第448話 F級の僕は、ユーリヤさんから……


6月17日 水曜日62




「最初の転移門をくぐり抜けた先で、本当は何があったのか、私にだけでも、教えてもらえないでしょうか?」


ユーリヤさんから向けられるあまりにも真摯な眼差しがまぶしすぎて、僕は思わず視線をらしてしまった。


「別に何も……お伝えしたように、アルラトゥと少し会話を交わして……いつの間にか意識を失っていて、気付いたらアルラトゥの姿が消えていました」

「それは既にお聞きしました」

「ですから……それで全てです」


あの体験をまだ誰にも――ユーリヤさんも含めて――語って聞かせる気持ちになれない僕としては、もうここはコレで突っぱねるしかない。


「イヴァン」

「!」


不意打ちのように発せられたユーリヤさんのその言葉は、あと少しで僕の心臓を止めてしまう所だった。

僕は心の動揺を必死に抑え込みながら、彼女に言葉を返した。


「い、一体、急に何の話……」


しかし彼女は僕の言葉にかぶせるように話し始めた。


「イヴァン=グローム、44歳。現在の職位と階級は近衛第一軍団長及び帝国軍大将。貧しい平民の出身。13歳にして、中部辺境軍事管区の帝国軍に自ら志願して入隊。以降、軍人としてのキャリアを積み、23歳の時、異例の若さで軍事管区長に抜擢ばってきされた。彼の指揮の下、帝国軍は魔の森奥深くへと侵攻を繰り返し、モンスター掃討と探索において、目覚ましい成果を挙げる事に成功する。35歳の時、彼の絶大な功績を称えるべく、私の父、現皇帝のロマン=ザハーリンより、帝国英雄の称号を授けられる。しかし彼はあくまでも現場主義を貫き、中央での栄誉栄達を望まず。4年前、40歳の時、私が中部辺境軍事管区に赴任する際、入れ替わりに帝都に召喚され、現在の地位にく。彼の経歴についてまとめるなら、ざっとこんな所でしょうか」


僕は、先程執務室でも感じた、あの心の奥底から込み上げて来る得体の知れない感情を一生懸命抑え込みながら、口を開いた。


「突然、どうしたんですか? その……イヴァンって人が何か?」

「どうもしません」


彼女がわざとらしい程に、何でもない雰囲気で言葉を継いだ。


「ただ、タカシさんが“急にお手洗いに行きたくなる呪文の言葉”について、より詳細に解説してあげただけの話です」

「そう……ですか」


僕は目を閉じた。

脳裏には燃え上がるルキドゥスの大樹と逃げ惑う……


「タカシさん」


僕の手をユーリヤさんが両手で優しく包み込むのが感じられた。

目を開けると、彼女が僕の顔を覗き込んでいた。

彼女の翡翠ひすい色の綺麗な瞳に、僕の顔が映り込んでいるのが見えた。


「イヴァン将軍と過去に何かありましたか?」

「別に何も……」


そっと視線を外した僕に、しかし彼女は続けざまにささやいてきた。


「今、ひどい顔をしていますよ?」

「そんな事は……」

「もしかしてアルラトゥから、イヴァン将軍に関する何かを伝えられました?」

「何も……」

「或いはアルラトゥから、実は自分が20年前にイヴァンに討伐されたダークエルフの……」

「何も無いって言ってるだろ!」


思わず声を荒げてしまった後で、激しく後悔した。


「すみません」


僕はすぐに頭をさげた。

ユーリヤさんは、しかし気にする風も無く、僕の手を握りながら囁きかけてきた。


「オロバスを召喚して下さい」

「へっ?」


彼女の唐突過ぎる言葉に、思わず変な声が出てしまった。

彼女が、わざとらしく周囲に視線を向ける素振りを見せた。


「今なら誰も見ていません。オロバスに乗って、今すぐ州都モエシアに向かいましょう!」

「え~と……おっしゃる意味がよく分からないのですが……」


本当に言葉通り、おっしゃる意味が分からない。

僕が商業ギルドの会頭の発言の一部に反応した事を見抜いて、そこからイヴァンというキーワードを抜き出し、自身の聡明さのみで、今まさに真実に辿たどり着こうとしていた人物の言葉とは、とても思えない。

だがその意味不明さのお陰で、煮立っていた僕の心が、一気にクールダウンしたのもまた事実。

もしかしてこれは、ショック療法ってやつでは?

余裕を無くしていた僕の感情の動きを正確に見抜いたユーリヤさんが、僕の心を落ち着けようとしてくれた、とか?


僕は苦笑を浮かべながら、ユーリヤさんに言葉を返した。


「すみません、もう大丈夫です」

「それは良かったです。ではオロバスの召喚、お願いします」

「ですからもう……」

「タカシさん!」


ユーリヤさんの口調が珍しくきつくなった。

あれ?

もしかして、怒っている?

もしそうだとしたら、思い当たる原因はやはり……


「先程の“暴言”の件でしたら、すみませんでした」


改めて頭を下げる僕に、ユーリヤさんが激しく首を振った。


「何か勘違いをしているようですが、私が怒っているのは、あなたに対してではありません」

「では誰に?」

「もちろんアルラトゥに、です。彼女の真の目的が何かは分かりませんが、これほどまでにあなたの心をかき乱していいはずが有りません! そんなに州都モエシアに呼び寄せたいなら、むしろこちらから乗り込んで、一気に決着を付けてやるまでです!」


どうやら本気で怒っていそうな雰囲気だ。

それも頭に血がのぼるレベルで。

と、彼女が少し思案顔になった。


「よく考えれば、州都モエシアに乗り込むだけなら、アルラトゥが残していった転移門を使った方が早いですね。未来視だかなんだか知らないですけど、そんなものに頼っていると、思わぬところで足元をすくわれるって事を教えてあげないと」


ユーリヤさん、それ、足元すくわれるのは、感情のまま動こうとしているあなたの方だと思いますよ?


「ちょっと落ち着きましょう。そもそも、なんでユーリヤさんがそこまで腹を立てているんですか?」

「先程も説明しましたが、私にとって特別な存在であるあなたの心を、アルラトゥが、どんな手段を用いたのかはさだかではありませんが、これほどまでにかき乱しているからです」

「僕なんかの為にそこまでおっしゃって頂くのは光栄だとは思いますけど……って、特別な存在?」


特別な存在って、僕が異世界の勇者で、同盟者って意味……だよね?


「“特別な存在”は言葉通りです。私は……」


彼女が真剣な眼差しで僕を見つめてきた。


「あなたに特別な感情を抱いています」

「それはその……同盟者って意味……」

「違います」


彼女が即座に首を振った。


「呪詛に冒され、解放者リベルタティス達の襲撃を受け、死を覚悟した時、突然現れたあなたが私達の窮地を救ってくれました。私を冒していた呪詛そのものも、二度に渡って解呪してくれました。私の身を案じて、反呪の指輪まで贈ってくれました。当初の予定を曲げてまで、私達の護衛を引き受けてくれました。トゥマの防衛戦では皆の先頭に立ち、私達を救ってくれました。そして先程も申しましたが、あなたは私を色眼鏡で見る事無く、一人の人間ユーリヤとして扱ってくれました」


彼女がはにかむような笑顔を見せた。


「そんなあなたに対して、特別な感情を持つなと言う方が難しくないですか?」


白い月光を浴びてたたずむ彼女の姿は、存在そのものが芸術品のように美しくて……


ふいに自分の心拍数が極限まで上昇している事に気が付いた。

これは一体、どういうシチュエーションなのだろうか?

まさか……告白されている? わけはないはずで……でも、告白にしか聞こえなくて……

相手は大陸丸ごと完全制覇している帝国なる超大国の皇太女で、僕は家賃4万円の1LDK、築十数年のボロアパートに住む貧乏大学生で……あ、いや、魔石結構溜め込んでいるから、本当は向こうでもこっちでも億単位の資産は有って……あれ? 何の話だっけ?

完全に目が泳いでしまっている事を自覚する僕に、ユーリヤさんがそっと身を寄せて来た。

僕の胸元に両手を添えた彼女がささやいた。


「自分の気持ちを素直に口にしたら、少し落ち着きました」

「そ、そうなんですね……」

「州都モエシアには、やっぱりちゃんと準備してから向かいましょう」

「そ、そうですね……」


悪戯いたずらっぽい笑顔を浮かべた彼女がそっと僕を見上げて来た。


「そろそろ優しく抱きしめて頂いてもいいんですよ?」

「いや、その、あの……」

「それとも……」


彼女の顔がかすかに曇った。


「誰か心に決めた方が、既にいらっしゃる……とか?」


僕は思いっきり首をブンブン振った。

振った後で、何故なぜかティーナさんの顔が心に浮かんだけれど、彼女との関係性は、僕のあずかり知らない所で勝手に始まってしまっていたわけで……

そうは言っても、別に彼女の事をただの友達と割り切っている訳でも……ってあれ?


ユーリヤさんが微笑んだ。


「じゃあ、問題ないですね」


何が問題無いのか思わず聞き返しそうになって、僕は慌ててその言葉を飲み込んだ。

代わりに、僕は彼女の両肩をそっとつかむと僕から優しく引き離した。


「そろそろ戻りませんか? ほら、あんまり遅くなると皆さんも心配するかもですし」

「つまり、お返事は保留……という事ですね?」


保留以前に、既に大分だいぶ前からお返事するのに必要なエネルギー値がゼロになっていた僕は、彼女をき立てるようにして、執務室へと戻る事になった。




――◇――◇――◇――



作者の私が言うのもなんですが、やっぱりこの主人公、ぜても構わないと思います。


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