第584話 F級の僕は、曹悠然と機関室に向かう


6月23日 月曜日E3-5



部屋を出た僕達は周囲に警戒の視線を向けつつ、機関室に向けてゆっくりと歩き出した。

通路の照明は落とされていたけれど、“夢”と違い、点灯している非常灯のおかげで移動に不自由は感じられない。

そして足元からは、この船を動かす機関がかなでる騒音が、振動と共に伝わってきている。

ちなみに曹悠然ツァオヨウランはロッカーに保管していた自身の荷物――その中には当然ながらあの“夢”の中で僕達が装着していた暗視と防毒の機構が組み込まれたゴーグルも入っている――を持ち出しており、僕の方も僕達を包み込むように障壁シールドを展開中だ。

彼女の荷物に関しては、一応、僕のインベントリでの保管も申し出たのだが、やんわりと断られてしまった。

まあ彼女の性格を考えれば、予想通りの反応だったけれど。


僕は曹悠然ツァオヨウランに声を掛けた。


「念押しですけど、勝手な判断で自暴自棄な行動には出ないで下さい」


彼女はこちらを振り向く事無く、抑揚のない声で言葉を返してきた。


「今まで自暴自棄な行動に出ようとしたことはありません。そして今後もあり得ないと確約出来ます。ですから、その点はご安心を」


……

もしかして、僕の表現が婉曲的過ぎた?


「つまり、自分が死ぬ事前提の行動はやめて下さいって事です」

「……私に自殺願望は有りません。ですが……」

「曹さん!」


少し声が大きくなりかけて、僕は慌てて言葉を止めた。

周囲にそっと視線を向けてみたけれど、今のところ、僕達以外の人の気配は感じられない。

昼間案内してもらった限りでは、船員達が休んだり業務に従事したりする区画は、ここからは少し離れていたはず。

それはともかく、曹悠然ツァオヨウランは確実に、自分が必要と感じれば直ちに命を絶って、“巻き戻った”僕が過去の彼女と“より良い選択”をしてくれる事に賭けるだろう。

ならば頭ごなしにその考えを捨てさせるより、彼女の“決死の選択”が、全くうまくいかない可能性を提示した方が良いかもしれない。


「曹さん。これまで僕は5回巻き戻っています」

「それは既に聞いています」

「今のところ全て、あなたが“殺された”瞬間、僕に“巻き戻り”現象が発生しています」

「……それも既に聞いています」

「5回ともあなたは“殺された”けれど、自ら死を選んだわけじゃない。つまりあなたが自ら死を選んだ場合、僕は巻き戻らないかもしれないという事です」


彼女が僕の方に視線を向けてきた。

彼女の目には、少しばかり迷いの色が浮かんでいた。


僕は構わず言葉を続けた。


「まあどのみち、本当に行き詰ったらあなたは殺されるかもしれないわけでしょ? だったら今まで通りなら、僕はその時巻き戻るわけで、別段急いであなたが死ぬ必要って、全く無いと思いませんか?」


どうだろう?

正論のはずだけど。

しかし案に相違して、彼女の目の中に浮かぶ迷いの色は、むしろ強くなっている気がする。


少し会話が途切れたところで、僕は改めてあの“夢”の内容を思い返してみた。

“夢”の中で彼女は、途中までは僕と一緒に救命艇を使って、この船からの脱出を試みていたはずだ。

拡声器越しの“声”を無視して……救命艇に辿たどり着いて……救命艇を操作しようとして……



―――曹悠然ツァオヨウラン。君の企みは既に破綻している。君に秘かに協力していた吴沐阳ウームーヤンも拘束済みだ。これ以上罪を重ねる事無く、速やかに投降する事を強くお勧めする



そうだ!

“日本語”でそう呼びかけられた直後、彼女の様子が急変した。

つまり彼女はあの呼びかけが原因で、“死に急ぐ”ようになってしまったのでは?


僕は彼女にそっと聞いてみた。


「ウームーヤンって誰ですか?」


彼女がハッキリ分かる位、大きく息を飲んだ。


「もしかして……」


僕の頭の中に、この船を“特別手配”した、あのすけすけネグリジェの謎の人物の顔が浮かび上がって来た。


「ラウンジ七面鳥の?」


彼女の足が止まった。


「“夢”の中で彼を拘束したとか、そんな話が出ていましたよね」


彼女が顔を歪ませた。

目には見る見るうちに涙が溜まっていく。


「彼が拘束された云々って話のせいで、“やり直そう”とか、そんな考えになった?」


返事が無い。

しかしそれは言外に、僕の言葉を肯定しているように感じられた。


「もしかして、ウームーヤンさんって、曹さんのその……彼氏さんとか?」


将来を誓い合った恋人が拘束されて、やけっぱちになったとか、よく有りそうな話だ。

まあ、あのすけすけネグリジェのウームーヤン(?)と、すらっとしていて綺麗系の曹悠然ツァオヨウランとでは釣り合い取れてない気がしないでもないけれど。


曹悠然ツァオヨウランが前を向いたまま、言葉を返してきた。


「違います! 私と哥哥グァグァ……兄さんとは、そんな浮ついた関係ではありません!」


その声には、明らかな怒気が込められていた。


「すみません。僕の勝手な想像でした。でも兄さんっていう事は、ご家族って事ですか?」

「……ウー兄さんと私の間には血の繋がりはありません。ですが私にとっては、家族よりも大事な存在です」


なんだか複雑な人間関係が背景にありそうだ。


「とにかくそのウーさんは、実際には、まだ拘束されているかどうか分からないですよね?」

「ですが、私達が“視”た“予知夢”の中では……」

「まずアレが予知夢だったかどうかって確証無いですよね? 実際、今の時点で機関室も電気系統も破壊されていないわけですしって、あ、ほら、到着しましたよ」


僕達の目の前には、『機関室』と書かれた扉があった。


「とりあえず、中、確認してみましょう」


扉を開けると、むわっとした熱気と共に、重油の臭いが混じった独特の香りが、こちら側に流れ出てきた。

機関室の中も通路と同じく照明は落とされており、非常灯だけがぼんやりとした明るさを提供してくれている。

船を動かす機械類が騒々しい音響を立てて動いてはいるけれど、人の気配は感じられない。

実はこの機関室、今日の昼間、僕は船内散策中に立ち寄り、曹悠然ツァオヨウランに一通り案内してもらっている。

その際、機関の内圧やら稼働状況やらを遠隔でチェックするだけで、通常は24時間無人であるという説明も受けている。

だからまあ、僕達以外の人間というか、他の船員がいないのは、当然と言えば当然なんだけど。


ざっと見渡したところ、特に異常は感じられない。


僕は隣に立つ曹悠然ツァオヨウランに話を振ってみた。


「ところでこの機関を破壊して止めるとすれば、どんな手段が考えられますか?」


そう、あくまでも“夢”の中の話だけど、まずはここが狙われて破壊された。


孫浩然ハオラン=スンが遠隔で配線でもショートさせて、燃料に引火……とか?」


曹悠然ツァオヨウランは――僕の記憶の中では――3度目か4度目の“巻き戻り”の際、車で走行中に突然千切れ飛んだ高圧電線が道路に降って来て、車ごと爆殺第556話(!)された。

しかし曹悠然ツァオヨウランは首を横に振った。


「それはあり得ません。ここはそうした形での攻撃に対しては、二重三重の安全装置セキュリティーが施されています」

「それじゃあ……ミサイル攻撃?」


戦争なんかのニュースでよく、タンカーにミサイルが撃ち込まれて、とかいう話を聞く。


「それも考えにくいですね。この場所黄海导弹ミサイル、或いは船外から強力な魔法を使用すれば、韓国や美国アメリカ等に察知される可能性があります。“敵”があくまでも、この件を隠密に処理しようと考えているのなら、そのような目立つ手法は取らな……」


曹悠然ツァオヨウランが突然言葉を切り、口元で右の人差し指を立てた。

そして身をかがめるように、手振りで知らせてきた。


直後……



―――ギィィィ……



僕達が先程入って来た扉が開かれ、何者かが機関室へと入って来た。


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