1-4
白い部屋。
シミ一つない、影の存在すら認められないほどの。
〈ぼく〉は真っ白いローブを着せられ、白いシーツを敷いたベッドに腰掛けている。
どこかで秒針が時を刻んでいる。だけど、音の元となる時計は部屋のどこにも見当たらない。この部屋に来る度、不思議に思うことの一つだ。
ドアノブが回る。ノックもなしに、真っ白いドアが開く。
ノブを握る白い指。細い腕。白いローブは、〈ぼく〉が着ている物と変わらない。〈ぼく〉と同じ格好をしたかれ。
口元に薄い笑みを浮かべると、〈ベル〉は後ろ手でドアを閉めてこちらへ来た。わざわざそうする必要もなかったけど、〈ぼく〉はかれの分のスペースを空けた。かれが腰掛ける時、ベッドが少しだけ揺れた。
時計の音に耳を澄ませる。普段から、部屋で一緒の時も黙っていることはままあったけど、ここでの沈黙は種類が違っていた。
「緊張してる?」〈ベル〉が、不意にそんなことを訊ねてきた。
「いや」〈ぼく〉はどうにか応じた。「初めてでもないし、いい加減慣れたよ」
「そう。〈わたし〉はまだ慣れない」
思わぬしおらしさに、ついかれの方を見てしまった。
悪戯っぽい笑みが待っていた。
「……意地が悪い」
「怒った?」
「別に」
「ごめんごめん」言葉の割に〈ベル〉の声は弾んでいる。「仲良くやろうよ。夜は長いんだし」
そう、夜は長い。
「朝が来る頃には、お互い顔が原型を留めてないかもしれない」
「だから謝ってるじゃない」
白い指が、〈ぼく〉の手を握る。冷たい。いや、温度がない。ただ「触れられている」という事実だけがある指。
〈ぼく〉は眼を上げ、〈ベル〉を見た。
かれもまた、長い睫の下からこちらを見ていた。
「不毛だね」かれが言った。「何やってんだろうって気にならない? 〈わたし〉はなる。そもそも、こんなことしなくていいように〈わたし〉たちの身体は出来てるんじゃなかったっけ?」
「大人たちに聞かれるよ」〈ぼく〉は小声で言った。「ふりだけでもしておかないと」
すると〈ベル〉は鼻を鳴らし、
「聞かせてやればいいんだよ」
〈ぼく〉は部屋の中へ目を走らせた。
「今朝、〈リーザ〉には怪しまれたよ」〈ぼく〉も気にしないことにした。「結果が出ていないんじゃないかって」
「お節介だね。君の先輩は」
「本当は君の先輩なんだけど」むしろかれが世話をするべき先輩なのだ。「〈ぼく〉たちの心配をしてくれてるんだよ、きっと。好意的にとれば、だけど」
「ああいうのは鼻につくから駄目。見下してきてるのがすぐわかる」〈ベル〉はベッドへ仰向けになった。「自分の子供を抱いたこともないくせに」
「だけどかれらは義務を果たした。少なくとも、ここでは評価されるべきことをしたんだ」
すると〈ベル〉が聞き慣れない言葉を口にした。外国語のようだった。
「何て言ったの?」
「『くそったれ』」
予想した通りだった。
「そんな〈リーザ〉に疑われて――」仰向けのままかれは言う。「君はどう思った? 自分も頑張ろうなんて考えた? 大人たちのために」
「〈ぼく〉が他人のために頑張れる人間だなんて、まさか本気で考えてるわけじゃないだろうね?」
〈ぼく〉は自嘲を込めて笑ったけど、〈ベル〉は本当に面白そうな笑い声を上げた。
「君のそういうところ、好きだよ」
「光栄だね」〈ぼく〉は肩を竦める。「これで〈ぼく〉の方を向いてくれれば最高なんだけど」
「君だって、〈わたし〉のことなんて見てないじゃない」かれが言った。「君にはそもそも〈わたし〉が映ってない」
「そんなことないよ」
「だったら試してみる?」
ベッドが揺れる。〈ベル〉が横向きに身を起こし、こちらを向いていた。
「試しに一度、本当に水を撒いてみるのもアリかもしれない」
「もっと自分を大切にするべきだよ。君が抱えるその気持ちは、君だけの物だ」〈ぼく〉はかれから眼を逸らした。「君が一番よく知っていることじゃないか」
「それは優しさ? それとも皮肉?」
「どちらも」
かれがまた笑った。
こうして〈ぼく〉たちは、白い部屋で無益な夜を過ごす。「生産性」のない、大人たちが忌み嫌う一夜を。
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