第536話 F級の僕は、ユーリヤさん相手にしどろもどろになる


6月20日 土曜日30



【異世界転移】のスキルを発動した瞬間、ボロアパートの部屋から皇帝陛下の居室へと、僕の視界が切り替わった。

居室の床をニヌルタが腰をかがめ、丹念に調べているのが見えた。

彼の周囲には兵士達が立ち、皇帝陛下は変わらず、ベッドの上で上半身を起こしていた。

しかし【隠密】スキルのお陰か、彼等の中に僕に気付いた雰囲気の者はいない。


僕は目を閉じて、トゥマのシードルさんの屋敷、三階のバルコニーの情景を思い浮かべながら念じてみた。



―――バルコニーに転移したい!



―――ピロン♪



トゥマの筆頭政務官シードルの屋敷三階バルコニーに転移するには、1,000,000,000,000の経験値を消費する必要があります。

あなたの現在の累積経験値は、3,644,341,923,587,590,000,000

レベル104を維持するのに必要な累積経験値は、2,744,287,948,362,700,000,000

実行しますか?

▷YES

 NO



僕は、▷YESを選択した。

その瞬間、視界が切り替わった。

明るく暖かかった屋内から、白い月の光のみに照らし出された、ひんやりとした冷気が頬を撫ぜる屋外へ。

同時に別のウインドウもポップアップした。



―――ピロン♪



1,000,000,000,000の経験値を失いました。

あなたの現在の累積経験値は、3,644,341,922,587,590,000,000

レベル104を維持するのに必要な累積経験値は、2,744,287,948,362,700,000,000



その表示をゆっくり眺めるいとまも無く、いきなり誰かが僕に抱き付いてきた。


「タカシさん!」

「ユーリヤさん……」


僕の胸の中に一旦は顔を埋めた彼女は、しかしすぐに僕を見上げてきた。


「どうして勝手な事をしたんですか?」


彼女は怒っているような、ホッとしているような、泣いているような、とにかく複雑な表情をしていた。

彼女の背後に視線を向けると、バルコニーの手すりに寄りかかるようにして、エレンが立っているのも見えた。

僕は彼女の両肩を掴んで、彼女からそっと身を離した後、僕の考えを説明した。


「すみません。ですが結果的に皇帝陛下も解呪出来ましたし、僕が一人で勝手にやった事にすれば、ユーリヤさんが考えている今後の計画に与える影響も最小限で済むかな、と思いまして」

「そんな勝手な判断は今回限りにして、今後は何か予定にない行動を起こす場合は、必ず私に相談すると約束して下さい!」


彼女としては、自分のあずかり知らない所で、自分の計画に大きな齟齬そごをきたす状況を作って欲しくない、という事だろう。

それは彼女の立場――皇弟ゴーリキーから実権を奪い返そうとしている皇太女――を考えれば、むしろ当然の発言なわけで。


「分かりました。今後はユーリヤさんの計画を尊重……」


しかし僕の言葉の途中で彼女は激しくかぶりを振った。


「違います!」


ん?

何が違うのだろうか?


彼女が僕を軽く睨んできた。


「計画とかではなく、ちゃんと私の事を尊重して下さい、とお願いしているのです!」


どういう意味だろう?

もちろん、彼女の事を尊重するからこそ、彼女の計画を尊重するわけで……


彼女が僕の胸にそっと手を添えてきた。


「計画がぶち壊しになっても、一生、私の傍にいて下さるんですよね?」


え?

一生?

そんな事言ったっけ?


僕は記憶を辿たどってみた。

確か……



―――皇太女ユーリヤとしての計画がぶち壊しになったとしても、僕は……僕だけは最後まであなたの傍にいて、あなたを守り抜きますから



うん。

“一生”とは言っていない。

“最後まで”とは言ったけど、これは比喩的表現で……それにそもそも、僕が口にしたのは、何かあったら、彼女の身が立つまではサポートを惜しまないって意味で……ってあれ?

あの時は感情のまま喋っちゃったけれど、これって聞きようによっては、相手を激しく勘違いさせていないか?

しかもユーリヤさんは、僕に“特別な感情”を持ってくれているわけで……


今更ながら耳まで赤くなってくるのが自覚された。

しかしユーリヤさんは、そんな僕に構う事無く、言葉を続けた。


「一生、傍にいて下さるという事は、共に人生を歩んで下さるっていう事ですよね? そうであればこそ、重要な決断を下す時は、お互い、ちゃんと相談してから決めた方が良いと思うのです。だから私を尊重して下さいとお願いしたのです。もちろん、私もあなたを最大限尊重しますから」


え~と……

これはどう解釈すべきなのだろう?

共に人生を云々って言うのは、これからも盟友として仲良くしていきましょう的な意味……だよね?

で、盟友として今後も協力し合っていく以上、お互いを尊重していきましょう的な確認……だよね?

それ以上の深い意味は無い……はず!

無いはず……だけど、一応、確認しておいた方が良くないだろうか?

僕の解釈で正しいかどうかを。

特に“共に人生を云々”って、僕が想定している方向性とは別の意味での使い方もあった……ような気がするし……


そんな事を考えていると、僕達から少し離れた場所、バルコニーの手すりに寄りかかったまま、こちらをじっと見つめていたらしいエレンと視線が合った。

僕は話題の転換を試みる意味もあって、エレンに声を掛けた。


「さっきはありがとう。それと、急にあんな事頼んでごめんね」

「気にしないで。あなたの力になれる事こそ。私にとっては喜びだから」


エレンは僕の意を組んで、皇帝陛下が目を覚ます直前に、ユーリヤさんをトゥマに転移で連れて帰ってくれた。

あの後、もしかしたらエレンは、ユーリヤさんに責められたかもしれない。

それを踏まえての感謝と謝罪の言葉だったのだが……


ユーリヤさんがエレンに一度チラッと視線を向けてから、再び僕の方に顔を向けてきた。


「タカシさんは、エレンさんにも共に歩んで行こうって約束しているんですよね? 魔王エレシュキガルを完全に消滅させて、命尽きるまでこの世界とここに生きる人々を一緒に救い続けようって」


え?

なんでユーリヤさんがその事、知っているのだろう?


首を捻っていると、ユーリヤさんが悪戯っぽい笑顔になった。


「タカシさんが戻って来るまで、結構時間ありましたからね。二人で色々“お話”させてもらったのです」

「そ、そうなんですね……」

「エレンさんとの約束は、ちゃんと守るんですよね?」

「もちろんです」


彼女の精神をこの身に宿していたからこそ、彼女があの時感じていた絶望と悲しみを、僕は、僕だけは他の誰よりも深く理解出来ていると自負している。

そんな彼女を、それこそ命尽きるまで支え続けていくと誓った第163話あの気持ちは、彼女が本当は何者であるのかを知った今でも、全くかげりを見せていない。


僕の即答を聞いたユーリヤさんが、嬉しそうな顔になった。


「その言葉を聞けて安心しました」

「安心?」

「はい。タカシさんがちゃんと約束を守る方だという事が、改めて確認出来ましたから」

「え~と……」


どういう意味ですか? と問い直す前に、ユーリヤさんが言葉を返してきた。


「約束を守るタカシさんは、私との約束も守って下さるって事ですよね?」


約束……

え~と

つまり、これからはお互いを尊重し合って、何事も相談で物事を進めていきましょうっていう約束、ですよね?


「それは……もちろん、です。はい」

「エレンさんの時と違って、なんだか歯切れが悪い気がするのは、気のせいでしょうか?」

「そ、そんな事無いですよ? ちゃんと約束は守りますから!」

「ふふふ、そんな気負いこまなくても大丈夫ですよ。ただ……」


ユーリヤさんがふいに憂いに満ちた表情になった。


「どうしました?」

「今後はこうした“約束”は、出来れば控えて頂ければ……」

「? どういう意味でしょうか?」

「あまり人数が増えすぎますと、時に嫉妬と言う感情は、意図しない所で不測の事態を引き起こす事もありますから」


……どういう意味か今ひとつ分からないけれど、聞き直さない方が良いような気がする……


と、ユーリヤさんが何かに気が付いたような顔になった。


「ところでタカシさん、ここへはどうやって戻って来たのですか?」

「実は……」


説明しようとしたところで、言葉をかぶせられた。


わらわの力で転移してきたのじゃ」


声の方に視線を向けると、今までどこにいたのであろうか?

いつのまにか僕達のすぐ傍に、オベロンがふわふわ浮いていた。



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