可哀想、頑張って。という言葉が嫌いです。

お葬式や火葬の時をきっかけに嫌になった言葉があります。


名前も顔も見たことないおばさんやおじさんが私に

「まだお父さんも???ちゃんも若いのに、可哀想にね」

と言ってくるのです。


元々「可哀想」という言葉に違和感は感じてましたが、それ以来「可哀想」という言葉がすごくすごく尚更に嫌いになりました。

「可哀想」と言われたことに対して「私は俗に言う可哀想な子なんだ」と実感させられ、「自分は哀れな子」と思いたくもないのに思ってしまうからです。

「可哀想」って非常に便利な言葉ですよね。どう意思を表せばいいか分からない時に、その五文字で他人に哀れんでいることを示す事ができる言葉だと思っています。

言われた方からすると他人事で相手が上に立ってるのも伝わるから尚更に嫌いです。もちろん、他人ではあるのですが。

私は私なりに頑張っているのに、全てを「可哀想」でまとめられるのが苦しくなります。


それと同時にもう一つ、時と場によって私が嫌いな言葉が「頑張れ」という言葉です。

どうにも辛いときに「頑張れ」と言われると、苦しくてしょうがなくなる。

「可哀想」と一緒で「頑張れ」も便利な言葉で、他人事でまとめることができます。

辛いときに言われると、これ以上何を頑張ればいい?と思います。

私の何を知ったうえでそのように「頑張れ」と言えるのでしょうか、評価できるのでしょうか。

更に思うことを述べるとするならば、向上心をあげたくて相手は言っているのだと思いますが頑張った後に「もっと頑張れ」と言われると一気に終わりが見えなくなってしまうのは私だけでしょうか。




今も

「辛い経験したことある?」

と一応は“ 普通の子”を演じているため、よく聞かれることが今もあります。

相手が軽い興味本位で聞いてくるのは良いのですが、少しでも話すと相手が言葉に詰まってこれらの言葉でまとめられたことも多かったので、私は今まで書いた事柄もこれから書くことも実生活ではすべてを話したことはないです。

ただ、ここに書いていないことも含め唯一、親友だけは大半知っています。ですが心療内科でも自分の生い立ちや心境を語ることは苦しいです。



あ、お話を戻しましょう。そのような「辛い経験したことある?」と質問してくる時点で、自分だけが辛いと悲観的になり、自分の事だけを考えているからこそ出てくる質問であり、それらの言葉でまとめられるのも分かるので私は笑顔で

「えー!よくわかんない!」

「起きるのがつらい!」

と、冗談で笑って言って話を変える癖があります。

全てを言う価値もないと思ってます。言ったところで返って私が悲しくなるだけなので。


そして自分の人生は決して誇れるものではないことも分かっています。


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