第7戦:鬼獣闘戦

 この世に生まれ落ちた時から生きる道は決まっていた。自分の意志なんて関係なかった。言われた通りに,命じられるがままに生きることを運命づけられていた。

 初めて任務で人を殺したのは七歳の時だった。あの時のことは今でも鮮明に覚えている。対象は人身売買を行う組織のリーダーでありペドフィリアの男とその他の組員だった。

 初めての暗殺は完璧だった。誰一人逃すことなく任務を完遂できた。ただ一つミスがあったとすれば,それは殺人を躊躇してしまったということだろう。初めての実践だからといってそんなことは許されない。もしも失敗すれば,代々培ってきた信頼も名誉も崩れ去ってしまう。共に任務に就いていた姉からは説教をされた。普段は一切起こることがないからこそ,より恐ろしかったことを覚えている。

 その一件以来人を殺すことを躊躇することはしなくなった。純粋だったのだ。純粋故に期待に応えねば,迷惑をかけないようにしなければと自分の心をどこかへ捨て去ってしまったのだ。。

 だから殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺し続けた。赤子だろうが妊婦だろうが関係なく殺し続けた。

 そうして機械のように命じられたことをこなして生きる彼女に転機と呼ぶべきか,神からの呼び出しがあった。

 最後の一人になるまで殺し合え―――それを聞いた時,驚きはあれど戸惑いはなかった。何故ならそれは日常の延長でしかなかったから。異種族だろうと何だろうと『殺せば死ぬ』というのならば今までと何も変わらない。

 彼女は神の言葉に従った。天恵を授かり,命じられた通り最後の一人になるまで戦う―――はずだった。

 あの少年と出会うまでは―――


 ********************


「ドォラアアァァァァァァァァ!!」


 拳が顔面をとらえる。その威力はすさまじく,吹き飛ばされるとブロック塀を壊し家の外壁をも壊した。


「イイ……イイぞォ!もっとだ,もっとよこせェ!」


 しかしその攻撃が効いている様子は見られなかった。

 鬼人オーガカルメールVS獣人ガウル―――開始数分にして戦いは白熱を極めていた。

 ガウルは鼻血を拭うと周囲の瓦礫が吹き飛ぶほどの強さで大地を駆けた。

 そしてカルメールの喉元目掛けて爪を振るった。

 半馬人ケンタウロスの腕を一瞬にして切り裂く程鋭利な爪,カルメールも喰らえば首と胴体が分かれてしまうだろう。

 しかし,カルメールは逃げる素振を見せなかった。

 真正面から組み合ったのだ。巧みに指を絡ませ、ガウルの左手を封じると自由の効く左でガウルの鳩尾を殴った。

 鳩尾だけではない。顔面・胸、殴れる部位を殴り続けた。そして、足元のおぼつかないガウルの手を引っ張るのと同時に顔面を殴り吹き飛ばした。

 まるでボールのように何度もバウンドをすると、ガウルは地に伏した状態でピクリとも動かなくなった。

 勝った―――などとカルメールは思わなかった。確かに手応えはあった。だが、絶命させるまでには至っていないと分かっていた。


「クククッ…ハハハ…ハーハッハッハッ!」


 笑っていた。地に伏した状態でガウルは歓喜の声をあげていた。

 ひとしきり笑うとゆるりと立ち上がり,満面の狂気を感じさせる笑みを見せると四足状態―――右手のない腕を地面に突き刺し無理やり四足状態―――になった。

 そして「ガルル」と低く唸ると次の瞬間―――


「ッ―――」


 何かが触れたと感じた瞬間カルメールは吹き飛ばされていた。


「ガハッ―――ガハッ―――……ハァハァ」


 内臓が損傷したであろう程の痛みが身体を走った。

 攻撃を喰らった―――油断も慢心もしていなかったのに。一体何故―――

 その答えにカルメールはすぐさまたどり着いた。嘘であってくれと声を大にして言いたくなる答え。その答えは―――


「アンタ……今まで本気じゃなかったんか」


 想定していなかったわけではない。だがそれは最悪の展開だった。

 立場の逆転―――今この瞬間からカルメールは狩る側から狩られる側になった。


「お前は簡単には殺さねェ。お前となら最高の殺し合いが出来るはずだ。お前の力をもっとオレに見せろォォ!」


 鋭利な爪がカルメールを襲う。しかし,カルメールはその攻撃を紙一重のところで避けた。

 先ほどの攻撃を避けられなかったのは知らなかったから。速さを知っていれば対処できないことはなかった。

 ガウルの攻撃をかわしたカルメールはガウルの右腕を掴むと地面に叩き付けた。

 あまりの威力に大地が揺れる。そしてその揺れを更に増幅させるかのように,カルメールは叩き付け仰向けになっているガウルの胸部を踏みつけた―――かに思えたが,すんでの所でガウルは転がり回避した。


「さァ次だ!いくぞォ!」


 距離をとりガウルは立ち上がるとカルメールを狩らんと走り出した。それと同時にカルメールも走り出したかと思うと次の瞬間―――ガウルは宙を舞っていた。

 何が起きたのかガウルは分かっていた。だが分かっていても防げなかった。

 ガウルはカルメールの追撃を喰らうまいとカルメールのいるであろう場所を見た。しかしそこにカルメールはいなかった。

 それはガウルが宙に舞ってから一瞬の出来事。普通ならばその場から動くことのできる時間はない。そう普通ならば―――

 突然だが獣人が―――ガウルが最も優れている感覚とはどこだろうか。視覚?聴覚?嗅覚?いや違う。ガウルの最も優れている感覚は『触覚』である。獣人には猫や犬のようなヒゲが生えている。それにより空気の流れを敏感に察知し,見えずとも聞こえずとも敵の位置を把握することが出来る。

 そのヒゲによりガウルは瞬時に気が付いた。音もなく現れた背後の存在に。

 だが体制が悪かった。空中で,しかも攻撃を喰らった直後,体制を整えられていない。

 それでもガウルは無理やり身体を捻り,カルメールに向き合った。


「うぉらぁぁぁぁーーーーー!」


 だが防御は間に合わず,顔面にカルメールの拳が直撃し,骨の砕ける音と共に目に見えぬ速度でガウルは大地に墜落した。


「――――――ッ!!」


 落ちたガウルの顔面は血にまみれていた。だがその血はガウルのモノだけではなかった。


「ハハッ……まさか噛み千切られるとはな。ウチの手はおいしいか?」


 無くなった右手に布を巻き付け止血しながらカルメールは聞いた。


「筋肉質で筋が多い。オレ好みの肉だ」


 ガウルは答えながらカルメールの右手を骨ごと食った。すると驚くべきことにゆがんだ顔の骨がうごめき修復されていった。


「ホンマ化け物やなアンタ」


 カルメールは余裕を見せながら言った。しかし,本当は余裕などなかった。

 右手の消滅に内蔵損傷,肉体は限界を迎えつつあった。

 それに対し相手は驚異の回復能力を持った化け物,時間が経つほどに状況は不利になっていく。

 少しの時間も無駄にはできない。カルメールは『瞬間移動ノンステップ』でガウルの背後をとった。

 狙うは首―――どれだけ回復能力が高かろうと首を折ってしまえば死ぬはず。

 カルメールが首に手を締首に手を絞めようとしたその時,まるで予知していたかのように振るわれたガウルの拳がカルメールの顎を打ち砕いた。

 脳が揺れる―――視界が歪む―――平衡感覚が狂う―――

 それはコンマ何秒という短い時間の出来事だった。だが戦闘においてそのコンマ何秒というモノは金の一粒よりも価値あるモノ。

 ガウルはその一瞬のスキを逃さなかった。

 まるで弾丸のように放たれる攻撃を防ぐことも出来ず,カルメールは全身に受けた。

 肉が裂け骨が砕ける感覚が全身を駆け回る。

 数秒の出来事のはずなのにそれは無限の時のように感じられた。

 このまま死んだら楽になれるのだろうか―――そんなことが頭の中をよぎった。

 それと共に走馬灯と思わしきものも見え始めた。


『あぁ……死ぬんか……。まぁ人殺しの最後らしい最後やな……』


 物心ついた時から人を殺すことだけを教えられ続け,善人も悪人も殺し続けた。まさに因果応報というやつだ。

 ようやく鳥籠の中から解放される。もう何も悔いはない―――何も思い残すことはない―――何も―――何も―――そのはずだったのに―――


「ウチは,ウチはなぁ!まだ死ぬわけにはいかんのや!」


 ガウルの拳を受け止めるとカルメールは手の噛み千切られた右腕でガウルを殴り飛ばした。

 死ぬわけにはいかない。あの二人を守るために,今ここでこいつは殺さなければならない。


「……なんだその姿は。まだ隠してたのかァ!いいぞォ!最高だァ!!」


 それは土壇場での覚醒だった。確固たる意志が想いが,カルメールの中に眠る真の力を目覚めさせた。

 その姿は炎よりも紅く。その姿は鮮血よりも紅く。その姿は鬼人に伝わりし伝説の力―――その名は『鬼神』


「これは……なんや凄い力が溢れてくる感じがする……」


 不思議と痛みは消えていた。身体も驚くべき程軽い。


「アンタ,名前は?」

「……ガウル」

「そうか,礼を言わなあかんな。ありがとう,アンタのおかげでウチは強くなった。お礼に全身全霊でアンタを殺す」

「ハハッ,イイなァ!マジで最高だぜお前ェ!」

「お前やない。ウチの名前はカルメールや!」


 カルメールは『瞬間移動ノンステップ』でガウルの正面に移動するとガウルの胸部を全力で殴った。

 移動してから攻撃までの間隔はないに等しい程速く,ガウルが攻撃されたと気が付いたのは喰らった後だった。

 その攻撃は今までの比ではないほど強く,家がまるで紙切れのように感じられるほど簡単にガウルを貫通させていった。

 たった一撃でも驚異的な威力。だがカルメールはそれだけでは終わらなかった。

 すぐさま『瞬間移動ノンステップ』でガウルに追いつくともう一発,更に追いつきもう一発,何度も何度も打ち続けた。そして最後に背後に回り,ガウルの心臓を貫いた。


「ゴフッ――――――ッ」


 ガウルは血を吹き出すと自分の身体を貫いている腕を掴んだ。だがその力は弱弱しく,カルメールはそのままガウルの身体から腕を引き抜いた。


「さてと,早く二人と合流しやんとな。イテテテテ,何や急に痛なってきたな」


 全身の痛みをこらえつつもカルメールはユキたちの捜索を開始しようとしたその時―――


「は?」


 完全に油断していた。それはあまりにも異常だったから。想定のしようもなかった。なぜなら今まではそれで勝利だったから。


「なん……で,生きとんねん。おかしい……やろ」


 カルメールの腹部を貫いた手がゆっくりと抜かれると,カルメールは痛む身体を動かしすぐに距離をとった。

 あまりにも信じがたい光景。それはカルメールが生涯で一度も見たことのない光景。


「ハッ,はハ歯ハハ覇は葉ハは派ハハハ!」


 そこに立っていたのは心臓を貫き殺したはずのガウルだった。

 驚くべきこと潰したはずの心臓は再生しており,周囲の肉は再生していない為,脈打つ様が見えていた。


『あと少し……あと少しもってや,ウチの身体』


 狙うは心臓―――どれだけ再生能力が高かろうと,無限に再生できるわけではない。もし出来るのならば,心臓周りも再生するはずだ。なのにそれをしないということは再生には限界があるということ。だから,手を噛み千切った際に喰らった。再生に必要なエネルギーを得るために。

瞬間移動ノンステップ』距離を詰めたカルメールは心臓を潰しにかかった。

 だが次の瞬間カルメールの目に映ったのはアスファルトだった。


『何……が……』


 身体が動かなかった。まるで身体が何十倍にも重くなったかのように動かすことが出来なかった。

 何とか顔を上げるとガウルも同じように倒れていた。


『誰や……?』


 二人の間に何処から現れたのか森に溶け込むほど美しい緑色の髪と尖った耳を持つ少女が現れた。

 そしてその少女はガウルとカルメールを品定めするように見比べると,カルメールの腕を掴み何処かへと連れ去った行った。


『クソッ……ユージ,ユキちゃん……』


 目の前の敵に注意をとられすぎた。ここは一対一の決闘の場ではない。漁夫の利を狙っている者がいるということを警戒すべきだった。

 カルメールは自分の未熟さを悔いた。だがもう遅い。身体の動かないカルメールはただ少女に引きずられて行くしかなかった。

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