2-2

 花。

 名前を知らない、毒々しいまでの。極彩色の。

 赤に黄色に紫の三輪が、細い花瓶に刺さっている。その花瓶を、ぼんやりと掃除していたら危うく倒しそうになった。

「気を付けて頂戴」後ろから、〈リーザ〉の声が飛んできた。〈ぼく〉のミスに目を光らせていたらしい。「その花、今朝咲いたばかりなのだから」

「すみません」〈ぼく〉は花瓶の位置を戻しながら謝った。「何という花なんですか?」

「綺麗だと思っていない人には教えないわ。枯れてしまうもの」

「綺麗ですよ、とても」

「嘘」

「本当です」

「可愛げがないわね」

「よく言われます」

 叩きを持った手を、後ろから握られた。首筋に生温かい息が掛かる。かれは音もなく、〈ぼく〉のすぐ後ろまで来ていたようだ。

「〈わたし〉は好きよ」〈リーザ〉が囁くように言った。「あなたのそういうところ」

 白く輝く窓の向こうから、笑い声が聞こえてきた。晴れ渡った日曜日。誰もが暖かな陽射しの下で、生きる歓びを感じているのかもしれない。今この瞬間、そんな風に笑っていないのは、薄暗い部屋の中で密着している〈ぼく〉たちだけではなかろうか。

 ふと、〈ベル〉の顔が頭に浮かんだ。

 どこへ行ったら良いかわからない、踏み出す勇気も湧かないといった、不安に満ちた顔。

 見ているこちらの胸が潰れそうになる。これが同情なのか、もっと別の感情なのかはわからない。苦しくなる。ただ、その事実があるだけだ。

〈ぼく〉は叩きの柄に力を込める。

 絡みつくようだったかれの手が解けた。肩越しに見やると、かれは眉間に皺を作り、こめかみに指先を充てていた。食いしばった歯の間からうめき声が聞こえてくる。

「……先輩?」

「大丈夫。何でもないわ」

「とてもそうには見えませんが」

 事実、かれの額にはうっすらではあるけど汗が浮かんでいた

「本当に大丈夫」

 水差しの水を飲むと、かれはいくらか落ち着いたようだった。

「少し横になっていた方が良いのでは?」

「そうするわ」

 ソファーに身を横たえながら、かれは静かな声で〈ぼく〉を呼んだ。

「怒らせてしまったかしら」

「怒るようなことは何も起きませんでした」

 するとかれはふっと笑みをこぼした。それから瞼を閉じた。

〈リーザ〉に背を向け、〈ぼく〉は掃除に戻った。

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