第4話 引き離される想い

ルクレツィア・モンタール公爵令嬢が会議中に乗り込んで国王に楯突いたという奇行は貴族界で瞬く間に広がっていった。

だが、それが聖女の復学のためだという事を知る人は少ない。

カークはメルファ・フランツェル嬢が学園に戻ってきた経緯を王太子殿下であるアルシウスから聞き、驚きと共に何も出来なかった自分自身に苛立ちを感じた。


アルシウスが自分に話を聞かせてくれたのは、フランツェル嬢に好意があると知っているからだ。

自分から言ったわけではないが、一緒にいれば私がフランツェル嬢に気がある事は明白だろう。

何故なら女性に自分から話し掛けるなど、普段は必要な時以外にしないのだから。

しかし私は父上の指示を思い出し、アルシウスがフランツェル嬢の事を話してくれた時も素っ気ない態度で返事をした。


すると、カークの気持ちをアルシウスが推し量った様子で、優しく肩に手を置いた。

「カーク。俺はいつでもお前の味方だ。後悔だけはするなよ……」

アルシウスはそれ以上何も言わなかった。

カークはただ黙ったまま、何も答えなかった。

だが何故か苛立ちと焦燥感だけが募っていった。


後悔……。

何を選んでも、きっと……それからは逃れられない。


例え万が一にでも父上が認めてくれたとして、それでも彼女との未来は茨の道でしかない。

ならば周囲に迷惑が掛からない様にするのが最善だ。


これでいいんだ……。



メルファが久しぶりに学園に戻ってきた時、ひどくやつれているのが遠目からでも分かった。

やはり不安で苦しかったのだとカークは思ったが、父親の指示に従っている自分としてはそれを案ずる資格はないと思った。

胸に強い痛みが走ったが、カークはその痛みを無視した。

もう彼女の事は諦めたんだ、そう自分に言い聞かせて……。



放課後、カークは学園の隅の方にある東屋にきていた。

この場所は穴場で外から見た時は、ただの荒れ果てた場所にしか見えない。

だが奥に進めばそこは煉瓦で綺麗に整備されていて、周りには様々なバラが咲く美しい庭園があるのだった。

その東屋でカークはユリゲル領関係で任された簡単な執務を行っていた。

嫡男として最近は少しずつ執務を任されていた。

そんな中、ふと人が近付いてくる気配がしてカークが庭園の入口へと目を向けた。


そこにはメルファが佇んでいた。

カークは驚く事なく、静かに彼女を見据えた。


実は、ここは初めてメルファと出会った場所だった。

あの時は土砂降りの雨だった。

雨の中、誰にも見つからない場所で独りになりたくて、この庭園に自然と足が向いていた。

この庭園に着いた頃には既に全身びしょ濡れで、庭園を眺めても心は一向に晴れなかった。

雨が自分の体を重くして、更に心まで深く沈んでいった。


あの日の事を思い出していると、メルファが声を掛けてきた。

「またここでお会いしましたね。」

「そうですね……」

無表情でカークが答える。

「少しお邪魔してもよろしいでしょうか?」

不安そうに尋ねる彼女に、カークは穏やかに答えた。

「ええ。こちらへどうぞ。」

カークは立ち上がると、東屋の座席までエスコートをした。

そしてエスコートをしながら、ある事を話そうと決心を固めた。


メルファが席に着くと、カークも隣の席に座った。

2人はしばし沈黙し、この庭園を眺めていた。

そんな2人の間に涼やかな風が通り抜けると、カークが静かに口を開いた。

「……まさか学園に戻られるとは思いませんでした。」

するとメルファは笑みを漏らして言った。

「私もまさか戻って来れるとは思いませんでした。皆様の心遣いのお陰です。私の我儘を聞いて下さって感謝しかありません。」

「戻ってこられて、良かったですね。」

彼女が学園に戻りたい理由も王太子から聞いていたので、カークはそれ以上深く尋ねる事はしなかった。

「これから大変だと思いますが、同じ生徒会役員として皆であなたを支えますから、遠慮なく言ってください。聖女様。」

そのカークの言葉に心の距離を感じたのか、メルファは目を見張った。

明らかに線を引かれた。

カークは取り繕った様な笑みを浮かべた。

メルファは口を引き結び、握っていた手に力を込めると、カークの瞳を真っ直ぐに見詰めて声を掛けた。

「あ、あのっ」

だが、メルファの声をカークが遮った。

「……あの時の事を少しお話してもよろしいですか?」

「え?」

メルファは動揺しながら尋ね返した。

カークはメルファから瞳を逸らすと、庭園へと視線を向けた。

「あの雨の時の事です。もちろん聞きたければですが……」

突然の事でメルファは戸惑いを隠せなかったが、カークの真剣な眼差しに思わず返事を返していた。

「もちろん聞きたいです。教えてください。」

メルファが強い瞳でカークを見詰めた。

カークはメルファを一瞥すると、再び庭園へと視線を戻した。

カークの手に自然と力が込められていく。

「あの日……父親が倒れたと知らせを受けた日でした。」

「そうだったんですか!?」

メルファは驚きの声を上げた。

「ですが、父親が倒れたのは大分前の出来事で、完治した後に知らせを受けたんです。それでも父上に会いに屋敷に駆け付けると、罵倒されて追い返されてしまいました。何のために完治した後に知らせたのか考えろ、と……」

カークの眉間に皺が寄った。

「そんな……」

思わずメルファから声が漏れると、カークが苦笑した。

「私の父親はそういう人です。父親との思い出には、普通の家庭にある様なものはありません。心配する事さえしてはならないのです。家族の愛情は必要ないと考えている人ですから。父親が私に求めているのは歴史あるユリゲル侯爵家の嫡男として務めを果たす事。ただこれだけです。」

カークの視線が自然と手元へと落ちていった。

「あの日、家族の愛情を否定されたから、父親が倒れたから……私は落ち込んでいたんです。フフッ……情けないでしょう?もう愛情を求める様な年齢でもないのに。」

「そんな事ありませんっ」

メルファが強く否定した。

「あなたの心は間違ってません。そう思うのは当然の事です。私は、母が再婚するまではずっと母親と2人で暮らしていました。私も物心ついた時から父親の愛情を知らずに育ちました。今は新しい父親が本当の娘の様に可愛がってくれてますが、それでも時折……寂しさを感じます。そんな気持ちになるのも申し訳なくて……」

メルファが少し切ない表情を浮かべて俯いた。

「そうなんですね……」

カークが答えると、メルファはハッと顔を上げて慌てて言った。

「すみませんっ。勝手に同じ境遇みたいに話したりして……。ユリゲル様は現在、父親がいるからこそ私とは違い、つらい部分もあるはずなのに……」

だがカークは首を横に振った。

「いいえ。それを言うならフランツェル嬢こそ、会いたくても実の父親に会えない環境ではないですか。私はまだ父親は側にいますから……ですが、そう、だからこそ……」

そう言いカークが顔を上げると、何かを決意した様な強い瞳でメルファを見詰めた。



「私は父親を裏切る事はできません。」



ハッキリとした声でカークが言った。

それからカークが重い口をゆっくりと開いた。

「私は父親に侯爵家の嫡男として恥ずかしくない振る舞いをするように言われました。そして、私はそれに従おうと思っています。いずれ父親が決めた相手と婚約をするでしょう。」

その言葉にメルファは息を呑んだ。

そして心の奥を探る様にカークの瞳を見詰めた。


そこにあるのは『拒絶』だった。


「そう……ですか……」

メルファはこれ以上カークを見詰める事ができずに下を向いた。


カークは次の言葉を言うのをしばし躊躇ったが、やがて意を決して口を開いた。

「どうか……立派な聖女になられます様に。陰ながら応援しています。」

メルファは目を見開くと、思わず顔を上げてカークを再び見詰めた。

そのカークの表情は硬く、何も感情を読み取る事はできなかった。


メルファはカークが何を伝えたいのか痛いほど理解できた。

この胸の痛みが何なのか、考えてはいけないと思った。


そう、まだ大丈夫だから。

彼の事は好きじゃない……。


メルファは拳を強く握り締めると、笑顔を見せて明るい声で言った。

「ありがとうございます。」

そうして椅子から立ち上がるとカークの方を見る事なく言った。

「ユリゲル様、私に父親との事を話して下さり、嬉しかったです。私も陰ながら応援していますから。では……お邪魔して申し訳ありませんでした。失礼します。」

「ええ……、ありがとうございます。聖女様……」

カークが言葉を発したが、メルファがそれに答える事はなかった。


やがて、メルファの姿が庭園から消えた。


後には、冷たい風に吹かれた草花が静かに揺れ動いていた。

カークは、それをいつまでも眺め続けていた。




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