第10戦:決意
ユキとユージはその場から動けずにいた。動けば即座に殺されると,弱者の本能が叫んでいた。
「なんで……,カ……カルメールさんといたはずじゃ……まさか……」
目の前にいる獣人:ガウルの身体は最初に見た時よりもさらに酷い有様だった。
相当激しい戦闘が繰り広げられていただろうということは想像に難くない。
そして,そんな状態の獣人が目の前にいるということはカルメールが殺されたか行動不能になっているという可能性が高いということになるのではないか。
何が起きたかを知らないユキは最悪の事態を想像した。
「そんなはずない!!!」
隣から信じられないというように叫び声が聞こえた。
ユージも同じ考えが過ったのだろう。だが認めまいとユキの言わんとしたことを否定した。
そしてその声を聴いて気が付いていなかったのか,ガウルは二人に目をやった。
鋭く刺すような眼光にユージは小さく悲鳴を上げる。ユキもその眼光に身震いした。
「テメェらは……」
一歩また一歩,ガウルは二人の元へ歩み寄った。
逃げなければ,だが足が動かなかった。
寒気がする。冷や汗が止まらない。心臓が破裂するのではないかという程に脈打っている。
逃げたいのに一歩も動くことが出来ない。
『動け―――逃げなきゃ早く―――』
不意にユキの身体が引っ張られた。
ユキが足元を見るとディアンが衣服を掴んでいた。
何を思ってそんなことをしたのかはわからないが,そのおかげで身体の緊張が緩んだ。
ユキはユージの腕を掴むと直ぐ様その場から逃げようとした。
しかし―――
「えっ―――?」
ユキはバランスを崩して転けてしまった。ユキにつられてユージも転倒する。
足が前に出なかった。ディアンの掴む力が想像より強く離せなかったのだ。
「離してッ!」
相手が怪我人だろうと関係ない。助けるなんて選択肢はもう頭の中には存在しなかった。
今すぐ逃げたい。同じようにはなりたくない。その一心でユキはディアンの手を程こうとした。
その時―――ディアンの服から何かが転がった。
そしてディアンはその何かを手に取るとユキに向かって差し出した。
ユキの背筋が凍った。それが何なのかユキにはわかっていたから。
絶体絶命―――すぐに動ける体勢ではないユキはもうダメだと諦めかけた。だが同時にその行動に違和感を覚えた。
もしそれを使おうとしていたのならば,ユキに向かって差し出す必要なんかない。手に取った時に使用すればよかったのだ。
なのにそれをしなかった。何故なのか。その答えは簡単だ。
ディアンはユキを殺す気はないのだ。
かつては違ったかもしれない。だが今はそれをユキに託そうとしている。
「………………」
一瞬の逡巡の末,ユキはそれを受け取った。
「ありがとう」
何故ユキに爆弾を渡したのかその理由は分からない。仇をとれという意味なのか,はたまた別の意味があるのか確かめるすべはない。
ユキは動くことのなくなったディアンに礼を言い立ち上がった。
不思議と恐怖が和らいでいた。
「ユージ君行くよ」
「あ……えっ―――」
ユキはユージの手と爆弾を強く握った。
不思議なことに武器が一つ増えただけで自分がとても強くなったと感じる。もしかしたらこの手で目の前の敵を倒せるのではないかと思ってしまう。
だけどユキは逃げた。その場から可能な限り逃げた。
勝てるわけがない。強くなったなんてただの妄想だ。
手に持った爆弾はもしもの時のためのものだ。不用意に使うことはできない。
ガウルとの距離はどんどん離れていった。
追ってくる気配はなかった。ディアンを殺したことで満足したのかもしれない。
ユキはガウルが完全に見えない場所まで来ると足を止めた。
「ここまでくればひとまずは……」
ユキは大きく深呼吸をした。
腰を下ろそうとも思ったが,まだ安心は出来ない。
これからどうすればいいのかを考えなければいけない。
だが―――
『どうすればいい―――なにが最善か考えろ』
疲れきった頭では何をすればいいのかわからなかった。
ユキが考え込んでいると―――
「ユキさん、カルメールさんを……カルメールさんを探しに行きましょう」
ユージは両手でユキの手を強く握りしめて言った。
震えが手から伝わってくる。
『そうだアタシが守らないと』
ユキもユージの手を強く握り返した。
「うん、行こうカルメールさんを探しに」
いつあの獣人が追ってくるかわからない。もし見つかれば非力なユキとユージではいとも簡単に殺されてしまうだろう。
唯一の武器の爆弾も異常な身体能力を持つ獣人に当てるのは無理だ。
だからカルメールを探しに行く。きっとカルメールなら何とかしてくれると思ったから。
無様だろうと関係ない。生きるために守るために最善を尽くす。
「きっとカルメールさんなら大丈夫……きっと」
一抹の不安を抱えながらユキたちは走り出そうとしたその時―――
轟音が響いた。
「いるのはわかってるんだぜェ。出てこいよ……なァ!!!」
「「――――――ッ!!」」
声を出す暇もなかった。
気が付くと目の前にガウルが立っていた。
死を覚悟した。しかしガウルは襲ってこなかった。
「テメェら赤い奴と一緒にいた奴らだろ」
呆気にとられた。血走った目に荒い息遣い。おそよ普通とは言い難い姿をした者がまともに会話をするなんてユキは思ってもいなかった。
ユキが返事をするよりも早くガウルは言葉を続けた。
「アイツの所に行くつもりだろうがなァ、ムダだ。アイツはもう死んだからな」
ユージの身体がピクリと動いた。
『死んだ』―――ガウルはどこか悲しげにハッキリと言った。
「う……嘘だ!カルメールさんが死ぬはずない!!」
しかしユージは聞き入れなかった。
「嘘じゃねェ。死んだんだよ」
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁッ!!!」
その声は今までのどんな声よりも大きく力強かった。
そんなユージの様子を見てガウルはため息をついた。
そして―――
「死んだっつってんだろ」
一瞬にして空気が凍り付いた。
静かに発せられたその言葉は有無を言わさぬ程の迫力を含んでいた。
ユージはガウルの言葉で金縛りにでもあったかのように動けなくなっていた。
「どいつもこいつもカスばっかり……」
ガウルはユージの頭に手を伸ばした。
だがしかしその手は空を掴んだ。
ガウルが頭を掴むよりも早くユキがユージを連れて『
そんな様子を見てガウルはあからさまに不快な表情を見せた。
「何逃げてんだよ雑魚のクセによォ!」
ガウルはユキたちに跳びかかった。
砕けた爪がユキたちを襲う。しかしガウルの攻撃はまた空を切った。
「ちょこまかと……」
ユキはガウルが自分たちのほうを向く前に走り出した。
背後から叫び声のような者が聞こえたが無視した。遠くへ,とにかく遠くへと移動し続けた。
ビル街を抜け,住宅街を抜けた。そして、あまりにも不自然に現れた海を目の前にしてユキは足を止めた。
「な……あっ……」
ユージは驚きの声をあげた。
カルメールと出会って直ぐに地下で隠れていたユージにとってこの光景を見るのは初めてだった。
その横でユキは戸惑いの表情を見せていた。
辺りを見渡しても広がるのは広大な海ばかり。
引き返すにしてもおそらく獣人が追ってきている。
「こっちに」
そう言うとユキは海と陸の境目に沿って走り始めた。
そしてすぐにユキたちは衝撃の光景を目にすることになる。
「なに……これ」
目の前には首を噛み千切られ死んでいる少女の姿があった。
吐きそうだった。ディアンのときは逃げることで手一杯だった。だから無惨な光景を見ても何かを感じる余裕がなかった。
ユキがその光景から思わず目をそらすと,服を引っ張られる感覚がした。
なにかと思いユージの方を向くと
「ユ……ユキさん、あ……あそこ……」
ユージは声を震わせながら水面を指差していた。
ユキがユージの指差した場所を見るとそこには,二つの人が赤く染まった海の中に浮いていた。
そしてのその一つにユキは目を奪われた。
「まさかあそこにいるのって……」
「なんで……なんで……」
ユージは膝から崩れ落ちた。
海に浮かんでいるのは間違いなくカルメールだった。
何故,どうして,理解が追い付かなかった。
「もう終わりだ……」
ユージがポツリと呟いた。頬には涙が伝っていた。
「カルメールさんがいなきゃ……」
ユージは完全に生気を失っていた。
カルメールの元へ行こうとするのでもなく,泣きじゃくるのでもなくただ茫然としていた。
ユキも茫然としていたが,我に返るとユージの手を引っ張った。
「まだカルメールさんは助かるかもしれない。行こう!」
だがユージはその手を乱暴に振り払った。
「無駄ですよ!見てわからないんですか!?もう死んでますよ,カルメールさんは!!死んでるんですよ……」
その言葉に答えることが出来なかった。
ユキも分かっていた。カルメールと別れてから随分と時間が経っている。それに獣人の言葉を信じるなら,生きている方がおかしいと。
「僕のせいなんです」
「え?」
そよ風でかき消えるのではないかという程,小さな声でユージは呟いた。
「僕がいたからカルメールさんは死んでしまった。僕と最初に会わなければ,僕が誰か他の人に殺されていればカルメールさんは死なずに済んだんです。僕が一緒にいたから,ユキさんもカルメールさんも危険な目に合っていたんです。僕が天恵を教えなかったから。一人になるのが怖かったから。全部全部僕のせいだ。僕が死ねばよかったんだ!生きたいなんて思わずにさっさと死んでおけばよかったんだ!!僕が……僕が……」
「ユージ君」
ユキが呼ぶとユージは顔を上げた。その顔は悲しみと怒り悔しさが入り混じり酷い有様だった。
そんなユージの頬をユキは叩いた。
「死ねばよかったなんて言わないで!カルメールさんはアタシたちを守るために戦ったんだ。だから……他の人はなんて言ってもいい。だけどあたしたちだけはそんなことを言っちゃいけない」
「でも……」
「生きるんだ。カルメールさんの分までアタシたちが絶対に」
ユキはユージの肩を掴み,じっとユージの瞳を見つめた。
そのまっすぐな瞳に,意思に当てられユージは立ち上がった。
「……わかりました。やりましょう」
「うん」
殺しを肯定するわけではない。楽しむわけでもない。生きるために,守るべき者のために戦う覚悟を決めた。
二人の意志は固まった。
だがユージは―――
「やるのは僕一人でやります。ユキさんは逃げてください。なるべく僕から遠くへ」
ユキとの共闘を拒んだ。
「なんで?二人でやったほうが―――」
勝率は上がる。
今更裏切る気もない。共に最後まで戦うつもりだった。
生き残ることが出来るのが一人だとしても。
「もう僕のせいで苦しんでほしくないんです。僕の天恵はユキさんを不幸にしてしまう。だからお願いします。逃げてください」
「そんなの勘違いだよ。今まではたまたまで」
ユージは首を横に振った。
「僕の天恵は『
一瞬の沈黙の後,ユキは手をあげた。
叩かれる。そう思ったユージは反射的に目を瞑った。
だがその手は優しくユージを包み込んだ。
「謝らないで。アタシはユージ君を見捨てたりなんかしない。だってあたしが今ここにいるのは,生きていられるのはユージ君たちがアタシを助けてくれたからだもん。不幸どころか幸福だよ」
ユージとカルメールのおかげで自分は今ここにいる。一度死んだも同然の命。恩人のために使わなくてどう使うというのか。
たとえユージを見捨てて生き残ったその先で,妹と共に胸を張って生きていけるのか。いやきっと出来ない。
例え妹の命がかかっていようとも,目の前の恩人を見捨てていい理由にはならない。それがユキという人間の生き方だった。
「戦おう一緒に」
「――――――はいッ」
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