1-3
黄身。
目玉焼きの。
フォークが突き刺さり、半熟の卵黄が膜の中から溢れ出す。それを銀色のフォークは白身の上に塗り広げる。満足のいったところで、塩が振りかけられる。
「悪くない」
そう言ったのはフォークの持ち主で〈ぼく〉のファッグ・マスター、〈ルカ〉という名の上級生だ。〈ぼく〉と同じ制服を着ているが、ネクタイの色が違い〈ぼく〉が赤なのに対し、かれのは青だった。
「良い硬さだ。ようやく注文通りの品が届いたってところだね」
「その食べ方、やめてって言ったわよね?」〈ルカ〉の向かいに座る生徒が言った。かれは〈リーザ〉。〈ルカ〉のパートナーで、首元にはやはり青いネクタイが締めてある。子供を産んだのはかれの方だ。「下品よ。同じものを食べていると思うと嫌になる」
「この方が全体に黄身の味が広がって美味いじゃないか」
「黄身は黄身だけで食べるものよ」そう言うかれの皿に載る黄身は、フォークで突いただけではビクともしない弾力を持っている。
厨房で注文した時の、食事係の嫌そうな顔が蘇った。気持ちはわかる。何十人分もの食事を作らなければならない朝の忙しい時に、一つは半熟にして一つは固く焼いてくれなんて注文をするのは、顔の周りを蝿に飛び回られることに等しい。それでも応じてもらえるのは、これが今朝に始まったことではなく、ここに来て二年近く、毎朝同じことを繰り返してきたからだ。今では食事係も顔を顰めはするものの、同時に同情の眼差しを向けてくれるようになった。
「そんなに固くては、消しゴムを食べている気になったりするんじゃないか?」
「消しゴムを食べたことがないからわからないわ」〈リーザ〉は涼しい顔で、器用に切り分けた黄身を口へ運ぶ。
〈ルカ〉が肩を竦めてから、カップを差し出してきた。〈ぼく〉は持っていたポットから紅茶を注ぐ。
「あの子はまだ寝ているのかしら、〈チャーリィ〉?」
「起きてはいます」〈ぼく〉は〈リーザ〉に言った。「かれはいつも早起きですよ」
「そう」
〈リーザ〉もカップを出してきたので、〈ぼく〉はテーブルにあったかれの分のポットに持ち替え、紅茶を注いだ。かれは短く礼を述べてからカップの縁に口を付けた。
「あなたは不満じゃないの?」
「不満、ですか」
「一人で二人分も働かされていることに、何も感じない?」
「そうですね……」考えてみる。これも今に始まったことではなく、初めからこうだったから別に何も感じない、というのが正直なところだった。「〈ぼく〉としては、特に困ることはありません」
「お人好しね」
「〈チャーリィ〉は優しいんだ」〈ルカ〉が言った。擁護というよりは嘲笑が混じっているようだったけど。
「まあ、〈わたし〉としてはあなたが良いのなら構わないのだけれど。あの子にお茶を注がれるよりは、あなたが淹れたのを飲む方が安心だもの」
「やったな〈チャーリィ〉。〈リーザ〉が人を褒めることなんか殆どないんだぜ?」
〈ぼく〉は曖昧に微笑んだ。
「別に褒めたわけじゃないわ」〈リーザ〉がカップをソーサーに置いた。「ところであなた達、〈水やり〉の方は上手くいっている? たしか今夜の筈よね」
「ええ。教えていただいた通りにしていますよ」
「その割には結果が出ていないようだけど」
「たぶん、〈ぼく〉のやり方が悪いんです」
「前々から気になってたんだが、お前たちの場合、どっちがどうするんだ? つまり、どちらが〈水〉を――」
「〈ルカ〉」〈リーザ〉が射すように言った。「そこは他人が立ち入るところではないわ」
「純粋に気になるじゃないか。知的好奇心だよ」
「単なる俗物趣味でしょう」
「しかし、もしかするとそこに原因があるのかもしれない」
「だとしても、〈わたし〉たちには知る必要のない情報だわ。〈わたし〉はただ、上手くいっているかどうかが聞きたいだけなの」
「〈チャーリィ〉、いや、或いはかれかもしれないが」〈ルカ〉が言った。かれは己の胸に親指を立てながら、「月並みで悪いが、大切なのは相手を想う気持ちだ。これに尽きる。全てがこれに委ねられちまったんだから仕方がない」
それから〈ルカ〉はカップを差し出してきた。〈ぼく〉がポットを持ち替えて近付くと、かれは顔を寄せてきて耳許で囁いた。
「要は相手をその気にさせりゃ良いんだ。場合によっては、耳を舐めるだけで事足りる」
ポットの中身は、カップを半分しか満たさなかった。
「内緒話?」〈リーザ〉が眉を顰める。
「師匠から弟子への大切な話さ」〈ルカ〉が悠然とカップを傾ける。
「気に入らない」
「たぶん、中身はもっと気に入らないだろうね」
口の端を吊上げながら、〈ルカ〉が視線を投げてきた。〈ぼく〉は目礼でそれをかわした。
「紅茶を淹れてきます」
そう言って部屋を後にした。
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