3-3

 絨毯。

 ワイン色の。足音を初め、全ての音を吸い取ってしまうほどに柔らかい。

 それが敷き詰められた廊下の先に、〈リーザ〉の部屋はあった。焦げ茶色の扉をノックすると、緑色のネクタイの下級生が現われた。かれは全ての事情を了解済みのようで、〈ぼく〉と付き添いで来た〈アン〉を中へ招き入れた。

 部屋の中では音楽が流れていた。「ゴールドベルグ変奏曲」。チェンバロの音が一粒一粒の音素を逃さないよう精確に捉えている。〈リーザ〉の付き人がレコードを止めようとするのを〈ぼく〉は制した。

 床には、花の模様をあしらった絨毯。けれど、これが花だとわかるまでには少し時間が掛かった。初めそれは、マンダラという東洋の模様に見えた。左右対称の図柄は輪郭で別の模様を形作り、その輪郭がまた別の模様の輪郭になっている。辿れば辿るほど、身体ごと吸い込まれてしまいそうになる絵柄だった。

 部屋の奥、窓辺にベッドは置かれ、そこに〈リーザ〉の姿があった。かれは真っ白なクッションに身を沈めるようにして上体を起こし、窓の外を向いていた。付き人の下級生が呼び掛けると、かれはようやくこちらを向いた。

 虚ろな眼。たしかに〈ぼく〉の方を見ているけど、〈ぼく〉が映っているようには思えない。似たような眼差しを、〈ぼく〉は前にも見たことがあった。

「お久しぶりです、先輩」

 すると〈リーザ〉の口元に薄く笑みが浮かんだ。かれは言った。

「髪、伸ばしているのね」

 椅子が運ばれてきたので、〈ぼく〉は腰を下ろした。

「切りに行こうと思うのですが、なかなか時間を見つけられなくて。尤も、切りたいと言ったところで切らせてももらえませんが」

「そっちの方が似合っているわ。あなたには」

〈ぼく〉は肩を竦める。

「お加減、いかがですか」

「良いとは言えないわ。あなたは?」

「こちらはどうにか」

 会話が途切れ、二人でチェンバロの音色に耳を澄ませた。〈リーザ〉は窓の外へ顔を向けた。何かあるのかと〈ぼく〉も眼で追うけれど、何もないし誰もいなかった。

「声は聞こえる?」外を向いたまま、かれは言った。「生まれた子の声は」

「時々」

「そう。あなたも一緒なのね」

「先輩は――」〈ぼく〉は一瞬躊躇してから続ける。「やっぱり二人分の声が聞こえるのですか?」

「ええ。片方はもう、言葉になりかけているけれど」

 自我が形成されると「臍の緒」は切れる、と〈ルカ〉が言っていたのを思い出した。といって、それを伝えたところで、慰めになるとも思えなかった。

「今まで何度も会おうとしたわ。一目で良いからと頼み込んだりもした。でも、受け入れられることはなかった。たぶんこの先、何人産んでも状況は変わらないのでしょうね」

「まるで機械ですね。子供を産む機械」

〈リーザ〉は頷いた。

「それだけが、求められる役割ですもの。〈わたし〉たちは機械か、その電源を入れる作業員のどちらかでしかない。それ以上の何者でもない。それ以下は存在する価値もない」

 今度は〈ぼく〉が頷いた。

 何か言い掛けて、〈リーザ〉はこめかみに手を添えた。痛みを指先で押さえているようだった。かれの付き人が駆け寄ってきて、薬を飲むかと訊ねた。それを掌で断ってから〈リーザ〉は〈ぼく〉に言った。

「産んだ子のことは忘れなさい。考えたところで、この手に抱けるわけでもないわ」搾り出すような声だった。「尤も、こんな風に嫌でも思い出させられるのだけど」

 薬と水が運ばれてきた。〈リーザ〉は錠剤を飲み下して、一息ついた。

 呻き声が引き、綿密に敷き詰められたカノンが〈ぼく〉たちの間に横たわった。

「昔の人は残酷ね」かれは言った。「どうせ身体をいじるなら、心まで変えて欲しかったわ。こんな気持ちが湧かないように。何も考えなくて済むように」

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