お金への執着心

予め書いておきます。読んでいて頭の中で話がごちゃごちゃになってしまうかもしれないです。

パンを食べていたのにいきなりお蕎麦を出されて、ステーキを食べてパンを食べる羽目になってしまったような、そんな感じでごちゃごちゃしてます。情報量が多いかもしれません。




一応、高校も無事に卒業しました。恥ずかしいので理由は書きませんが皆より遅れて私一人で先生に囲まれながら校長室で卒業式を私はしました。ちなみに、卒業できた理由も‟可哀想な子”扱いでした。腹が立ちます。


そんなこんなで、専門学校に入学が決まった私は関東圏に住むことになりました。俗に言う一人暮らしをはじめました。

専門学校は、カメラの学科に入学しました。


今でこそ、インスタ映えという言葉が生まれたりしていたりしてカメラや編集に関して注目されてますが、当時カメラに興味を持ってる人も少なかったのでカメラの学科の人数も少なく、クラスのみんなと表面上では打ち解けるのも時間はかかりませんでした。

しかしまぁ、今思い出しても笑えるくらいに、私がいたカメラの学科は「おやすみプンプン」で有名な浅野いにおの影響を受けているのか知りませんが、捻くれている方が非常に多かったです。

そんな訳で結局今でも連絡を取っているのは、全然関係がない他の学科の子です。


専門学校の生活にも慣れ、充実はしてました。

しかし、カメラの機材の一つ一つが高く、フィルムは一週間に九本消費するといった課題内容、二週間後には新しいカメラを用意するように言われたりと、自由に使えるお金はもちろん少なく金銭面の余裕というものがありませんでした。

現状、私の周りは仕送りをしてもらってる子が多かったです。ですが、お母さんに頼ろうという概念もありませんでした。


なぜなら、何度か書いている私が憎くて仕方がない祖母が、詳しい時期は分かりませんがお父さんが病気になっているにも関わらず、昔から契約していた保険を勝手に解約していました。一つだけ解約していない保険はあったようですがそれは新規契約した方なので死亡した後の保険金も大しておりませんでした。

お父さんが成人してから契約していたこと、病気になる前から加入していたこと、後に合併症も含んでいたことを考えるとかなり大きい金額がおりるはずだったのですが目先のお金欲しさに祖母は勝手に解約していたのです。

そして医療費と葬式代に関してはお母さんの保険の貸付制度を使って一時的にお金は支払えた状態です。

お父さんが死んだ後に遺族年金で国から多少のお金が貰っていたのは知ってましたが、精一杯の生活をお母さんもしているわけなので、仕送りをしてもらおうだなんて頼めませんでした。送ろうか?と言われても断ってました。

奨学金制度を利用したとはいえ、敷金礼金など出してくれたのはお母さんなのでこれ以上甘えることもできませんでした。


ここで少し、話は逸れてしまいますが祖母がどれだけお金に対しての執着があったことが分かるお葬式での出来事を書かせてください。


お父さんのお葬式というものも、金額を抑えるために家族葬というもので最初はする予定でした。しかし、お母さんと私はさすがにこの会場は小さすぎないか?と意見したレベルで10人入るレベルの小さい会場を祖母は張り切って貸し切ってましたが、予想に反する人数が来ました。外に待機していた人が大勢いました。


そして、私が祖母に対して元から持っていた嫌悪をさらに強く感じた極めつけの出来事は棺桶の選択の時でした。この時が一番見てられなかったです。

お父さんは、ラグビーをしていたこともあり、身体も筋肉質でガッシリしている体系をしていました。

お父さんがガッシリしているのは誰よりも息子である祖母が一番知っているはずなのに、元からプランに組み込まれているスタンダードなサイズの棺桶を祖母は要求しました。

その要求を聞き、葬儀社の方は苦笑いしながらプラス料金を提案してきました。私もお母さんも葬儀社の方の苦笑いを見てスタンダードな棺桶がいかに小さいことが想定できましたが、実際にスタンダードな棺桶を見た時に「あ、これは無理だわ」と即思い、お母さんと思ったことは同じだったのかプラス料金かかってもいいから大きいのにしよう。と祖母に伝えましたが無駄でした。

人間が亡くなった後というのは、死後硬直というものがはじまるのですが(死後硬直というのは、冷たくて硬くなります)その死後硬直を祖母は利用し、まるで荷物を詰めるかのように、ゴミを扱うかのように力に任せて、棺桶に私のお父さんをギュウギュウに押して詰めだし始めました。

私が止めに入っても「いいから見てなさい!」と言い、力も緩むこともなくお父さんを押すばかりで、その異常な詰め方と葬儀社の方も私もお母さんも開いた口が塞がってませんでした。

お父さんが棺桶に入りきった時には、ほらいったでしょと言わんばかりの顔をしていましたが、お化粧を軽くしてもらい安らかなお顔をして眠ってるお父さんが苦しそうに見えました。


だいぶ話が逸れてしまいましたが、そのくらいお金に執着があるような祖母でした。



一人暮らししている時にお母さんが何度も電話で「大丈夫?」と、私を心配してきましたが、お母さんも生活に余裕があるとは言えないのも分かっていました。仕送りというものも申し訳なくて断ってました。


お昼の仕事を掛け持ちでも良かったのです。

ですが、再来週までには用意しなければならないお金がある。となると、日払い可能のお仕事ではないと厳しい現状でした。

そんな時にカメラ関係の道具を買いに、新宿に行った帰りにお兄さんにスカウトをされました。

スカウトと聞いて皆さんが想像するのはよく聞く「芸能のお仕事に興味はありませんか?」といったものだと思いますが、その時声をかけてきたのは‟高収入のお仕事”をメインに取り扱ったスカウトさんでした。そのスカウトさんの見た目は美容師さんにいそうな方でした。

ちなみにこの‟高収入のお仕事”をメインにしたスカウトはあつまれどうぶつの森でいうスズキレベルでうじゃうじゃいます。目があったら声をかけてくるので奴らはポケモントレーナーと一緒で繁華街のスカウトというと‟高収入のお仕事”のスカウトが割と一般的になってしまいます。

上京したてだった私は、東京は高収入?!時給が高いお仕事がたくさんあるんだ!と単純に思いました。本当に馬鹿です。良く言えば、純粋です。会社名を聞き連絡先を交換し、後日カフェで詳しく話を聞くことにしました。


連絡先を交換した後日、渋谷のマイアミガーデンというカフェで話を聞くことになりました。

その時に私が頼んだのはオレンジジュースでした。大きなお洒落なデキャンタのようなボトルに入れられたオレンジジュースが来た時には、すごい!都会だ!お洒落!と胸が高鳴ったことを覚えています。

オレンジジュースを飲みながら私はスカウトさんのお話を聞きました。

どうやら‟高収入のお仕事”は夜職関係でした。


キャバクラなら当時は小悪魔agehaが人気だった時代だったこともありましたし、自分の中でなんとなく抵抗はありませんでした。キャバクラなら大丈夫と私は伝えますが、スカウトさんの方はキャバクラよりも風俗を勧めてきました。

風俗…いくら知らないおじさんとヤッたとは言え、調教されたとは言え、風俗をするのには抵抗がありました。

上京してそこまで間もないのに知らない土地で、複数の知らないおじさんと色んなことをすると思うと、血迷って一時期は調教というものもされていた身ですがやっぱり想像しただけでも勇気が出ませんでした。


ですが、今の金銭面の状況の相談ができる人はこの人しかいなかったこと、他で探したところでもっと変なところだったらどうしよう、今ここでその勧誘を断ってしまったらせっかく親身になって相談に乗ってくれているのに、その相談してくれてる人を手放すことになってしまう。と考えたら心細くなりました。そして現に切羽が詰まっていたこともあって焦っていた私は、意を決して面接を次の日にしてもらうことにしました。


ちなみに、今でも相変わらずマイアミガーデンに行った時には、そのオレンジジュースを頼むのですがやっぱり相変わらず胸が高まります。ですが、初めて頼んだ時と違うことがあります。そのオレンジジュースを飲んでいると美味しいのですが悲しくなってくるのです。

なので、私にとっては結構良くも悪くも思い出があるオレンジジュースです。

きっかけになったのだから。



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