第2話 惹かれ合う想い

あれからカークとよく学園でも目が合うようになった。


自分が意識しているからとかではない。

決してない!

それに今は彼に構ってる暇はないからっ。


メルファはもうすぐ聖夜祭という事もあり、忙しい日々を送っていた。

今はお昼休みで、メルファは生徒会長である王太子殿下から生徒会室の鍵を借りて、やらなければならない事務作業を行っていた。


しばらくして、扉を叩く音が聞こえた。

「はい。どうぞ。」

メルファが応えると、扉が開かれて入って来たのはカークだった。


なぜ!?


メルファが混乱していると、カークが言った。

「殿下から手伝うよう言われましたので。」

「え、だ、大丈夫ですからっ」

メルファが断りの言葉を紡ぐも、カークはそのまま椅子をメルファの席の隣に運ぶと腰を下ろした。

「無理はなさらないでください。私も手伝いたくて来たのです。あなたが忙しいのは皆知っています。私は少しでもあなたの力になりたい。……駄目ですか?」

切ない表情を浮かべて言うので、メルファはこれ以上否定する事ができなくなってしまった。

メルファは頭を下げると言った。

「……ありがとうございます。では、すみませんが資料作成を一緒にお願いします。」

カークはそれを聞くと、穏やかで優しい笑顔を浮かべた。

「あなたの力になれるなら嬉しいです。」

だがその言葉にメルファは顔を赤くすると、苛立ちが込み上げてくるのを止められなかった。

カークを睨む様に見詰めると言った。

「そういう言葉はダメですっ。そういう甘い言葉は意中の人だけに言うべきだと思います。」

突然の言葉にカークが目を見開いた。

驚きを隠せない様で、カークはしばらく呆然とメルファを見詰めていたが、やがて笑みを漏らすと尋ねた。

「何故ですか?」

「だって、女性なら絶対に好意があると勘違いしてしまいますから。」

「という事は、あなたは勘違いしたんですね?」

「え?」

メルファは思わぬ質問に戸惑った。


違う、違う、違う!

何故そうなる?

話の流れがおかしくない?

何でこっちが追い詰められてるの?

そういう事が言いたかったんじゃない!


ん?……なら、私はどういう事を言いたかった?


ダメダメ!今はそんな事考えてる場合じゃない。

と、とにかく早く否定しないとっ。


メルファは心臓がバクバク打ち付けているのを感じながら、焦って答えた。

「い、一般論の話をしているだけです。」

「でもあなたは女性なら絶対に勘違いをすると言いましたよね?」

カークが顔を近付けて更に迫ってくる。

「そ、それは……と、とにかく、私の事はいいんです!」

「よくないです。」

「え?」

その言葉にメルファの瞳が揺れた。

カークは真剣な眼差しになると言った。

「私がこんな事を言うのはあなただけです。」

メルファは目を大きく見開いた。


ど、どういう事?!

それって……まさか……。

いやいや、そんなに私達まだそんなに話した事ないし。

そ、そんな訳ないっ。


メルファが動揺していると、カークが急に真剣な顔を崩して笑みを零した。

その表情を見て、メルファはまたからかわれたんだと悟った。

「ユリゲル様!だから、そういう所ですってばっ」

メルファが顔を真っ赤にさせて怒鳴った。

カークは笑いを堪えながら言った。

「すみません。あなたの動揺した姿が可愛すぎてつい、クックッ……」

また勘違いする様なセリフを吐くカークに、メルファはもう相手にしては駄目だと悟った。

「もう、いいです!早く作業を始めましょうっ」

「そうですね。これだと手伝いに来た意味がありませんから。」

カークもそれに同意して、作業を進め始めた。

だが、ふとメルファを見ると言った。

「でも、これだけは信じてください。」

急にカークの声が低くなったので、メルファが顔を上げて目を向けた。

「私は誓って嘘は言ってません。」

綺麗なアメジスト色の瞳が真剣な色を帯びた。


その瞳を見たメルファは言葉に詰まる。

だが、またからかわれてるのかもしれないと思った。

メルファはその言葉を素直に信じる事ができない。

その真剣な瞳から逃れる様に、目を離すと言った。

「もう騙されませんから。」

そう言った後で、なぜかメルファの胸にチクリと痛みが走った。

その言葉にカークは苦笑いを浮かべた。

「……自業自得ですね。」

そして資料に向き直ると、もう言葉を発する事なく2人は作業を続けた。

その後もなぜかメルファの心は晴れなかった。


この時間が早く終わってしまえばいいと、ただ只管ひたすらに願った。







 ◈·・·・·・·◈·・·・·・·◈







聖夜祭の日。

メルファは朝早くから目まぐるしく準備に追われていた。

先ずは聖水による体の清めから始まり、聖なる乙女の衣装を身に纏うと、様々な行事が厳かに執り行われていった。



そして現在、次の行事までの僅かな休憩時間の中、メルファは神殿の中にある噴水の前で佇んでいた。

その水面をじっと見詰めているメルファは傍から見れば、女神が舞い降りたかと見紛うほどの美しさに満ち溢れ、見る事さえ憚れる様な神々しい輝きを放っていた。


メルファはその水面に映る自分を見詰めながら、ふと溜め息が零れ落ちた。


自分はなぜ今、ここでこんな格好をしているのか。

2年前まではただの平民で、平民の中でも貧しい暮らしをしていた。

身なりもみすぼらしく、食べる物も十分でなく、体付きも貧相だった。

それが今では女性なら一度は憧れる聖なる乙女としての役目を拝命し、身なりを整えてもらい、一級品に囲まれた世界に住んでいる。


今の状況が信じられない気持ちだった。

まるで夢の中の出来事の様に、どこか現実味を帯びないフワフワとした日々を送っていた。


そんな自分が嫌だった。


自分の意志はどこにも存在しないで、ただ周りが道を作り上げていく。

その作り上げられた道を、ただ歩くだけ。

まるで操り人形だ。

それも不格好極まりない……覚束ない足取りで。

私の意志なんて必要ない。


そんな風に流されているままの自分が嫌で堪らなくなる時がある。



けれど……それは我儘だ。



母さんは今の父上にこの上なく愛されて幸せなのは明らかだった。

父上も私の事を本当の娘の様に愛情を注いでくれているのが分かる。

だから、私はそれに応えたいと思った。



でも、本当は……。



本当は、平民のままでいたかった……。



貴族の礼儀作法や周囲の自分への期待、それらが自由な心をどんどん蝕んでいく。

平民の時の様な自由は、もう私には存在しないんだ……。

そう思うと、胸が強く痛んだ。


けれど……。


親が喜んでくれる姿を見るのが何より嬉しいのも本当だった。

綺麗に着飾った時も、サンザード王国の最高峰である王立サンザード学園に入学できた時も、聖なる乙女に選ばれた時も、何より親が喜んでくれた。

その姿を見るのが一番嬉しい。


だから貴族になった時、私は覚悟を決めた。

立派な淑女になる事を。

そして何より親が結婚して良かったと思ってくれる様に。


なのに……。

今は流されない様に自分の心を保っているのがやっとだった。

しっかり自分を持っていないと、あっという間に心が流されていく様な気がした。

今、自分の環境が嵐の様に吹き荒れていて、自分の大切な部分がどんどん失われていっている様に感じていた。



このままでいいんだろうか……。



メルファはその桃色に染めた艶やかな唇から、また一つ溜め息を零した。


「どうかされましたか?」


不意に背後から声が聞こえてきた。

その声の主が誰なのかメルファはすぐに分かり、驚いて振り返った。

その視線の先には、やはり思った通りカークがいた。


カークは礼服を身に着けていて、いつもよりも更に大人びて見えた。



か、かっこいい……。



メルファの頬が微かに赤く染まった。

すると、カークがこの世のものとは思えないほど美しく魅惑的な笑みを浮かべた。


「まるで……女神かと思いました。」

その言葉を聞いても、メルファは彼の微笑みに魅入っていて返事ができなかった。

カークは返事を待つ事なく、ゆっくりとメルファに歩み寄って来る。

その様子を呆然と見詰めながらメルファは思った。



でも……平民のままなら彼に会う事はなかった。


こんな風に笑顔を向けられる事もなかった。

そしてからかわれる事もなかった……。



メルファは果たしてそれが良い事なのか、悪い事なのか判断できなかった。

カークがメルファのすぐ側まで来ると、再び口を開いた。

「怒らないんですか?」

「え?」

メルファはその言葉の意図を理解できずに尋ね返す。

「いつもなら、からかうなと怒るのに……」

カークは先ほどの美しい笑みとは違って、いたずらな表情を見せた。

その言葉にメルファは我に返ると、顔を真っ赤にして言った。

「まるで、私がいつも怒ってるみたいじゃないですか。」

「私に対しては、いつもそうだと思いますが?」

「そ、それは、あなたがいつも私をからかうからです!」

そう言い、不貞腐れた顔をしてプイッと顔を背けた。

するとカークはフフッと笑みを漏らした。

「せっかくの神々しい衣装が台無しですね。」

その言葉に苛立ちを感じながら、突き放す様に言った。

「それはご期待に添えず、申し訳ありませんでした!」

カークはそれを聞いて笑みを零した。

「フフッ。ようやくあなたらしくなった。」


メルファはカッとなって我慢出来ずに、更に噛み付いた。

「私らしいって何ですか?いつも怒ってるのが私らしいとでも?」

カークは一瞬、虚をつかれた顔をしたが、メルファの泣きそうな顔を見ると真剣な眼差しになった。

そして口を引き結んで少し考えていたが、やがて意を決した様な強い光を瞳に宿すと、労わる様な優しい声でカークが言った。

「私の思うフランツェル嬢は周りの事を常に気遣い、期待に応える為に頑張っていて、努力家で、曲がった事が嫌いで、弱い部分を見せないから思わず守りたくなる人で、そして何より……雨の中、濡れてる者に何も聞かずに傘を差し出す優しい人です。そんなあなたが、私は心配で堪らない……」

そう言った彼の瞳に切ない色が滲んだ。

メルファは大きく目を見開くと、瞳が大きく揺れた。



ああ、彼は私を見てくれていたんだ。

心配してくれていた。

皆に気付かれない様に必死で隠していた心を、彼はちゃんと見つけてくれていたんだ……。



その事が何より嬉しくて、切なくて、彼女の瞳から涙がボロボロと頬を伝って溢れ出す。


カークは思わずメルファに手を伸ばすと、優しく両手で彼女の体を抱み込んだ。

メルファは声を押し殺して涙を流す。

カークはただ黙って、そんな彼女の頭をそっと撫でた。

その大きくて温かい手が、自分の心を蘇らせてくれている様だった。

メルファは彼の温かな胸の中で、縋り付く様に頭を擦り付けた。

その温もりがあまりに優しくて、更に涙が溢れてくる。



どんな自分でもいいよ。



そう言われている気がした……。





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