忘れない日

お父さんは病気でした。所謂、糖尿病。祖父の遺伝による糖尿病でした。

そこから白内障になり、義眼の手術の話が出ていたくらいの重度の緑内障になり、そこからお父さんも精神が不安定になっていくわけですが、さらに身体がもともと糖尿病の影響もあって免疫力というものがなかった為、足からばい菌が入り、義足になる話も出ていたりで終いには心筋梗塞になり透析に通っていましたが心筋梗塞による心不全で亡くなりました。





話がややこしくなってしまうため書いてませんでしたが私が高校一年生の夏頃から小さな病院に通う事から始まり、冬頃には大学病院に入院していました。

その為、私が高校二年生から高校三年生の時には、日赤と大学病院の梯子だった為、家にお父さんがいることは少なかったです。一ヶ月自宅にいればいい方でした。



お父さんは今まで、目や脚の最悪の事態は間逃れていましたし、たまに冗談で発作の真似もして私とお母さんを心配してる光景を見てゲラゲラ笑っていたので、お父さんが死ぬわけなんてないだろうと思ってました。透析も嫌がって、たまにサボってましたし。

亡くなる少し前は「俺はもう死ぬからさ」と、弱音も吐くようになり性格も丸くなり、日に日に心も身体も衰弱していましたが、私はどこか見て見ぬふりをしてたところがあったと思います。

お父さんは強いんだもん、大丈夫だろう。と。




忘れもしません。七草粥の日にお父さんは亡くなりましたが、その日の夜ご飯は七草粥にしよう。とお母さんが前日から言ってた事に対してお父さんが嫌がっていた事を覚えています。

お昼でしたが、夜ご飯の七草粥を作るためにお母さんはキッチンにいました。



いつものように、お父さんはリビングで麻雀のゲームをしていて、私は熱を出していた事もあり熱さまシートを付け寝室のベッドではなく、リビングの近くの部屋にある和室のお部屋にあった万年床になったお布団でゴロゴロと寝っ転がってました。

ごく普通のいつもと変わらない日常でした。



ごく普通のいつもと変わらない日常を送るはずだったのに、お父さんがお母さんの名前を呼び立ち上がった瞬間に大きな物音を立てお父さんが倒れました。

私とお母さんはお父さんの異変に気づきましたが、お母さんはいつもの発作の真似だろうと思い台所から「やめてよ〜」と言いながら、やれやれといった感じで台所からお父さんの倒れたところにお母さんは向かいました。

私も万年床から立ち上がり、嫌な予感を感じながらもお父さんの様子を見に伺いました。


しかしお母さんがお父さんを揺すっても微動だにせず、声をかけても返答もせず、返答の代わりにいびきのような音が聞こえてきました。

この独特ないびきのような音は今まで聞いたことの無い不気味な音でした。



そのいびきのような音を聞き、お母さんは「え?」といった感じでしたが、私は即座におかしい!と思い、リビングから少し離れたところに私は無言で向かい、携帯画面を見つめながらこれは今押す事で間違えてないよね?と自分に言い聞かせ勇気を振り絞り、119という数字をタップし発信ボタンを押しました。



何を話したかは私もパニックになっていた為よく覚えていませんが、住所、現在の状態、誰がいつどうなったのかといったことを淡々と電話のお姉さんは聞いてきます。

そんな事どうでもいいから倒れてるんだから早く来てよ!と思ってましたが時代は凄いもので、確認の為に住所を聞いてきてただけで電話をかけた時点でiPhoneの位置情報というものが向こうには自動的にいってるようでした。

何故分かったかというと、私が電話をかけてる途中に同じ住所から電話がかかってきてる事(お母さんが遅れて電話をかけた)と救急車は既に向かっていることをお姉さんは伝えてきた直後に、救急車のサイレンの音が遠巻きに聞こえてきたためです。


電話をかけてから切り終えてすぐに救急隊員の方がインターフォンを鳴らし来ました。



救急隊員の方が来て再度お父さんを恐る恐ると見るといびきのような音をかきながら、軽く泡を吹いてました。

救急隊員の方の緊迫とした呼びかけから始まる心臓マッサージとAEDでの救命処置。

AEDの音声アナウンスを聞いていると今起きている状況は恐ろしい事というのを改めて感じましたし、日頃暮らしていた自宅でAEDのアナウンスなんか聞きたくなかったです。立ち尽くすことしかできませんでした。


AEDにより一瞬いびきのような音は止まるも再度いびきのような音は続くもので、そのまま救急車でお父さんは搬送されました。



もしも嫌いな音は?と聞かれて私が真っ先に答えるのは、黒板に爪を立てている時の音、救急車の音、心電図の音。この三つです。

救急車の音、心電図の音を聞くと、どうにもあの時の気持ちとあの時目の前に拡がっていた光景が蘇ってきます。

その事もあって私は医療系のドラマとかは見れないです。

そして、救急車の音を聞くと今苦しんでる人が居る事とあの時の私と同じような気持ちになってる人が今現在いると思うとやるせない気持ちになってしまいます。



救急車には1人しか同乗出来ないとのことで、お母さんも気が動転して事故とか起こされたら困るので私はお母さんと車で日赤病院まで向かいました。これ程胸騒ぎしながら、救急車を追いかけながら日赤病院に向かったのは後にも先にもないと思います。



お父さんが緊急搬送されたのはお昼でしたが、夜の21:00過ぎくらいまで母と私と途中から来た祖母3人で病院のロビーにずっと居ました。

途中お父さんの様子を見にも行きました。夕方の時点では、まだ身体もめちゃくちゃ冷たい訳ではなく、どう見ても眠ってるようにしか見えなくて裸になっているお父さんの乳首を思い切りムギュってつねってみましたが、起きませんでした。

そこから時間が経ち厳しいかもしれない、と医師に言われ集中治療室に預かってもらう事になったので、一度帰宅することなりました。



私も熱が出ていて体調もあまり良くなかった為少し休みお風呂等 に入っていた時に、日赤病院から母の病院に電話がありました。容態が悪化したと。

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