「わたしに嫌われるの、いやってこと?」

 ぐるぐる考えたものの時間は公平かつ残酷である。ぶつけどころの無い感情に振り回されるうちに放課後になってしまっていた。

 非常に行きたくないが約束を破るのはみんなの思う“ミヨ”ではない。ケンカで怪我を負って帰りましたというオチだったらいいのにと心の中で呻きながら図書室に向かった。




 いやいや図書室の扉を開けると、本のにおいが鼻に届いた。キャラ的にここへは滅多に来ないが、本のにおいはけっこう好きだ。読むスピードが遅いので結局借りることはないけど。


 軽くまわってみたところ、先生すらおらず、誰もいない。これは会わなくていいコース!? と喜んだが、どうやらシュウ君は奥の奥、それも本棚のかげにいたらしい。心中で舌打ちを一つ落とし、忍び歩きで近づく。わたしに気付く様子はなく、淡々と立ち姿で読書を続ける彼はとても絵になる。


 イケメンは何しても絵になって羨ましいこと! とひねくれたことを吐き捨てて、切り替える為に深呼吸する。そして、無視して帰ろうよーと頭によぎった意見には気づかなかったことにして

「シュウくーん」

 と声をかけた。


「んー、あ」


 小さく返事をしながら本から目をあげた彼は、わたしの姿を認めたとたん、勢いよく、首を痛めそうな速度でうしろを向いた……デジャヴ。


 再びイラッとしたのでいじめるつもりで

「……わたし、なにかしちゃったかな……」

 と悲しそうにつぶやいてみる。しかし、相手は手強く、ビクリと肩を揺らしたもののこちらを向かない。


 いっそ本当に涙を流してやろうかと思い始めた時

「あ、あんたが悪いわけじゃねえから! ただ、えっとー」

 と挙動不審にシュウ君が叫んだ。側にあった机に読んでいた本を置いて言い淀んでいる。


 ただ。朝話したのは気の迷いだった? 放課後に会おう、はウソだった? わたしの本性を知ってしまった?


心がざわつく。こんなに一人の人間に感情を揺らされることってあんまり無いんだけどな、なんでだろ。

 滲んでしまっているだろう不機嫌を、仮面が剥がれかけていることを自覚しながら強く促す。


「ただ?」

「あー、えっと、……ケンカ見られた、から。怖いかなって、思って。あんたさ、俺らがケンカしてたトコ、見てたじゃねえか……そんな暴力振るうやつとは、話してくれねえと思って。だから来ると思ってなかったから、びっくりして」


 何だって? ふざけてるのか? と思ったが、顔は見えないけれど、たぶん真剣に言っているみたいだ。

 そう気づいたとたん、腰が抜けそうになるほどの安堵を覚えた。

 気を取り直して笑みをかたち作る。慈愛を感じれるような柔らかい笑顔をイメージして

「まさか、わたしを殴ったり蹴ったりするの?」

 と聞く。


「そんなわけねえだろ! でも、だいたいのヤツは俺と対等に話してくれなくなるから……」

「すこし、ケンカは怖かったけど。わたしに暴力を振らないならいっしょにいれるし、話して楽しいから、シュウ君だから来たんだよ」

「あんた、恥ずかしいヤツだな……」


 まあそう思ってもらわないと困る。馬鹿馬鹿しいほどの純粋無垢を演じているんだから。言ってるこっちも恥で埋まりたくなる時があるのに、聞いてる方に何のダメージも無かったら腹立たしくない?

 馬鹿馬鹿しいセリフを素面で言ってるんだからぜひ恥ずかしくなって欲しい。

 っと、そんな暴露は置いといて。




どうせなら恥をかかせるついでに全ての謎解きをしてしまおうと、彼の背中をじっと見つめる。


「……じゃあ、ケンカ終わったあと、目をそらしたのは、後ろめたかったから?」


 わたしの質問にぴたりと彼が黙る。ちょっと待ってあげよう、と思って静かにしてやる。


 ……髪が日を浴びてきらきらしてるなーとか、図書室ホントに人来ないなーとか考えているあいだにだいぶ待った気がする。


 いつまで言わないつもりだ。そろそろイラッとしてきたので催促してもいいかな。


 じれったくなってもう一度たずねようとしたわたしの耳に

「そうだ」

 とかすかな肯定が聞こえた。


 一本取ってやった、とクスクス笑うとシュウ君はうめいて、小さく舌打ちをした。


「ああ、クソ、笑うなよ!」

「なら、笑うのやめるから、こっち向いてよ」


 彼がゆっくりとわたしの方を向いた。真っ赤な顔を片手で隠しているシュウ君を見ると、さらに愉快だ。小動物にちょっかいを出すような楽しい気持ちに任せて更につつく。


「わたしに嫌われるの、いやってこと? 偽名名乗った時点で好感度下がるとか考えなかったの?」

「う。名乗るとき、悪かったよ。自分で言うのもアレだけど俺有名だからさ、金髪でシュウマって名前ならヤンキーってわかると思って。バレるのイヤだったしさ……あと会うの初めてじゃねえし、照れくさかったし……まあ忘れられてたからいらぬ心配だったワケだけど」


 ぼそぼそとしゃべるせいで後半は聞こえなかったけれど、照れくさそうに喋る姿に優越感を覚えて自然とニコニコしている自分に気づいて、苦笑した。

 気を抜きすぎだ。

 さっきから舌足らずな話し方もアホっぽい笑みも忘れてる。


 っと。もう一つも忘れるところだった。弄るネタ突っ込んどかないと。


「あ、もうひとつの質問、答えてもらってないや。わたしに嫌われるの、いやってこと?」

「うん」


 ……即答された。ちょっと、いや、かなり悔しい。こんな天然で、ヤンキーぽくない奴の言葉にうっかりときめくなんて。

 不本意ながら、ぐわっと体温が上がった気がするので、たぶんわたしは顔を赤くしていることだろう。


「……なんで?」


 落ち着くために深呼吸をして、彼の言葉に備える。わたしに嫌われることにデメリットなんてない。きっと聞き間違いだから、何を言われても耐えられるように身構える。


 シュウ君が、のぞき込みながら、こちらをうかがうように見つめてくる。彼はゆっくり口を開く。


「ともだちになって欲しいから。朝話してて楽しかったし、できれば。俺とともだちになってくれねえか……?」


 ……えーっと。わたしには、彼が友達になってほしいと言ったように聞こえた。

 幻聴かな? なんて考えて、わたしは呆然とする。ともだち。友達……? ちょっと意味分からないので誰か翻訳して。


 シュウ君に言われたことを反芻して、正真正銘幻聴でないと理解すると、また体温が急上昇した。この天然エセヤンキーめ、乙女の敵め! 平然としてるのが腹立つんだよ!

 頬が熱いまま、わたしはゆるく頷いた。


 彼は、ぱっと顔を明るくし、心底幸せそうに笑う。


「ありがと! ホントうれしい! 初めてのともだちだ!」


 あんまりうれしそうにするので、いっそ笑えてきた。


「うん、ともだち。あはは。よろしく、シュウ君」

「こっちこそよろしく、タチバナ!」


 お互いに話して楽しかったのか……ふん、人気者なら精々有用に使ってやる。

 ……別に嬉しくなんてない。ないったらない。


 ふと。

 でも、と暗い影が差した。


 朝に話していたのは毒を吐くような“わたし”じゃなく、“ミヨ仮面”なのだ。

 これで『なら無理』とか言われたらわたし馬鹿みたいじゃない?

 そうなったら悲しいな、とほんの少しだけ思う自分を嗤う。


「ねえ、わたし実は、シュウ君のケンカ、すっごくかっこいい、きれいだって思ったんだけど、そんな人間でもいいの? わたし、かわいらしい女の子じゃないよ?」


 正直に告白する。“わたし”が思ったことを。仮面ごしでなく、素のままを。

 どうせ引かれるだろうと投げやりに彼をうかがうと、赤面していた。


「え、スゲーうれしい。本心だよな?」

「うーん予想外の反応……本心だけども」


 とっさのことに素で返してしまったけど気にして無いのか気付いてないのか。シュウくんは顔を覆って、うずくまってしまった。うわーやばい、とか繰り返している。なんだこれ。悪戯心が刺激されたので更に感想を言ってみる。


「踊ってるみたいですごく綺麗だったよ。名物になってる理由がわかった」


 うっとりとした声音で告げると、予想通り耳まで真っ赤な彼が

「てか、うん、やたら素直って知ってるし、俺はグラッと来てなんか無い。うん、もう十分だから言わないで。さんきゅ、タチバナ」

 と立ち上がり、しどろもどろに感謝を述べた。


 前半は何と言ったのか分からなかったが、本心を告げてお礼を言われたのは初めての経験だ。単純だと思いながらもわたしは“わたし”を認められた気になる。


「ううん、こっちこそありがとう。シュウ君、ほんとうにありがとう」


 わたしは救われた心地で礼を言った。

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