第481話 全ては泡沫(うたかた)の夢の如く……


6月18日 木曜日32



眼前には、この世界の二つの月明かりに白く照らし出される草原が広がっていた。

すぐ近くには大樹の残骸が、20年の歳月を経てもなお、いやせぬ傷と共に静かに存在していた。

名状めいじょうがたい想いが胸の中を去来する。

僕は大樹の残骸に近付いた。

そしてメルアルラトゥ身体からだを地面にそっと横たえてから、その苔むした樹皮に右手で触れてみた。


その瞬間……


ふところの中の何かが、凄まじい輝きを放ち始めた。

それは熱となり、僕の胸元を焼いた。

慌てて懐に手を入れ、熱のみなもとを探った僕の指先に、硬い何かが触れた。

取り出してみると、それは焼けつくような熱と共に凄まじい輝きを放つ『追想の琥珀』であった。


あの時……


命のともしびが消え去る直前、メルアルラトゥが僕のふところにそっと手を差し入れて来た時の事を思い出した。


―――メル……


『追想の琥珀』が放つ熱と輝きが、僕には彼女メルのこした想いそのものに感じられて……



―――ピロン♪



唐突に、耳慣れた効果音が鳴り響いた。

そして同時に立ち上がるポップアップウインドウ。



斉所に【転移】出来そうです。

【転移】しますか?

▷YES

 NO



―――!


僕は息を飲んだ。


このタイミングで?

斉所さいしょ”に転移?


反射的に▷YESを選択していた。

同時に視界が切り替わった。



白く素材不明の壁に囲まれたドーム状の閉鎖空間。

中央部分の磨き上げられた大理石のような丸い床と、その直上に浮遊する闇より黒く輝く定理晶じょうりしょう

そしてその周囲に広がる、敷き詰められた緑の絨毯のような芝生の上で、微笑みを僕に向けてきていたのは……!



「メル!?」



感情が涙となってあふれ出す。

僕は彼女に駆け寄った。


「メル、僕は……!」

「タカシさん……」


彼女の視線が、僕の背後の芝生に向けられた。

彼女の視線を追うように振り返った僕の視界の中、メルアルラトゥ身体からだが芝生の上に仰向あおむけに横たわっていた。


そうだった。

メルはもう……


「連れて帰って来てくれてありがとう」


そう声を掛けられた僕は、彼女に視線を戻した。


「君は?」

「あら?」


彼女が悪戯いたずらっぽい笑顔になった。


「私の事、もう忘れてしまったの?」

「だって、メルはもう……」


しかしそれに続けるべき言葉は、口から出てこない。

彼女はつかの間、僕の言葉を待つ素振りを見せた後、両方の手の平をそろえてこちらに差し出してきた。


「はい、これ」


手の平の上には、腕輪とイヤリング、そしてサイコロ大の小さな塊が乗せられていた。


「大事な物なんでしょ?」


それは『エレンの腕輪』と『二人の想い(左)』、そしてサイコロ大に小さく折り畳まれていた『エレンの衣』であった。

僕はそれらを手に取った。

腕輪を右腕にめ、イヤリングはインベントリに収納し、ローブは広げて今の衣服の上からそのまま羽織った。

彼女はそれを満足そうに見守った後、僕を黒く輝く定理晶じょうりしょうそばへといざなった。


「見て……」


視線の先、黒く輝く定理晶じょうりしょうの中心部が、すーっと透明になっていった。

そしてそこに、僕がよく見知った二人の人物の姿が映し出された。



「タカシは一体、どこへ消え去ったのじゃ?」

「さあ……」

「さあって……おぬし、あやつの事が心配では無いのか?」

「どうして心配?」

「どうしてって……分かったぞ! おぬし、確かあやつとはパスで繋がっておったな? それに念話でも通じ合えるはず。つまり、おぬしはあやつが今どこで何をしているか把握しているから、別に心配していないって事じゃな?」

「……」

「なぜ小首をかしげる? まさか、本当にあやつがどこで何をしているのか分からぬと申すか?」

「……」

「むぅ……本来なら、おぬしにこんな事を頼みたくは無いのじゃが、原因不明に、わらわの感知の網では、あやつの居場所を特定出来ぬのじゃ。あやつに何か不測の事態が発生しておるのやもしれん。おぬし、早急にあやつの居場所を探り出し、わらわを転移でそこへ連れて行くのじゃ!」

「必要無い」

「必要無い? どういう意味じゃ?」

「タカシは今、きっと大事な用事の真っ最中。邪魔をするべきではない」

「つまり、あやつがどこで何をしているのか、やはり把握しておるのじゃな?」

「……」

「じゃからなぜ、そこで小首をかしげる!?」



会話する二人を眺めていると、隣に立つ彼女がポツリとつぶやいた。


「エレシュキガル様の希望の光と……埒外らちがいの存在……」

埒外らちがいの存在……って、オベロンの事?」


彼女は静かにうなずいた。


「あなたも知っている通り、私はきたるべき運命を、世界の壁を越えて見通すことが出来た。ただし、運命は複雑に枝分かれして、無限に広がっていくもの。私はその中から、エレシュキガル様再臨……と言っても、ここで言うエレシュキガル様には、“魔王”という修飾子が付いていたわけだけど……」


彼女の双眸そうぼうに、底知れない寂しさが宿るのが見えた。


「とにかく、私は運命を私自身の最終目標に向かって一直線に導いた……いえ、導いたつもりだった……だけど……」


彼女は、黒い結晶体に映し出されるオベロンを指差した。


「私が“視た”無数の運命の枝の中に、アレの情報は一切含まれてはいなかった。つまり、アレ……今はオベロンと名乗っているアレは、この世界の運命の流れの埒外らちがいに存在している」

「オベロンは自分の事を“精霊王”って名乗っていたけれど……」

「精霊はおろか、創世神様でさえ、この世界では運命の流れの中に身をゆだねざるを得ない。だからこそ、侵蝕を受け、変容された創世神エレシュキガル様はご自身の残された光を切り離し、転生する事で、ご自身の浄化を図らざるを得なかった。そこに例外は……本来は存在し得ないはず」

「じゃあオベロンとは一体……?」

「だからアレには十分気を付けて」


彼女が寂し気に笑った。


「本当だったらあなたの傍に居て、あなたの手助けをし続ける事が出来れば良かったのだけど……私はもうすぐ行かないといけないから」

「行くって、どこへ?」


口にしてから、彼女の言葉の意味するところを悟ってしまった。


「私は私自身に万一の事があった時、あなたに伝えるべき事を伝えるために、ここに用意されていたの」

「メル……」

「ちょうど先代の舞女みこ様が、ご自身が亡くなられた後、継承の儀の中で私を導くために、ご自身の思念を残されていたのと同じ……」


突如として、凄まじいまでの寂寥感せきりょうかんが押し寄せて来た。

再び言葉を交わす事の出来た彼女は、やはり泡沫うたかたの夢の如く、消え去る運命にある存在だった。

だけど、一度ならずも二度までも彼女を失う痛みに、僕の心は耐えられるのだろうか?

それがもし運命だと言うのなら……



……運命の流れの埒外らちがいにあるというあいつの力なら……



彼女が僕の両手をそっと握り締めてきた。

そして静かに、しかし、はっきりと首を横に振った。


「私にその力は使わないで。私を運命の流れの中から逸脱いつだつさせないで」

「だけど……」

「聞いて」


彼女は僕の言葉を優しくさえぎった。


この世界イスディフイでは命は巡るもの。肉体は滅んでも魂は浄化され、また新しい肉体を得てこの世界に生まれて来るの。だから……」


彼女は優しい表情で言葉を続けた。


「本来の私も、新しいせいを送ることになるはず。というより、もしかするともう新しいせいを送っていて、あなたの前に現れているかも?」

「え? それはどういう……」

「ふふふ」


彼女が楽し気に微笑んだ。


「転生は時の流れとは無関係に行われるの。だから同じ時代に複数の同じ魂が存在する事も、理論上は可能なのよ? もっとも、浄化の過程で記憶は完全に消去されるから、出会えたとしても、絶対に気付く事は出来ないとは思うけれど」

「メル……」

「そうそう、大事な事を伝え忘れるところだったわ」

「大事な事って?」

「地球とイスディフイ、二つの世界に生じている三つの巨大な黒い結晶体の事」


チベットと嘆きの砂漠

ミッドウェイと臥竜山

北極海と最果ての海


「もう気付いているかもだけど、あれは定理晶じょうりしょうなの」

「という事は……」

「そう。定理晶じょうりしょうである以上、強力な効果を維持するためには当然、代償が必要になるわ。私が設定した代償は何だと思う?」


僕の背中をサッと緊張感が走った。

今の彼女はともかく、定理晶じょうりしょうことわりを定め、二つの世界にそれを配置した時、彼女は“魔王”エレシュキガルの強い影響下にあった。

“魔王”エレシュキガル再臨の為なら、州都モエシアを破壊し、住民達を禁呪のにえとする事もいとわなかった彼女が、ことわりの強制力の為に設定した代償とは……


「奴隷の首輪よ」

「へっ?」


意外な答えに、間の抜けた声が漏れてしまった。


「ネルガルの全ての奴隷達の首輪が外された時、二つの世界に生じている定理晶じょうりしょうはその力を失って、ただの黒い塊と化すわ」


僕の心の中を暖かい何かが満たしていく。

メルはやはりメルだった。


「ごめんなさい」


彼女が頭を下げてきた。


「あなたの世界を人質に取るような事をしてしまって」

「いいよ」

「本当だったらあなたの傍に居て、あなたの手助けをし続ける事が出来れば良かったのだけど……」

「それはもうさっき聞いたよ。それに大丈夫。なんとかするから」


先程までの寂寥感せきりょうかんは、嘘のように消え去っていた。

彼女が微笑んだ。


「ありがとう」


彼女がそっと顔を寄せて来た。

そして僕達の唇が重なった。


「……それじゃあそろそろ行くね」


僕から身を離し、頬を染めた彼女がうつむき加減でそう口にした。


「うん」

「またいつかどこかで……」

「そうだね。またいつかどこかで出会えれば、その時は……」



周囲の全てが白く輝き始めた。

真っ白な光の中、彼女は微笑みを残して消えて行った。


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