第471話 F級の僕は、エレンを封晶の中から救い出す


6月18日 木曜日22



僕は地面に横たわるメルアルラトゥの背中にそっと両手を差し入れ、抱き上げた。

命のともしびが消え去った直後の彼女の身体はまだ暖かかった。

彼女の胸元から突き出していた、そして彼女の命を“吸い尽くした”赤黒い刃は、その役目を終えたと言わんばかりに、溶けるように消え去っていた。


オベロンが、恐る恐ると言った雰囲気で声を掛けて来た。


「そやつを……どうするつもりじゃ?」

「連れて帰ってあげないと……」

「連れて帰る?」


僕の意図を理解できないらしいオベロンが小首を傾げた。

彼女を必ず守るという約束は、ついに果たす事が出来なかった。

ならばせめて、彼女を故郷の地ルキドゥスに連れて帰る事こそが、唯一僕に出来る贖罪のはずだ。


「な、なあ……その……そやつとおぬし、もしや旧知の間柄か?」

「何を言って……」


言いかけて、僕はオベロンがつい先程まで――彼女の言葉を借りれば――『精霊の鏡』の中に封印されていた事を思い出した。

僕と契約を交わし、この世界で“実体化”するまでの彼女は、周囲の状況把握に著しい制約がかかっている感じであった。

当然、僕がルキドゥスで何を体験させられたのかは知らないのだろう。

だからと言って今、彼女にその事について説明する気には到底なれないけれど。


僕は周囲の状況を確認してみた。

床に描かれた五角形の魔法陣。

各々の頂点に配され、僕の仲間達を内部に封じ込めている四つの封晶。

そして周囲の闇の向こう側から地鳴りのように伝わって来る、大勢が何かを詠唱する声。


メルアルラトゥ以外の全てはまだ、そのままであった。


オベロンが再び声を掛けて来た。


「とにかく、これでエレシュキガル再臨という最悪の事態は回避された。であれば今は一刻も早く、おぬしの仲間達を封晶から救い出し、ここから脱出するのが得策と……思うのじゃが……」


オベロンが僕に探るような視線を向けて来た。

メルアルラトゥは結果的に、僕との契約によって封印から解放されたオベロンによって殺された。

しかしオベロンがいなければ、言い換えれば僕がオベロンと契約していなかったら、メルアルラトゥを止める事は出来ず、結局、世界は再び災厄に見舞われていただろう。

今となっては、何が正しい選択だったのか全く分からない。

ともするとグシャグシャになりそうな感情を一生懸命抑え込みながら、僕はオベロンに言葉を返した。


「まだ封晶に封じ込められている仲間達を助け出したい。どうすればいい?」

「それなら力を使えば簡単じゃ。あ、ちなみに全ての封晶に対して力を使う必要は無いぞ? まずはエレンを助け出すのじゃ。あやつさえ無事であれば、他のおぬしの仲間達は、あやつが救い出してくれるはずじゃ」

「……分かった」


オベロンとの契約で得た力。

僕が累積した経験値の一部を代償に、不可能を可能にする力。

だけどメルアルラトゥの命を救う事は出来なかった……力!


僕は目をつぶって一度深呼吸をした。

そして再び目を開けて念じてみた。



―――エレンを封晶から助け出して欲しい。



―――ピロン♪



エレンを封晶から完全脱出させるには、6,000,000,000,000,000の経験値を消費する必要があります。

あなたの現在の累積経験値は、2,744,348,923,587,590,000,000

レベル104を維持するのに必要な累積経験値は、2,744,287,948,362,700,000,000

実行しますか?

▷YES

 NO



「ちなみに……じゃが」


ウインドウがポップアップすると同時に、オベロンが口を開いた。


「助け出したエレンに……その……エレシュキガルが、あやつの中に封印されておるという話は、伝えぬ方が良いと思うぞ」


僕はオベロンに視線を向けた。


「な、なんじゃ、そんな怖い顔しおって……わらわの提案、そんなにおかしな事ではあるまい」


別段、怖い顔になっている自覚は無かったのだが、もしかすると僕のオベロンに対する“心象”が顔に出てしまっていたのかもしれない。

それはともかく、エレンに対して、彼女とエレシュキガルとの関係性について、今の段階でどこまで伝えるかは、確かに悩ましい所ではある。

彼女は、自身の浄化を図った創世神エレシュキガルが、必死の想いでのこした希望の光転生体である可能性が高い。

しかし一方で、彼女は世界に絶望し、闇に心をゆだね、結果的に“魔王”エレシュキガルを再臨させてしまった過去を持っている。

そんな彼女が、自身の中に“魔王”エレシュキガルが封印されていると知った時、一体どんな行動に出るかは全く予測がつかない。

ここはやはり、彼女に真実を告げるかどうかの判断も含めて、エレシュキガルや初代のアルラトゥと盟を結び、今も神樹最上層、空中庭園に留まっている(はずの)イシュタルにゆだねるのが一番だろう。

そのためにも、この件が片付いたら、急いで神樹の攻略を再開しないといけない。


「……分かった。その話については当分の間伏せておこう。それと……」


僕は、恐らくクリスさんが封じ込められているであろう、封晶に視線を向けた。


「クリスさんの出自についても、伏せておきたい」


メルアルラトゥはクリスさんの事を、“魔王”エレシュキガルがこの世界の外で創造した“依り代よりしろ”と呼んでいた。

その真偽を確認するすべを、今の僕は持ち合わせてはいないけれど、例えそれが真実であったとしても、その事をクリスさんに伝えるメリットは感じられない。


「お、おう! 任せておけ。わらわは口が堅い事で有名なのじゃ」


僕は再びポップアップしているウインドウに視線を戻した。

そして▷YESを選択した。


その瞬間、封晶の一つが音もなく砕け散った。

軽快な効果音とともに、僕の経験値が失われた事を告げるウインドウ、そして又も【ニニ繝ウ繧キ繝】がランクアップしたと告げる謎のウインドウが次々とポップアップする中、エレンが床に崩れ落ちる姿が目に飛び込んできた。


「エレン!」


僕はメルアルラトゥを抱えたまま、エレンのもとに駆け寄った。

そしてメルアルラトゥをそっと床に横たえてから、床に仰向あおむけに倒れるエレンを抱き起した。

僕の腕の中で、彼女は軽くうめいてから目を開いた。


「エレン! 大丈夫?」

「タ……カシ?」


彼女は僕に気が付くと、両手でぎゅっと抱き付いて来た。


「良かった……!」

「エレン……」

「あなたに何かがあったら……私は……」

「僕の方は大丈夫だよ。エレンこそ、何か異常は感じない?」

「私は……」


エレンは僕から身を離し、何かを唱えた。


「……大丈夫そう。スキルも魔法も、封晶の影響は消え去っている」


そして少し不思議そうな表情になった。


「あなたは……どうやって封晶から脱出したの? それに“エレシュキガル”は……」


すぐ傍に横たわるメルアルラトゥに気付いたらしいエレンが問い掛けて来た。


「あなたが斃したの?」


エレンのその言葉は、彼女は全く意図してはいないはずだけど、僕の心を大きくかき乱した。

パスで繋がっているエレンにそれが伝わってしまったのだろう。

エレンが、少し動揺した雰囲気になった。


「どうしたの? 私が封晶に封じ込められている間に、“エレシュキガル”との間に何かあった?」


僕は無理矢理笑顔を作った。


「彼女は実は……犠牲者だったんだ」

「犠牲者?」

「彼女は……魔王エレシュキガルに操られていただけなんだ」


半分本当で半分嘘。

だけどこれが今の僕に出来る精一杯の説明だ。


「そう……」


エレンが僕の言葉を信じたかどうかは定かでは無かったけれど、とにかく彼女はそれ以上、何も聞いてこなかった。

僕は彼女をうながして一緒に立ち上がった。

そこへオベロンがふわふわと近付いて来た。


「どうやらエレンは無事のようじゃな」


なぜかオベロンは、露骨にホッとしているように見えた。

そのオベロンに、エレンが怪訝そうな視線を向けた。


「あなたは誰?」

「よくぞ聞いてくれた! わらわは始原の精霊にして精霊達の王、オベロンじゃ」


オベロンは空中に静止したまま、腰に手を当て、無い胸を張った。


「精霊?」


エレンが首を傾げた。


「あなたが精霊であるはずはない。精霊はあなたのように実体化出来ない。それに……」


エレンが眉根をひそめた。


「待って……あなたとは……どこかで……」


エレンが記憶を探るような素振りを見せた。

それを目にしたオベロンが、少々慌てた雰囲気になった。


「そ、それはおぬしの思い違いじゃ。おぬしとわらわは、今日が初対面のはずじゃ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る