生きるとは

集中治療室にいたお父さんは夕方とは違い、顔も青ざめていて生気を全く感じられませんでした。乳首をつねっても起きそうにないのも一目瞭然でした。


夕方に聞いた心電図の音と集中治療室の心電図が伝えてくれる心臓の動きというのは全然違いました。

テレビでよく見る電気を与える度に体が大きく跳ね上がる機械をやって貰いますが、その瞬間だけ明らかに動きは活発になりますがそれも一時的でした。


集中治療室に響き渡る心電図の音と共に先生が今は機会によって生かされている状態と説明してきた後にこのまま植物人間にするか、見届けるか。の選択を迫られました。植物人間になった場合お金が結構かかってしまうこと、助かったとしても障害や記憶が無くなってる事もあるとの事でした。


シミュレーションゲームかのように選択をさせてきますが急遽凄い選択だなぁと。


お母さんは判断に迷ってるようでした。

私は、私が一生懸命働くからお金がかかっても助かる可能性があるのなら植物人間にして欲しいと言いましたが、祖母は植物人間になる場合の金額を聞いた後、金額を聞いた後にそのまま見届けると言った意見でした。


私はすぐに決めなければならないと言う決断と共にそれを急かすかのように、心臓の動きと数値がゆっくりになっていく姿が嫌で目を逸らしたかったんだと思います。

電気によって体が大きく跳ね上がる姿というのは痛々しい姿でしたが、医者に跳ね上がるやつをしてもらう様に頼んで何度かしてもらいました。

しかし、お医者さんにこれ以上すると障害が残りますと淡々とした口調で言われしまいそこで私たちはハッとし、決断することになりました。



機械でこれ以上生かされるのも可哀想だ、という事で楽になってもらうことを選びました。


選んでからはあっという間でした。

ドラマで見るあの光景と全く一緒で、生きることを辞めたあの嫌な音が室内に響き渡り、目にライトを当て、時計を見てお父さんが居なくなったことを医者は伝えてきました。

実感が湧かなくて、だからこそ悲しいだとかよく頑張ったね。だとかそういう感情も湧かずに涙というものも出ませんでした。

自分はその時どのようなお顔をしていたのかも分かりません。お父さんが見ていたのならお父さんに聞きたい。



そのあと一度自宅に帰りました。

お父さんがお昼ご飯に残した、すっかり乾ききってしまった焼きそばを見ながら色々と考えました。


お昼まで普通だったのになぁ

その日は食欲無いから後で焼きそばまた食べるって残してたけど、もう食べれないし、嫌がってた七草粥も食べれないじゃん。

昨日は日付変わった夜中に遅くまで友達とSkypeをしていたことに対してお父さんに叱られ、友達には親フラだwwと言われ、私だけが言われることに対してイライラして「あーもう、死ね!」と縁起でもない事をイラついた勢いでお父さんに向かって思ってしまったら本当に死んじゃったなぁ。

その事もあって、最後に話したのは喧嘩だなぁって

人間、呆気なく死んでしまうんだなぁって。

死にたがっている私よりも先に死んじゃったなぁって。


お父さんが居なくなってしまった実感がありませんでした。


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