第428話 次代


6月17日 水曜日42



イヴァンと名乗り、決闘を受けると宣言した巨漢の戦士が“アルラトゥ”に声を掛けた。


「女、お前の名も聞こう」

「わしの名はアルラトゥ。この地に住まうダークエルフ達の代表者じゃ」

「ではアルラトゥ、お前が決闘にて通したい望みは?」

「わしの望みはただ一つ。そなたらのすみやかなる霧境けっかい外への退去じゃ」

「ほう……」


イヴァンの目が細くなった。


「それだけでいいのか?」

「それだけとは?」


イヴァンの口元が歪んだ。


「それだけだと、今ここで俺達を退しりぞけたとしても、明日には再度お前は他の帝国軍の将兵とここで語り合っているやもしれんぞ?」


つまり、帝国軍があとから再侵入しない保証は無い、という事だろう。

“アルラトゥ”の口元も歪んだ。


「しかし永遠の不可侵なぞ、望んでも得られぬじゃろ?」


イヴァンが愉快そうな表情になった。


「その知力、胆力、やはり実に惜しい。最後にもう一度だけ聞くが、降伏しないか? なんだったら皇帝陛下に直訴してお前達全員、奴隷として生き残れる道を探ってやってもいいぞ?」

「先程も申したが……」


“アルラトゥ”がゆっくりと言葉を繋いだ。


「わしは奴隷として生きるつもりはない。そしてそれは、この地に住まうダークエルフ全ての意志でもある」

「人モドキとは思えぬ見事な覚悟だ」


イヴァンが背後を振り返った。

そして誰もいない‘(はずの)方向に向かって叫んだ。


じゅつを解け」


その瞬間、背後の空間が揺らめくのが見えた。


そして……


まばらに林立する巨木の影から、大勢の人々が姿を現した。

皆統一された規格の銀色の甲冑に身を固め、片膝をつき、臣礼を取っている。

その人数は“アルラトゥ”が口にしていた通り、千を下らないように感じられた。


僕の周囲のダークエルフ達がどよめいた。


「いつの間に……」

「あの人数では、到底我等の力だけでは……」

「ルキドゥスに知らせを……」


イヴァンは動揺するダークエルフ達にチラッと視線を向けた後、“アルラトゥ”に話しかけた。


「決闘にあたっては立会人が必要となる。本来なら第三者を指名すべきだが、残念ながらここに居るのは俺が率いる将兵とお前の手下だけだ。どうする?」

「立会人の選定も、決闘のルールも全てそなたに任せよう。その代わり……」


“アルラトゥ”が、イヴァンの反応を確かめるような素振りを見せながら言葉を続けた。


「そなたが敗北した場合、そなたの配下が直ちにこの地を去るよう、あらかじめ命じておいてもらいたい」

「俺が?」


イヴァンが怪訝そうな表情になった。


「敗北する、と?」

「わしとてこの地に住まう皆の命運を背負ってここに立っておる。負けるわけにはいかぬ。そしてわしが勝利するという事は、そなたが敗北するという事であろう?」


イヴァンが豪快に笑った。


「ワッハッハッハ。実に愉快だ。いいだろう」


イヴァンが再び背後に顔を向けた。


「監察官フロル殿!」


その呼びかけに応じるかのように、イヴァンの後方で臣礼をとる将兵達の間から、一人の人物が歩み出て来た。

青いローブを身にまとい、ごま塩をまぶしたような髪色の初老の男性。

イヴァンが彼に声を掛けた。


「フロル殿。聞いての通り、この人モドキと決闘をする事になった。ついては立会人をお願いしたい」


フロルと呼びかけられた初老の男性が大きく息を吐いた。


「やれやれ、イヴァン殿。また悪い癖が出ましたな?」

「こいつは帝国法に従い決闘を申し込んできたのだ。受けない道理はないだろう?」

「まあイヴァン殿がそれでいいのなら、わしからは何も申し上げる事は無い。立会人の件、お引き受けいたそう」


イヴァンと“アルラトゥ”との間に立ったフロルが、イヴァンに顔を向けた。


「ルールその他はいつも通りで良いですかな?」


イヴァンがうなずいた。


「構わぬ。さっさと始めよう」

「では……」


フロルが大きな声で宣言した。


「これより、中部辺境軍事管区長イヴァン=グロームとダークエルフの首魁アルラトゥとの決闘をり行う。戦闘手段は第三者の介在が無い限り不問。魔法もスキルもアイテムも使用に当たって制限は無い。勝敗はどちらかの死を以って判定される。アルラトゥが勝利した場合には、帝国軍将兵は監察官フロルの名のもとに、すみやかにこの地を退去する。イヴァン=グロームが勝利すれば、この地の人モドキどもの運命は帝国軍にゆだねられる事となる。双方、異議は無いか?」

「異議無し!」


イヴァンが大声で応じた。

そして彼は背後に控える将兵達に改めて告げた。


「有り得ない話だが、俺が敗北した場合、直ちに撤退しろ。約定やくじょうたがえる事は、皇帝陛下と創世神様への背信行為と見なされる!」


将兵達が一斉に叫び声を上げた。


「閣下のご命令のままに!」


イヴァンは満足そうにうなずくと、“アルラトゥ”に向き直った。


「これでいいか?」


“アルラトゥ”もうなずいた。


「わしの方も異議無しじゃ」


そして彼女は僕等の方に顔を向けた。


「おぬしらも見ていた通り、わしはイヴァン殿と決闘する事になった。おぬしらは先に帰っておれ」

「しかし舞女みこ様!」


声を上げるダークエルフ達を、“アルラトゥ”が手で制した。


「なあに、心配致すな。勝利すれば彼等が霧境けっかいの外に去るのをわしが見届けよう。じゃからおぬし達は……」


“アルラトゥ”の布で覆い隠されているはずの視線が、なぜか僕に向けられるのをはっきりと感じた。


「万一に備えて、皆を退避させる手立てを講じておくのじゃ」



―――どうかメルの事を守ってやって欲しい。



“アルラトゥ”の囁きが鮮明に思い出された。


舞女みこ様! ルキドゥスには既に知らせを送っております!」

「万一の時には我等がここに踏み止まって……」

「聞け!」


口々に声を上げるダークエルフ達を、“アルラトゥ”が一喝した。


「越えられぬはずの霧境けっかいを越え、おぬし達にも見破る事が出来なかった強力な呪法で身を隠していた千を超える軍勢を相手に、おぬし達に何が出来ようぞ? わしの指示に従うのじゃ!」

「し、しかし……」


なおも言いよどむダークエルフ達を無視するかの如く、“アルラトゥ”が話題を変えた。


「それとメル……」


メルは先程から、ダークエルフ達の後方で小さくなっている。

元々身長も低いし、今“アルラトゥ”が居る場所からはメルの姿を“視認”出来ないはずだけど。

それはともかく、いきなり声を掛けられた形になったメルの肩がぴくっと震えた。


「わしは留守番を頼んでいたはずじゃが……」

「ごめんなさい。でも、凄く心配になって……」


“アルラトゥ”の口元がほころんだ。


「怒っているわけではないぞ。さ、“友達”と一緒に帰るのじゃ」

「でも!」

「メル……」


“アルラトゥ”がイヴァンの方に顔を戻した。


「少し彼等と話をしてきても良いか?」


イヴァンが大仰おおぎょううなずいた。


「構わんぞ。どうせ間も無くお前は死ぬ。今の内に存分に別れを惜しんで来い」


“アルラトゥ”がこちらへと歩み寄って来た。

彼女はダークエルフ達をかき分けるようにしてメルに近付くと腰を落とした。

そして彼女の耳元で何事かをささやいた。

メルの目が大きく見開かれた。


「え? でも……そんなの無理……」

「しかしここへは、“彼等”に頼んで連れてきてもらったのじゃろう?」

「だけど……」

「大丈夫じゃ。おぬしなら出来る」


“アルラトゥ”が立ち上がった。


「皆に申し伝えておくことが有る」


ダークエルフ達の姿勢が正された。


「わしに万一の事があった場合、次の舞女みこ、つまり“アルラトゥ”にメルを指名する。以降、皆そのつもりでメルに接するよう」


ダークエルフ達が大きくざわめいた。


「しかし舞女みこ様……メルは魔法どころか、魔力を一切持ってはおりません。舞女みこ様がメルを気に入ってらっしゃるのはよく存じておりますが、彼女に次代の舞女みこが務まるとは……」

「おぬし達は勘違いをしておる」


“アルラトゥ”が、メルの頭に優しく手を乗せた。


「この子は精霊と交信出来る。創世神様がご不幸にわれて以来、わしらが失ってしまっていたはずの能力をこの子は持っておる」

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