今回は当たるかもしれないといった感じで、目の前にお金がもっと手に入るかもしれないといった可能性が広がっている中で辞めれる方というのは恐らくなかなかいないと思います。

それらを辞めれる方というのは、何か大きなきっかけが無いと実際苦しいと思う。もしくは元々ちゃんと娯楽として割り切れていた人間だと私は思うのです。


それらと一緒で中途半端にお金を手にしてしまった私はもっとお金を手に入れたい、もっと働いていたら沢山お金が手に入るのに。

頭の中はこんな事ばかりになってしまいました。



風俗業界で働いて分かったことは、一カ月と少し働いたらお父さんの葬式代は余裕で稼げてしまうということでした。元はといえば、家族葬のプランで組んでいたので葬式代も優しいお値段の方だったとは思いますが、それでも最期にかかるお金は高いものです。

ですが、人間の一生を締めくくる最期にかかる金額というのは最期なのにこんな程度なのかという事を19歳の時に思い知らされました。


そして、学校を辞めたことに関しては、今でもお母さんに対して申し訳なく思ってます。

どういうかたちにして、お母さんに詫びたらいいのか今でも分からない。

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