2-3

 光の瞬き。

 不規則に訪れる、一瞬の闇。

〈ぼく〉は頭上の電灯を見上げる。机の向こうのフロレンス女史は少しも気にしている様子はなかった。彼女はファイルに挟んだ書類に目を落としたまま、コツコツとペンの尻で机を叩いていた。

 電灯がまた消えて、灯った。フロレンス女史が咳払いした。

「呼ばれた理由に心当たりはあるか?」

「成績のことですか」

「或る意味ではそうだ。だが勉学の、ではない」

 これで察しがついた。

「〈水やり〉のことですか」

 女史は頷きも首を振りもしなかったけど、沈黙は肯定の意味を持っていた。

 尤も、彼女が〈ぼく〉らの部屋の中での様子まで知っているかは定かではない。だから〈ぼく〉は、湖に張った氷の厚さを爪先で確かめるように、探りを入れることにした。

「やり方が悪いのでしょうか。教えられた通りにしているのですが」

「授業で教えたことは飽くまで指針だ。なぞろうと意識し過ぎると、却って〈行為〉が疎かになりかねない」

「かれのことは想っているつもりです」

「身体が動かなければ、精神も目標地点には達しない。お前はただ思い込んでいるだけだ」

「どうすれば良いのでしょうか」

「いっそ身体に委ねろ」フロレンス女史は言った。「考え過ぎるな。余計な思考が、〈発芽〉に至る作用を妨げているように見受けられる」

「気を付けます」それから〈ぼく〉は質問の許可を求め、「かれの面談も行なわれるのでしょうか」

「既に行なった。奴もお前と同じようなことを言っていた」

〈ぼく〉は小さく頷いた。

「身体的な相性は、この上なく良い筈だ。双方で〈発芽〉の可能性は充分に考えられる。後はお前たちの努力次第だ」

 生産性、と〈ぼく〉の声が耳の中で呟く。

 面談室から解放されて部屋へ戻ると、〈ベル〉がベッドに仰向けで本を読んでいた。かれは〈ぼく〉に気付くと、「おかえり」と笑みを浮かべた。

「楽しい時間は過ごせた?」

「どうして先に言ってくれなかったんだ」〈ぼく〉はいささか批難めいた口調で言った。

「完全に口裏を合わせたら、怪しまれるじゃない」〈ベル〉は悪びれた様子もない。

「偶然でも全く同じことを言ったら怪しまれるよ」

「同じことを?」笑い声。「そう。嬉しいよ。こうして同じ部屋で寝起きを共にしてきた甲斐があったというものだね」

〈ぼく〉は自分のベッドに仰向けで倒れた。なんだか疲れた。天井を見上げること以外のことはしたくない。

「君がいてくれて良かったよ」幻聴かと思うぐらい、〈ベル〉の声は遠くで聞こえた。「〈わたし〉のパートナーは君だけだ」

「光栄だね」皮肉を言ったつもりはなかったけど、自分の耳にも皮肉に聞こえた。

 かれの隣に座ることが出来るのは、この学園では、恐らく〈ぼく〉しかいない。だけどそれは、飽くまで物理的な意味での話だ。かれの心は、もっと別の相手を求めている。〈ぼく〉ではない、別の人間を。

 哀しいのか、と自問してみる。

 たぶん違う。

 最初はそんな気持ちもあったかもしれないけど、今はそのラベルを貼っても何かしっくりこない。

 強いて言うなら、高く真っ白な壁を見上げている感覚、だろうか。それに近い。

 やがて考えるのも面倒になってきて、〈ぼく〉は瞼を閉じる。そのまま真っ暗な、眠りの海に引きずり込まれた。

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