第8話 もう何があっても諦めない
ルクレツィア・モンタール公爵令嬢の前世の話を聞いてから、ようやくメルファとの面会の日が訪れた。
カークはメルファがその事を信じて、モンタール嬢を助ける為に自分との仲を諦めたんだと分かり、淀んでいた心が綺麗に晴れ渡っていくのを感じた。
最後に見た東屋での涙は、私への恋慕の悲しみだったのだと……。
心が歓喜に包まれた。
ただ、たとえ彼女が聖女になったとしても諦めるつもりはなかった。
メルファの側にいたい。
彼女の笑顔に触れていたい。
ただそれだけ……。
それがそんなにもいけない事なのか……?
カークはメルファの笑顔を思い出し、眉間に皺を寄せた。
そしてメルファの今を想い、憂いた。
聖女の自由の権利。
これはもう少し認められるべきだと考えていた。
恋愛に限らず、行動の範囲も同様だ。
せめて国王と同じくらいの自由が認められればと、カークは考えた。
聖女は神じゃない。
一人の人間だ。
そう……神ならどんなに良かったか。
いや、例え神だとしても……私は、諦められなかっただろう。
カークの手に力が込められた。
すると、側から声が掛けられた。
「馬車で話した通り、まず私が一人でメルファと話させてもらいますね。」
ルクレツィアの声が聞こえて、カークの意識が戻される。
今は、ルクレツィアとクレイの3人で王城にいるメルファに会いに来ていた。
メルファの私室である応接間で、3人は用意されたお茶を飲みながら面会を待っているところだ。
カークは慌てて返事を返す。
「ええ、分かっております。ここでお待ちしていますから終わったら声を掛けてください。」
カークは穏やかに微笑んだ。
それから少ししてルクレツィアが呼ばれ、その場にはカークとクレイが残された。
「……意外だったな。カークは合理的な考えを持つ奴だと思ってた。」
そう口を開いたのはクレイだ。
その言葉にカークは笑顔を零す。
「そうですね。自分でもそう思います。ですが……私からすれば、クレイの方こそ意外でした。もっと恋愛に関しては冷静な人なのかと……」
「そうだな。自分も驚いている。まぁ、お互い様か。」
クレイが苦笑したが、直ぐに真面目な顔で言った。
「だが聖女となると、問題は山積みなんじゃないのか?」
「そうですね……。ですが覚悟の上です。」
カークがクレイを見返すと、クレイがふと笑みを漏らした。
「お前がそんな顔をするとは……」
それに対してカークも笑みを返した。
「自分でも驚いてます。」
そうして、しばらく他愛のない会話をしながら時が過ぎていくと、急に奥から大きな声で泣いているのが聞こえてきた。
カークとクレイはメルファとルクレツィアが泣いているのが分かって、2人は互いに目線を合わせると頷き合い立ち上がった。
カークは神官の1人に声を掛けた。
「聖女様の元へ、案内をお願いします。」
「畏まりました。」
神官が頷くと、奥の部屋へと歩き出した。
その後にカークとクレイが続いた。
◈·・·・·・·◈·・·・·・·◈
カークとクレイは扉の前に来たものの、2人のいる部屋に入る事は躊躇われて、ただ立ち尽くしていた。
ガラス越しに見えるメルファは想像以上に輝いていて、カークの胸が高鳴っていくのを感じた。
しばらくして、メルファとルクレツィアがこちらの方を振り返った。
メルファの瞳が動揺しているのが分かる。
視線が交わり、カークは息を呑んだ。
久しぶりのメルファは衣装のせいもあり、神秘的な美しさが際立っていた。
思わず見惚れた。
しばらくして、ルクレツィアがガラスの扉を開いた。
ルクレツィアがカークを見て頷いたので、カークもそれに頷いて応えた。
「では、後はよろしくお願いします。」
ルクレツィアがそう声を掛けてきたので、カークは強い瞳で見詰め返した。
「ええ。任せてください。」
そうして2人はすれ違い、カークは部屋の中へと足を踏み入れた。
部屋の中は微かに甘い香りがした。
カークは涙を浮かべて立っているメルファを見詰めると、穏やかに微笑んだ。
メルファはカークを凝視したままで、体も硬直している様子だった。
カークはそのままメルファの側に近づいていき、そっと抱き締めた。
ああ、ようやく彼女に触れる事ができた。
柔らかくて甘くて……なんて細い。
少し力を入れるだけで、直ぐに壊れてしまいそうだ。
愛しさが溢れてくる。
……好きだ。
この想いは……もう止められない。
するとメルファは素直にカークの胸に寄り掛かってきた。
カークは思わず泣きそうになったが、涙を堪えると優しくメルファの髪を撫でた。
「メルファ……」
思わず名前が口から漏れる。
すると彼女もそれに応えた。
「カーク……」
カークは抱き締めている手に力を込めると言った。
「モンタール嬢のためだったんですね……」
「……はい。ごめんなさい。」
震える声でメルファが言った。
「謝らないでください。そんなあなたが大好きなのですから……」
優しい声でカークが言った。
すると、メルファがそっと囁く様に言った。
「わたしも……大好きです。」
カークは驚いて体が固まった。
今……なんと?
動揺しながら、カークがメルファの顔を覗き込んだ。
メルファが顔を上げると、真っ赤な顔でカークの瞳を真っ直ぐに見詰めてきた。
「私……カークが大好きです。もう自分に嘘を付くのはやめました。」
瞳を潤ませながら言うメルファは、女神の様な美しさを放っていた。
カークは胸が張り裂けそうなほど、鼓動が高鳴るのを感じた。
そんなカークの心内も知らず、メルファは悲しそうな表情を浮かべて首を傾げた。
「もう……今更、ですか?」
まるでその表情は、子犬が寂しさを訴えてきている様だった。
か、可愛すぎるっ……。
どうしよう……。
が、我慢の……限界だっ!
カークは桃色に染まっている艶やかな唇を見詰めると、メルファの頭をグイッと引き寄せた。
そしてカークはメルファの唇にキスを落とす。
最初はメルファの体が固まっていたが、次第に力が抜けていくとカークのキスに応えた。
カークはその事が嬉しくて、夢中で彼女の温もりを求めた。
しばらくして、ようやくカークが唇を離した。
名残惜しく感じたが、メルファの息が苦しそうだったので仕方がない。
唇が離れると、メルファの息が苦しそうに乱れていた。
切ない表情を浮かべてカークを見詰めてくるメルファはあまりに魅力的過ぎて、カークは再びキスをする。
「ふぁっ……」
メルファの声が漏れて、カークの理性を吹き飛ばす。
胸を強く叩かれて、カークはようやくメルファから唇を離した。
メルファが大きく肩を揺らしながら呼吸をする。
そして少し睨む様にカークを見詰めてきた。
カークは笑顔で言った。
「すみません。可愛すぎて、つい……」
メルファは首や耳元まで真っ赤にさせた。
「っ!そ、そんな事言わないでっ!」
感情をぶつけてくるメルファが、学園にいた頃を思い出させる。
懐かしく感じて、カークは思わず笑った。
「ハハッ。いつものメルファだ。」
「もうっ。カーク様こそ、いつもからかい過ぎです!」
「からかう?心外です。……私は、いつでも本音しか見せませんから。」
そう言い、メルファの薄桃色の髪に触れた。
メルファの顔が噴火するのではないかというほど、真っ赤になった。
戸惑うメルファに構わず、カークはそっとその髪にキスを落とした。
「会いたかった……」
カークの口から思わず想いが零れ出す。
そして顔を上げて、メルファを見詰めた。
するとメルファは涙を溜めてカークを見詰めていた。
「私も……会いたかった。」
涙を堪える様に息を殺して囁くメルファを見て、カークは再び彼女を抱き締める。
そして意志の強い声でカークが言った。
「私は覚悟を決めました。もう、何を言おうとあなたを手放すつもりはありません。だから私から離れるのは諦めて下さい。」
メルファはカークの胸に顔を埋めて言った。
「……嬉しいです。私も……覚悟を決めました。」
「良かった。」
そう言い、カークが手に力を込めた。
だが直ぐに体を離してメルファの顔を真剣な瞳で見詰めた。
「この国に認めて貰えるように、私はいつまでも努力し続けるつもりです。」
「はい……。私も認めて貰えるように努力します。」
そうして2人は微笑み合うと、カークが嬉しそうな声で言った。
「では、一緒に頑張りましょう。」
「はいっ」
メルファも嬉しそうな声で返事を返した。
カークは口を引き結び頷くと、急に真面目な顔になった。
「そのためにどうすればいいのか考えました。」
「はい。」
メルファも真剣な顔で頷き返す。
「それで、まず過去の聖女について調べようと思いました。もしかしたら500年前の聖女が結婚していた可能性もあるのではないかと思ったので。ですが……恋愛については全くどの書物にも書かれていないのです。」
「そうですか……」
「何か神殿で、聖女について書かれている書物や書類などはありませんか?」
「聖女について……ですか。」
メルファは俯くと考え込む様に腕を組んだ。
すると何かに思い当たった様に声を上げた。
「そういえばっ、……前に聖女が記したという書物が存在すると聞いた事があります。」
カークが思わずメルファの腕を掴んだ。
「それは本当ですか。」
聖女が記したとなれば、自分自身の事に触れている可能性は高い。
だがメルファは少し困った様な顔をした。
「ですが……その書物は誰にも読めないらしいのです。」
「読めない?」
「はい。特殊な文字で書かれていて、誰も解読できていないのです。だから、そこに何が書かれているのか誰にも分かりません。」
その言葉を聞いてカークは気落ちしたが、口に手を当てて考え込んだ。
「そうですか……」
そして再び顔を上げると、メルファに言った。
「その書物は私が拝見する事はできますか?」
メルファは悲しそうな顔で首を横に振った。
「それは厳しいでしょう。聖書として厳重に保管されていると聞いています。ただ、私なら申請をすれば拝見する事はできると思います。」
「なるほど……。では、まずはその聖書を拝見して下さいますか。もしかしたら、聖女なら読めるかもしれない。読めなくても、その文字を可能な限り暗記してもらえませんか?その文字を手掛かりに、似た様な文字がないか調べてみますので。」
その言葉にメルファが明るい表情で言った。
「それは名案ですね。何だか希望が見えてきました。やっぱり、カーク様はすごいです。」
カークも優しく微笑むと言った。
「ええ。私も明るい兆しが見えて嬉しいです。ですが……今、少し不満が。」
「えっ?」
メルファが驚いてカークを見詰めた。
「先ほどの様にカークと呼んで欲しいです。」
「えっ、私、呼び捨ててました?」
メルファが慌てて答える。
「はい。これからは様も付けないで呼んで下さい。」
「そ、それは……」
動揺するメルファにカークが覗き込む様に顔を近付ける。
「メルファ。」
訴える様に名前を呼んだ。
メルファは少し躊躇いながらも、意を決すると口を開いた。
「カーク……」
鈴の音の様な可愛らしい声で呼ばれて、カークは一気に心が弾むのを感じた。
再び口づけをしたかったが、扉をノックされて2人は振り返った。
そこには神官が立っている。
メルファが返事を返すと神官が中に入ってきた。
「聖女様、お時間です。」
「分かったわ……」
そう言い、カークへと向き直ると切ない表情で見詰めた。
「ルクレツィアの事もあるし、また直ぐに会えると思います。先ほど話した件は、こちらで調べておきますね。」
カークも名残惜しそうに彼女の手に触れる。
「お願いします。こちらでも出来る限り調べておきます。手紙を送っても?」
「もちろん。大丈夫です。私も送りますから。」
そして沈黙が落ちる。
離れたくない……。
どちらともなく湧き上がる感情を、やるせない気持ちで押し込める。
時間を告げる様に神官の声が響いた。
「ユリゲル様。どうぞお引き取り願います。」
そしてカークはゆっくりとメルファから手を離した。
「では、また……」
メルファは悲しそうな顔をしたが、無理やり笑顔になると言った。
「はい。来てくれてありがとうございました。嬉しかったです。」
カークもメルファに優しく微笑んで見せた。
彼女の笑顔を焼き付けておこう。
私達の未来はこれからだ。
これでお別れじゃない。
そう思い、カークはメルファに背を向けて部屋から出ると、最後に振り返った。
メルファは涙を浮かべながら、満面の笑みで手を振っていた。
カークもそれに応える様に手を上げた。
だがそこで扉が、神官達によって閉められていった。
扉の閉まる音が、嫌に大きく辺りに響き渡った気がした。
後に残されたのは、ほんの少しの希望と、身を切る様な愛しさと……。
そして、押し潰されそうなほどの大きな不安だった……。
カークはしばらくその場に佇んでいたが、やがて確かな足取りで歩き出す。
もう何があっても諦めない。
そう、心に強く決意して。
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