実感した日
お父さんが死んだという事をちゃんと実感したのは、告別式の最後のお別れのときでした。
次にお父さんの姿を見るときには火葬場なのも分かっている事なのでお別れを強く感じ、蓋を閉めたくありませんでした。
自分の中で何か糸が切れたようにその時初めてお父さんが死んだことに対して、人前で泣きました。
火葬の時も悲しかったのは悲しかったのですが、泣きませんでした。
死に対して人前で泣いたのは告別式が最初で最後でしょうか。
お父さんとお別れをした日にも体調が優れていなかったことと、四日後には専門学校の受験があった為いっぱいいっぱいだったのでしょう、悲しむ余裕もあまりなかったのかもしれません。
専門学校の受験の日は大雪で飛行機の欠航が決まった為、マンションを専門学校側が手配してくれました。それが中目黒のマンションだったのですが、中目黒と目黒を勘違いしてキャリーケースを引っ張って地図を見ながら、三時間目黒を歩いたなあ。大雪で滑って3回転んだなあ。ブレーカーの付け方が分からなくて、マンションの近くにあったローソンの店員さんにブレーカーの付け方を聞いたなあ。
そんなこんなで、受験も終えてひと段落ついたときに、この出来事を忘れないようにお父さんのパソコンのほうがいいパソコンを使っていたのでお父さんのパソコンでmixiに未公開で日記に書こうと思いました。
お父さんが座っていた椅子に何気なく座り、マウスを動かして画面が明るくなったのはいいのです。
お父さんがしていた麻雀のゲームの「流局」という文字が画面にうつりました。
お父さんが死ぬ直前までしていた麻雀のゲームの形跡が残っていること、お父さんの麻雀のゲームしている姿をもう二度と見ることもないこと、今座っている椅子もお父さんが座りすぎてお父さんの形になっていること、デスクトップにあったお父さんの病歴のメモを見たら、お父さんを感じてしまい、そしてもう会えなくなることを改めて感じてしまい、一気に自分の中で込み上げてくるものがあり、苦しくなって声をあげて泣きました。
余談ですが、私は摂食障害というものはある程度克服してましたがお米だけ唯一それまで食べれませんでした。
父親が亡くなったお通夜の日に出た海苔巻きを見て、ここで食べないのは違うかなと思い口に運びちゃんと飲み込みました。ちゃんと噛んでちゃんと飲み込みました。お父さんの死がきっかけではありますが、今もお米を食べれるようになりました。
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