Chap.14-2

「シケたツラさらして、ノコノコと何? 悪いけどアンタ、うちの店は出禁よ」

 リリコさんを罵るダミ声が店内に響く。

 バーカウンターを挟んで、リリコさんと、おケイさんが対峙たいじしていた。他に客はいない。

 ワイルドピギーは、デブとスリムをくっつけるDSバー、おケイさんの店だった。夏の台知久だいちく海岸で初めて遭遇した時に聞いた店名が、微かに記憶に残っていた。おケイさんは店に飛びこんで来た僕にも冷ややかな視線を向けた。

 店内には短いカウンターがひとつ、ローテーブルとソファがセットになったボックス席が三つ。コバルトブルーを基調にした内装は、ゆらめく照明によってナイトプールのように幻想的な演出がされていた。ところどころピンクのスポットライトがあたっている。タカさんのお店のようなシンプルなゲイバーしか行ったことのなかった僕にとって、ミラーボールが回る派手な店内は軽くカルチャーショックだった。居心地が悪くてそわそわする。仕事の接待で行ったことのあるキャバクラを思い出した。

「うちに脅迫状を送ったのはあんたでしょ?」

 リリコさんがおケイさんにつっかかる。噛みつかんばかりの勢いだ。

「脅迫状って何かしら? 突然店に殴りこんできたかと思ったら、変な言いがかりつけるのはやめてちょーだい」

「とぼけるのもたいがいにして。あんな腐ったオカマみたいな昭和臭漂う嫌がらせ……あんた以外考えられない」

 おケイさんが肩をすくめる。

「さあ、知らないわねえ。どうでもいいけど化粧してないアンタの顔ってホント地味ねえ。幸薄さちうす? 不幸専な顔つきって言うのかしらね。あーヤダヤダ、こっちの幸せまで逃げちゃうわ。家に帰って、お顔のウブ毛処理でもした方がいいんじゃないかしら……そうね、例えば、カミソリで」

 手元のタバコに火をつけて、ニヤリとする。みぞおちに深く拳がめり込んだように息が詰まった。脅迫状の犯人がおケイさんであることは明白じゃないか。タカさんの店の火事の時だって、おケイさんが疑わしかったのだ。店を燃やすだけでは飽き足らず……こんなことまでして、タカさんや僕たちに何の恨みがあるというのか。

 リリコさんはおケイさんを睨んだまま、カウンターに近寄った。

「白状しないなら、警察に突き出すわよ」

「警察? やだ、証拠もないのに警察が動くかしら。火事の時と同じよ。アンタたちってホント学習能力がないのねえ。それとも証拠があるの? あるワケないわよね。全部言いがかりなんだもの」

 口に手を当ててオホホホと笑う。悔しくて握っていた手のひらに、爪が食い込んだ。

「早く店を出て行かないと、営業妨害で訴えるわよ」

「営業妨害なんて……よくその口で言えたわね。こっちのセリフよ。あんたのせいで、タカがどれだけ迷惑を受けたかわかってる? いえ、わかっててやってるのよね。タチが悪い」

 リリコさんの言葉に、てるてる坊主のように能面なおケイさんの表情が一瞬、ピクリと痙攣けいれんした。ほとんど吸っていないタバコの吸殻を灰皿に押しつぶした。

「ねえ、タカちゃんがわたしのこと、本当に迷惑だって言ってるの? だとしたら、タカちゃんが直接言いに来ればいいじゃない。わたしのこと、避けてるのかしら。他の人に伝言させるようなマネをして。ホント、面倒臭いわ。アンタ達がやってるオママゴトみたいな家族ごっこ? そーいうのわたし、本気でヘドが出そうよ」

 オママゴト……。おケイさんの言い方に、腹の底がしんと冷えた。

「そうね、オママゴトなのかしら。所詮、あたし達は一緒に住んでるだけで、本物の家族ではないもの」

 冷静にリリコさんはそう返した。

「でも、それはあたしたちの問題だわ。一緒に住んでもいない、あんたに言われる筋合いはないし……タカが沖縄に帰ってしまうこともあんたには関係ないわね」

 リリコさんは吐き捨てるようにそう言った。僕はびっくりしてリリコさんを見た。

 そのとき、勢いよく音を立てて店の戸が開いた。

「いや~今日も寒いねえ。来週は雪になるって本当かい? 電車が止まっちゃったりしたら大変だよ」

 なんて調子で、常連っぽい恰幅のいいオジサンだった。が、すぐに店内の異様な気配を感じ取って、後ずさりしながら、おでこに浮かんだ汗をハンカチで押さえた。

「し、失礼しました~」

 と背中の肉を揺らし、出て行ってしまう。バタン、と扉を閉めて。

 僕らが営業の邪魔をしているのは事実だった。

 リリコさんはうつむいたままぎゅっと口を結び、もう何も言うことはないときびすを返した。その背をおケイさんが呼び止める。

「ちょっと待ちなさいよ。タカちゃんが沖縄へ帰るって何?」

「そのままの意味よ。タカはもう二丁目で店を再開する気はない……諦めたの。じきに沖縄へ帰るわ」

 お店の再開資金のためにバイトをしている。僕はずっとそう思っていた。店の再開を諦め、故郷の沖縄に帰るなんて話は、僕だって聞いていなかった。

「行くわよ、一平」

 聞きたいことは山ほどあったが、店を出るリリコさんの後を仕方なく追った。扉を閉めようと振り返った店内で、じっと宙を見つめるおケイさんの顔に、店のミラーボールの光が冷たく当たっていた。


 ◇


 ビルの階段を下りたところで、リリコさんは僕を待ってくれていた。

 店にいたのは少しの時間だと思ったが、いつの間にか二丁目に週末の賑わいが訪れていた。路地を行き交う人々の間を抜けて、無言のまま歩き出したリリコさんの半歩後ろをついて行く。

 タカさんが沖縄に帰ってしまう……その事を確認したいが、話しかけられる雰囲気ではなかった。今度は何処へ向かっているのか。真っ直ぐ家へ帰るにしては若干方角も違う。

 仲通りの真ん中で、リリコさんの顔見知りと思われる人達から声をかけられた。

「あらやだ、リリコ、今晩はスーツ売り?」

「リリちゃん、絶対そっちの方がいいわよ。今度、男装のときに抱いてね~」

 と女装仲間にウィンク付きで軽口をたたかれても、リリコさんはさらっと流して立ち止まりもしなかった。

 リリコさんの様子がおかしいと気付いたのか、

「またあとでねー」

 と声を揃えて手を振る二人は、それ以上深追いをするようなことはしなかった。会釈をして僕もその場を行き過ぎる。二人は僕に対してもにこやかな表情で、小さく胸元で手を振ってくれた。

 交番のある新宿五丁目の交差点、その点滅する信号を小走りで渡る。伊勢丹駐車場のビルを背に次の交差点までやって来ると、近くのセブンイレブンへリリコさんはずかずかと入って行った。わき目も振らずアルコールコーナーへ向かい、缶チューハイを五、六本抱えるようにしてレジへ直行。あっけに取られる僕の前へ、レジ袋の中から買った缶チューハイが一本ぐっと突き出された。

「つきあってよ」

 コンビニ前の横断歩道で、信号待ちをしながらリリコさんはプルタブを引き起こした。あおるように喉をゴクゴクといわせる。

「ハァ」と息をつき、「一平も飲みなさいよ」と肩をすくめた。

 蓋を開けた缶チューハイを傾ける。グレープフルーツの苦味と酒の味が喉の奥に広がっていく。家に帰って来て、リリコさんが缶チューハイを呷るようにして飲む日は、仕事が上手くいかなかった日だった。

 通りを挟んで目の前に大きな鳥居が見える。

 どうやらリリコさんは花園神社に向かっているようだ。年末が近づくととりの市で賑わう、新宿の建物に埋もれるようにして立つ歴史のある神社だ。

「知ってる? ここに昔、歩道橋があったのよ」

 青に変わった横断歩道を行きながら、リリコさんが言う。僕にとっては歩道橋のない景色が当たり前だった。

「何年か前に撤去されちゃったのよね。歩道橋の上で夜風に吹かれるの好きだったんだ。二丁目からよく抜け出して来てたの」

 一礼をして鳥居をくぐるリリコさんにならい、花園神社の境内へと歩を進めた。


Chap.14-3へ続く

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