第429話 精霊


6月17日 水曜日43



「この子は精霊と交信出来る。創世神様がご不幸にわれて以来、わしらが失ってしまっていたはずの能力をこの子は持っておる」


“アルラトゥ”の言葉を聞いたダークエルフ達は、しかしあまり納得していなさそうな雰囲気のままであった。


「精霊……」

「確かにメルはよくその言葉を口にしておりますが、それは本当に実在する存在なのでしょうか?」

「その……申し上げにくいのですが、幼い子供はしばしば幻想の世界で遊ぶことが……」


“アルラトゥ”が口元に微笑みを浮かべたまま言葉を続けた。


「つまり、メルの口にする精霊は彼女の空想の産物では? と考えておるのじゃな」

「そこまでは……」

「よいよい。まあ実のところ、わしも精霊をはっきりとは認識出来ぬ。じゃからおぬし達の言いたい事もよく分かる」

「ならば……」

「しかし我等が語り継いできた古き伝承、おぬしらも知っておろう?」


“アルラトゥ”は、周囲のダークエルフ達の反応を確かめる素振りを見せながら語り出した。


「創世神エレシュキガル様がこの世界をお創りになり、神樹の高みに坐した時、エルフの中に一人の少女が現れた。彼女は創世神様に最も近しき存在である精霊と語らい、創世神様のお言葉を皆に伝える事が出来た。彼女こそが始祖ポポロ。彼女はその能力がゆえに創世神様から愛され、その力の一滴ひとしずくを授かり、最初の舞女みことなった。以降、彼女の血脈を受け継ぐ者が代々、舞女みことしてそのお役目をまっとうしてきた。全てが変わったのは、エレシュキガル様が侵蝕しんしょくを受け、変容された時じゃ。あの時、ポポロの血脈も二つに割れた。イシュタルを擁し、光の種族を自称する同胞とたもとを分かった我等の祖はダークエルフへと堕とされ、精霊と交信する能力も永遠に失われてしまった……」


“アルラトゥ”がいとおしそうにメルの頭を撫ぜた。


「じゃがこの子は、イシュタルとは無関係に精霊と交信する能力を発現させた。これは恐らく、この世界のどこかで、侵蝕を受けた創世神エレシュキガル様が必死の想いで残された希望の光が芽吹めぶいた事を意味しているに違いない。メルが舞女みことなり、その希望の光と邂逅かいこうする事が出来れば……世界は正しき姿を取り戻すことが出来るかもしれない」

「しかし……」


ダークエルフの一人が、言いにくそうに言葉を返した。


「それはメルに見えているモノが、真に精霊と呼ばれる存在であってこそ、のお話ですよね?」

「メルは確かに優しく穏やかな子ですが、その……“精霊が見える”という自己申告だけで次代の舞女みこに選定されるのは、少々……」


“アルラトゥ”がダークエルフ達に問い掛けた。


「つまりメルが精霊と交信できる事を客観的に示す証拠が欲しい、そういう事じゃな?」

「そんな証拠が有るのなら、それはもちろん……」


“アルラトゥ”がメルに優しい口調で語り掛けた。


「メル、皆をルキドゥスに送ってあげるのじゃ」

「でも、人数が……」

「なんじゃ、人数制限がある、と精霊から言われたのか?」

「言われてはいないけど……」

「ならば大丈夫のはずじゃ。とにかく精霊に頼んでみよ」


二人の会話を聞いていたらしいダークエルフの一人が、怪訝そうな声を上げた。


舞女みこ様、メルが我等をルキドゥスに送る、とは?」


“アルラトゥ”がニヤリと笑った。


「おぬしら気付いておらぬのか?」

「何のお話でしょうか?」

「メルはどうやってここへ来たと思う?」

「それは……確か、走って来た、と」


精霊の力でここに到着した時、メルはそんな風に説明していた。


「わしはここへ来る直前まで、メルと共に斉所さいしょに居た。魔法も使えず、魔力も持たぬメルが、どうやってこの場所を知った? そして転移が使えるわしがここに来てわずか数分で、どうやってメルもまたここに来る事が出来た?」

「まさか……」

「本当に精霊の力を?」


ダークエルフ達の目が大きく見開かれた。

“アルラトゥ”がメルをうながした。


「さあさ、あまり客人イヴァンを待たせ過ぎるのも失礼に当たる。ともかく皆をルキドゥスに送るのじゃ。さすれば皆にも精霊の存在をはっきりと示す事が出来よう。その後はメル、わしが先程申した通りに行動するのじゃぞ?」

舞女みこ様……」


メルが若干涙目になっている。

“アルラトゥ”が優しく微笑んだ。


「何を心配しておる。仮にも“アルラトゥ舞女”の名を受け継ぐわしが負けるはずは無かろう?」


しばらく逡巡する素振りを見せていたメルが大きく息をついた。


「分かった。それじゃあ……」


メルはチラッと僕に視線を向けた後、ダークエルフ達に声を掛けた。


「あの……私の傍に集まって下さい」


皆がメルの周囲に集まろうと動き出す中、ダークエルフの女性――彼女の顔には見覚えがある。確か、レイラ第420話と言う名前だったはず――が“アルラトゥ”の方に顔を向けた。


「本当にメルにそんな力があるとして……増援を連れてここに戻って来てもよろしいでしょうか?」

「ならぬ!」


“アルラトゥ”が即座に返答した。


「おぬし達はルキドゥスに戻り、出来るだけ多くの者達を退避させるのじゃ。それにメルには他にやってもらわねばならぬ事がある」

「メルに一体何をお命じに?」

「もちろん、継承の儀じゃ」

「継承の儀!? しかしそれなら舞女みこ様もいらっしゃらねば……」

「心配致すな。わしに万一の事があった場合にのみ発動する儀式呪法を斉所に用意してある。メルが斉所に入れば、後は勝手に進行する」

「しかし!」

「レイラ、始祖ポポロより連綿と受け継がれてきた舞女みこの血脈を、わしの代で絶やすわけにはいかぬのじゃ。それにわしは先程も申した通り、負けるつもりはない。わしが負けねば儀式呪法も発動せぬ。つまりメルには文字通り、斉所で留守番してもらうだけになる可能性の方が圧倒的に高いわ」

「……分かりました」


16名のダークエルフ達が、メルを取り囲むように集まった。


僕は……


チラッと“アルラトゥ”に視線を向けた。

しかし彼女はこちらを振り返ることなく、イヴァンの待つ空地へと歩き出した。


どうする?

ここへ残り、決闘を見届ける?

或いはメルと共に、一旦、ルキドゥスに戻るべき?

“アルラトゥ”は僕に、メルを守って欲しいと告げていた。


迷った挙句、結局僕もまた、メルを囲むダークエルフ達の集団に同行する事にした。

“アルラトゥ”から渡された“お守り”が仕事をしてくれていると理解はしていても、肩が触れれば気付かれるかもしれない。

かといって、離れすぎると置いてけぼりにされるかもしれないし。

そんな事を考えながら、僕が近くに立つダークエルフ達との距離を慎重に測りながら位置決めをしていると、光の渦が僕等を取り巻き始めた。

ダークエルフ達が次々に驚いたような声を上げた。


「これは……?」

「この光、魔力を感じないわ」

「これが舞女みこ様がおっしゃっていた精霊の力なのか?」


その時、ダークエルフ達の集団の中心に居るメルの大きな声が響いた。


「皆をルキドゥスまで連れて行って!」


途端に凄まじい重力加速度と共に、周囲の景色が飛ぶように後ろへと流れ始めた。

そのまま駆け抜ける事数秒、行きと同様、急停止した僕は、すんでのところで目の前のダークエルフにぶつかりそうなりながらも踏み止まる事に成功した。

改めて周囲に視線を向けると、そこはルキドゥスの内部であった。

壁面にはうろを利用した住居。

中央の広場には畑、屋台、行き交う人々。


僕と共にここに戻って来たダークエルフ達が叫んだ。


「皆! すぐに退避の準備を始めるんだ!」

「退避?」


屋台で何かを焼いているダークエルフの男性が、戸惑ったような声を上げた。


「一体何があったというのだ?」

「帝国の大軍が霧境けっかいを突破して侵攻して来た! 舞女みこ様が対処して下さっているが、万一を考えて退避せよとの言伝ことづてを預かって来た!」

「何だって!?」


ルキドゥスの街は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。


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