第7話 聖女への告白

誘拐事件後、メルファの様子がおかしい。


……あの時に何かあったのか。

いつの日だったか、生徒会室の格納室でメルファが大粒の涙を流して泣いていた。

カークが聞いても頑なに何も答えない。

その時はただ彼女に寄り添う事しかできなかった。


その後、彼女に話し掛けてもどこか線を引かれていて、間違いなく避けられていた。

メルファも自分と同じ気持ちだと思っていたけれど、過信だったのだろうか。

けれど誘拐事件の後、馬車の中で自分がキスをしようとした時、彼女も応えようとしてくれてたはず……。


あれは……勘違いじゃない。

彼女は雰囲気に流される様な人じゃない。

それに、例えそうだとしても……関係ない。

まずは自分の気持ちをハッキリと彼女に伝えなくては……。


そう決意をすると意識が引き戻され、ここが生徒会室である事を思い出す。

もう既に他の生徒会役員の姿はなく、カークは立ち上がると戸締りを始めた。

帰り支度を始めていた時に扉を叩く音がしたので、カークが返事を返した。

扉を開いて入ってきたのは、メルファだった。

彼女は重苦しい表情を浮かべて、カークを見詰めている。

それを見たカークは何か嫌な予感がした。


そして一つ大きな深呼吸をすると、メルファが悲しい言葉を放った。


「今日はお別れを言いに来ました。」


その言葉にカークは目を見張った。

「お別れ……ですか?」

突然の事でカークの頭が混乱した。

だが、メルファはカークの気持ちを顧みる事なく再び口を開いた。

「はい。私、学園を去る事を決めました。」

カークの目が大きく見開いた。

「だからお別れを言いに来たんです。今まで色々とご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。」

メルファがそう言い、頭を下げた。

「なぜです?どうして学園を去るなんて急に……」

カークが動揺しながら尋ねた。

「誘拐事件からずっと考えていた事です。急だと思われるかもしれませんが、私の中ではずっと燻ぶっていました。」

「でも、学園生活が途中で終わってもいいんですか?中途半場なのは嫌いだと思っていましたが……」

「卒業までこだわっていた訳ではないんです。それよりも貴族として自信が持てるかが私にとっては重要でした。そして、それはルクレツィアのお陰で達成されましたので。そして……聖女としての心構えもできました。」

メルファは手に力を込めると、強くしっかりとした声で言った。



「私は、聖女になります。」



その言葉が、カークの心に刃の様に突き刺してくる。

カークはその痛みに顔を歪めた。


「だから、カーク様とはお別れです。それを伝えに来ました。」

「そう……ですか。」

カークはハッキリと示された拒絶に眩暈を覚えた。

「それだけ伝えたかったのです。では、失礼します。」

そう言い立ち去ろうとしたメルファにカークが声を掛ける。

「それで、本当にいいんですか?」

メルファは振り返る事なく言った。

「ええ、後悔は全くありません。」

そう言い残して、メルファは生徒会室から立ち去っていった。

あまりに突然の事で、カークはただ茫然と立ち尽くすしかなかった。







 ◈·・·・·・·◈·・·・·・·◈







あれからカークは途方に暮れていたが、まだちゃんと自分の気持ちを伝えていない事を思い出す。

そしてメルファに学園を去って欲しくないと伝えなければ……。


カークはメルファをあの東屋がある庭園に呼び出していた。

放課後、カークはその東屋でメルファが訪れるのを待っていた。

胸の鼓動が早鐘を打っている。


彼女は来てくれるだろうか……。


そう不安に思っていると、木の影からメルファが姿を現した。

彼女はカークを見つけるなり、その場に立ち止まった。

そして、庭園に風が吹き抜けていく。

その風がメルファの柔らかな髪を弄ぶ様に揺らした。

メルファは顔に掛かる髪の毛を耳に掛けて、顔を風が吹く方角に向けて髪を整えた。

その伏せられた瞳や横顔がなんて美しいんだろうと、カークは見惚れた。


そしてメルファがカークのいる東屋へと再び歩き始めると声を掛けてきた。

「カーク様。お待たせしてすみません。」

「いいえ。こちらこそお忙しい中来ていただき、ありがとうございます。」

メルファが東屋まで来ると、カークの直ぐ側で立ち止まり口を開いた。

「……恐らくこの庭園に来るのは今日で最後ですから。明後日にはこの学園を去ります。」

その言葉にカークは驚きを隠せなかった。

「そんなに早くですか?」

「ええ。長くいればそれだけ未練が募りますから。」

カークはその言葉に引っ掛かりを覚えた。

「それは……まるで今、未練があるかの様に聞こえます。」

「……気のせいです。」

メルファはそう言い、口を引き結んだ。

そして、しばし2人の間に沈黙が落ちる。

その沈黙を破ったのはカークだった。

「あなたに伝えたい事があります。」

だがメルファが冷たい声で言った。

「私は聞きたくありません。」

拒絶の言葉にカークは一瞬口を噤んだが、意を決すると言った。



「メルファが好きです。」



真剣な瞳でメルファを見詰めた。

メルファはその言葉に目を見開いた。


「あなたが……どうしようもなく好きです。」


カークの告白に、メルファは顔を顰めた。

「私は、聖女です。」

「……そうですね。」

「聖女は結婚できません。」

「分かっています。」

「なら何故ですか?告白なんて……意味がないじゃないですか。」

メルファがつらそうな顔をした。

「あなたと両想いになりたいからです。そして、あなたと結婚する未来を切り開きたい。」

「そんなの……無理です。」

「やってみなければ分かりません。」

カークの迷いがない瞳にメルファは動揺していた。

真っ直ぐに向けられた想いに苦しくなったメルファは、思わず目を伏せた。

そしてしばらく黙っていたが、メルファが重く低い声で言った。

「ごめんなさい……」


カークはその言葉に目を見張った。

「私はカーク様の気持ちに応えられません。ごめんなさい……」

メルファの声が一瞬、震えた様な気がした。

けれど、直ぐに突き放す様な冷たい声で、メルファが言った。

「話はそれだけですか?」


そう言われて、カークは胸に痛みが走った。

初めて見せる冷たい眼差しだった。

何も言えないでいると、メルファが口を開いた。

「それだけでしたら、私はもう行きます。」

そうしてメルファが背を向けてカークから立ち去ろうとした。


なぜ?

こんなにも冷たい態度なんだ?

これで本当に会えなくなってしまうのか。

こんな状態で別れるなんて……嫌だ。


カークは思わず彼女の名を呼んだ。


「メルファ。」


そしてメルファの手を引いて抱き寄せた。

彼女の甘い香りがカークの体を包み込む。

カークはメルファの耳元で言った。


「メルファ、いかないでっ……」


抱き締めていた手に力が籠もる。


「私の側にいてください。」


悲痛な声で彼女に必死で訴える。


「あなたが……好きです。」


そして彼女の髪にそっとキスを落とした。



「……愛しています。」



それから2人の間に優しい風が吹き抜けた。

2人の髪が混ざり合う様に揺れ動く。

だが風が止むと、その髪は交じり合う事なく互いの位置へと元に戻っていく。

メルファはカークの手を振りほどくと顔を上げた。


「ごめんなさい……」


そしてメルファは顔を硬くさせ、意を決した強い瞳をカークに向けた。


「あなたの気持ちに応えられません。」


そう言い、カークの側を離れて歩き出す。


「待ってくださいっ」


カークが慌てて彼女の手を掴んだ。


「それは……私の事は好きではないという事ですか?」


縋る様な気持ちでメルファに問い掛けた。

触れている手から、震えているのが分かる。

それは自分が震えているのか、それとも彼女が震えているのか……よく分からなかった。

だが、やがて彼女の手に力が込められると、カークを振り返った。



「私はカーク様が嫌いです。」



そう言った彼女の瞳から大きな涙が一粒、零れ落ちた。

だがカークの瞳を逸らさず、真っ直ぐに見詰めてきた。

カークは動揺して次の言葉が出てこない。


そしてメルファがカークから手を引くと、冷たい声で言った。


「結婚して幸せになって下さい。……さよなら。」


メルファは背を向けて歩き出す。

カークは、もうそれを引き留める事はできなかった。

鋭い刃物で心臓が抉られる様な痛みを感じた。

カークは思わず、自分の胸に手を当てる。


そうしてメルファは一度も振り返る事なく、この美しい庭園から姿を消していった。

カークはその姿を求める様に、立ち去った後もしばらく彼女の去った方向を、ただ黙って見詰めていた。


そして再び穏やかな風が吹き抜けていき、カークの髪を優しく揺らす。

だが、その髪がこの庭園で再び彼女と交わる事はなかった……。






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