第451話 F級の僕は、ユーリヤさんに、託された想いを呈示する


6月18日 木曜日2



「今日、準備が整えば州都モエシアに向かいませんか?」

「え?」


僕はそっと彼女の様子を観察してみた。

昨晩と違い、感情的になって後先考えずに口にしている……というわけではなさそうだ。

彼女が言葉を続けた。


「あの転移門……」


アルラトゥがユーリヤさんの部屋に残していった転移門。

結局、転移門そのものを防御結界等で完全に封じる事が出来ない事が判明したため、現在は衛兵達が24時間態勢で監視に当たっているはず。


「前にもお伝えしましたが、アルラトゥがあの転移門を設置したのは、間違いなく、あなたを州都モエシアに、自らの意思で来させるために違いありません」


その意見には僕も同意する。

あの世界を体験した今なら、アルラトゥメルが僕と会って話をしたいという言葉に偽りは無いと確信出来る。

ただ、彼女がなぜ州都モエシアという場所にこだわるのかが分からないけれど。


「彼女はその実現の為に、あなたのご友人方をさらい、さらにその……」


彼女は珍しく口ごもりつつ、言葉を継いだ。


「自身とイヴァン将軍に関する因縁にまつわる何かをあなたに伝えて、あなたの心を揺さぶってきました」


言葉を選んでくれてはいるけれど、恐らくユーリヤさんは、アルラトゥが20年前、イヴァンに滅ぼされた“魔の森に隠れ住んでいたダークエルフの生き残り”である事を正確に見抜いている。


「とにかく、このままあなたが州都モエシアに向かわない状態が続けば、アルラトゥはさらに何かを仕掛けてくるはずです。効果を封じる事の出来ていないあの転移門を通過して、解放者リベルタティス達がこちらへ雪崩なだれ込んでくる事態さえ考えられます。それに対して、私達は現状、受け身の態勢しか取る事が出来ない状況です。ならばどうするべきか……」


彼女が僕の反応を確かめるような素振りを見せながら言葉を続けた。


「ここはやはりある程度のリスクを冒してでも、こちらから行動するべきではないでしょうか?」

「つまり、アルラトゥの残していった二つの転移門を通って、州都モエシアに“攻め込む”?」


ユーリヤさんがうなずいた。


「アルラトゥの未来視の精度がどの程度か見当もつきませんが、向こうの動きを待つより、こちらから動いた方が、状況をより流動的な物に変え、結果的にリスクも小さく出来る可能性が有ります。それに、これはあくまでも私の個人的感触ですが……アルラトゥは今の所、あなたを害するつもりは全く無さそうに見受けられます。そうであれば、あなたと一緒に行動する私達の安全もある程度は確保出来るかと」



僕の脳裏に、アルラトゥの言葉がよみがえってきた。



―――最初に断っておくが、私は未来永劫お前と戦うつもりはない。そもそも私達が戦わねばならない理由など、最初から何一つ存在すらしないとも言い切れる



転移門を作り出し、未来を見通す事が出来ると語っていた彼女の能力を使えば、僕等をもっと効率的に、そしてもっと破滅的な状況に追い込めたはずだ。

ところが彼女は、そういう選択肢は選ばなかった。

ムシュフシュと共に僕等の前に姿を現して第326話以来、彼女は少なくとも、僕と周囲の人間を必要以上に傷付けないよう――アリアとクリスさんを拉致はしたけれど――慎重に行動してきたように見える。

それは恐らく、彼女が僕と決定的に敵対する事を避けたい、或いは言葉通り敵対するつもりが無かったからであろう。

ならば確かに今、州都モエシアに向かうに当たって、僕と同行者は、そんなに大きな危険にさらされる事は無いように感じられる。

もっとも、僕がアルラトゥと無事、州都モエシアで会って話が出来た後の事は分からないけれど……


「分かりました。州都モエシアに向かいましょう。僕も……アルラトゥとは話さなければならない事がありますし」


彼女と会って話をして、彼女が道を誤ろうとしているのなら、今ふところに忍ばせている『追想の琥珀』を渡して彼女を正しい道へと引き戻す。

それが、僕にこの『追想の琥珀』を託した“アルラトゥ”の願いであり、メルを今度こそ守り抜くと誓った僕の果たすべき責務でもあるのだから。

自然と、短い時間ではあったけれど、あの世界で共に過ごしたメルの事が思い起こされ……


ふいに違和感を覚えた。


あの世界で出会ったメルは、自分は魔力を持っておらず、魔法も使えないと話していた。

しかしこの世界で“再会”したアルラトゥは、僕にMP2,000を付加第348話し、複雑な術式構築(つまり魔力)が必要な転移門を作り出してみせた。

まあそれはルキドゥスの滅亡――皆の話から類推すれば、それは“今”から見て約20年前の出来事という事になる――後、アルラトゥメルのレベルが上がり、魔力を獲得したと考えれば説明が付くかもしれないけれど。

或いは彼女が“エレシュキガルの啓示”を受け取った第417話際、未来視の能力と共に、魔力を与えられた可能性も……


そこまで考えが及んだ時、むしろ違和感が増大した。


アルラトゥは僕と対峙した時、確かにこう話していた。



―――私も同じ啓示を受け取った。そしてこの能力を与えられた。



同時に彼女はその“啓示”の内容をも口にしていた。



『あなたにチャンスを与えましょう。その代わり、私が世界を取り戻すのを手伝いなさい』



それはエレシュキガル自身の口から僕も聞かされた第160話忌まわしき“言霊ことだま”。


しかし……


メルは継承の儀を経て、“創世神”エレシュキガルから分け与えられたという力の一滴を、始祖ポポロの記憶と共に、先代の舞女みこであった“アルラトゥ”から受け継いだはずだ。

あの時、メルは未来視のような能力を使用する事は出来なかった。

逆に使用する事が出来ていれば、ルキドゥスが滅ぶ事も無かっただろう。

つまり、アルラトゥの口にする“エレシュキガルの啓示”を受け取ったのは、時期は不明だけど、彼女が長じた後、という事になる。

これはどういう事だろうか?

既に自身の力の一滴を分け与えているはずの彼女に、エレシュキガルがさらに付加的に力を与えた?

それとも、“創世神”エレシュキガルと“魔王”エレシュキガルは、異なる……


「何か心配事でも?」


僕の思索は、僕の顔を心配そうに覗き込むユーリヤさんの声で中断された。

僕は慌てて笑顔を作った。


「大丈夫です。すみません。ちょっと考え事をしていたもので」


結果的にユーリヤさんを放置する形になってしまった僕は彼女に頭を下げた。


「もしかして、アルラトゥと話すべき内容について……ですか?」

「え?」

「先程、アルラトゥとは話さなければならない事がある、とご自分でおっしゃっていましたよ?」


言われてみれば、そんな言葉を口にしてしまった覚えがある。

どう説明するべきか考えていると、彼女が再び口を開いた。


「タカシさん、恐らくその話とは、アルラトゥとイヴァンとの間の因縁に関する何か、ですよね?」


僕のイヴァンに対する気持ちに何の変化も感じられないけれど、一晩寝て、気持ちが落ち着いたからであろう。

幸い、感情が激して制御不能になる感覚は無い。


「昨夜のあなたがなぜ、その事に関してあれほどまでに……まるで我が事のように、心をかき乱されていたのかは、私にはうかがい知る事は出来ません。ですが……」


彼女がまっすぐに僕を見つめてきた。


「昨夜もお伝えしましたように、私はあなたに特別な感情を抱いています。ですから、あなたが何かに心をかき乱される姿を目にすれば、私もまたそれ以上に心がかき乱されるという事だけはご理解下さい」


向けられる彼女の翡翠色の瞳の色は、ただ優しかった。


僕は目を閉じた。

今はまだ、あの世界で僕が何を体験したかを、ユーリヤさんも含めて誰にも話す気にはなれない。

けれど、これ程までに僕に想いを向けてくれている彼女に対して、これから共に州都モエシアに向かおうとしてくれている彼女に対して、何の説明もしなくて良いはずがない。

だから……


僕は目を開けると、懐から『追想の琥珀』を取り出して、右の手の平に乗せた。

アーモンドのような形と大きさの、無色半透明の宝玉が、朝の日の光を浴びてキラキラ輝いている。


「僕はある人物から、これをアルラトゥに渡して欲しいと託されました」


ユーリヤさんが、一瞬目を大きく見開いた。


「これは……?」

「これを僕に託した人物の言葉を借りれば、彼等、彼女等の想いが凝結した物だそうです」

「想いが……」

「手に取って“視て”下さい。ユーリヤさんならきっと……」


物の来歴を“視る”事が出来るという彼女ならきっと……


ユーリヤさんが、『追想の琥珀』を乗せた僕の右の手の平を、両手でそっと包み込んだ。

彼女が目を閉じるとすぐに、僕の右手ごと『追想の琥珀』を包み込んでいる彼女の両手が柔らかい光を発し始めた。

包み込まれている僕の右手が次第に熱を帯びて行くのが感じられ……



突如、凄まじい勢いで流れる、記憶の奔流の真っ只中まっただなかに投げ込まれた。


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