第320話 F級の僕は、中国が計画している作戦の全容を知る


6月13日土曜日4



関谷さんは、曹悠然の電話番号をタップすると、右手のスマホを自分の右耳に押し当てた。

一応、ここは私達以外も利用可能な女子トイレの中だ。

なので、曹悠然との会話は、スピーカーなんかにせず、関谷さんに任せる事にしたのだ。

数回の呼び出し音の後、曹悠然の声が、私の耳に届けられた。


『もしもし?』


関谷さんが、私に目で合図をしてきた。

ちなみに彼女は、私が“聞き耳を立てている”事に気付いてはいない。


「曹悠然さんでしょうか? 関谷詩織です」

『もうロビーに到着されたのですか?』

「実はロビーに均衡調整課の四方木さんがいらっしゃる事に気付きまして、今、1階の女子トイレの中から電話しています。曹さんは今、どちらでしょうか?」

『今は部屋におりますが……そうですか、やはり四方木さんがロビーに……』


曹悠然の口振りからすると、彼女は四方木に“見張られている”事自体は、承知しているようだ。

少しの間があってから、曹悠然が言葉を繋いできた。


『分かりました。四方木さんは、私の方で何とかしますので、もうしばらくそこで待機してもらっても構いませんか? 終わったら連絡します』

「分かりました。それではご連絡、お待ちしています」


電話を終えた関谷さんが、その内容を丁寧に説明してくれた。

とは言え、あらかじめ電話を盗み聞きしていた私にとっては、単なる答え合わせに過ぎなかったけれど。

私は孫浩然第187話のように電話そのものを盗聴するといった能力は持っていない。

ただ、関谷さんのスマホが押し当てられていた耳元の空間に、ほんの少し細工を施しただけだ。

具体的には、関谷さんの耳元の微小空間と私の耳元の微小空間とを、ワームホールを設置する時の要領で繋いだだけ。

曹悠然の声は音波となり、関谷さんの鼓膜に届くと同時に、私の鼓膜にも届いていた、という事だ。


それはともかく、今の電話のやりとりからは、曹悠然は四方木がこの時間帯、このホテルのロビーにいる可能性に気付いていた、という事が類推出来る。

しかし彼女は、それを私達に事前に伝えてはこなかった。

つまり、彼女なりに私達の対応力を試した、という事だろう。

やはりこのホテルに滞在中の中国のS級は、一筋縄ではいかない相手のようだ。


数分後、関谷さんのスマホが鳴った。


「もしもし?」

『関谷詩織さんですね? お待たせしました。もう大丈夫です。ロビーにお越し下さい』



曹悠然は、ロビーの隅、少し死角になるソファーに、一人で腰かけて私達を待っていた。

私達に気付いた彼女は立ち上がると、笑顔で挨拶して来た。


「こんにちは、関谷さん。それと……あなたがエマ=ブラウンさんですね? はじめまして」


私は出来るだけ人懐ひとなつっこそうな笑顔を浮かべながら、右手を差し出した。


「ハジメマシテ曹悠然さん。エマです。今日は宜しくお願イシマス」


彼女は私に探るような視線を向けて来たけれど、私の手を取ろうとはしない。


「申し訳ありません。セキュリティー上の問題発生を避けるため、初対面の方との握手はご遠慮させて頂いております」


残念!

まあでも、これはある程度予想された事だ。

私は内心の落胆を隠したまま、曹悠然とは小さなガラステーブルを挟んで向き合う位置のソファーに、関谷さんと並んで腰かけた。

そして懐からボイスレコーダーを取り出すと、それをガラステーブルの上に置いた。


「私達の会話、記録させテモラッテモ大丈夫ですか?」


曹悠然はチラッとボイスレコーダーに視線を向けてからうなずいた。

私がボイスレコーダーの電源を入れるのと同時に、曹悠然が話し始めた。


「本題に入る前に確認しておきたいのですが、今、中村さんはどちらにいらっしゃるのでしょうか?」


関谷さんが、チラッと私に視線を向けて来た。

私は首をすくめてみせた。


「すみません。ワカラナイデス。関谷さんは?」

「すみません。私も分からないです。ただ終わったら連絡してほしい、とそれだけしか聞いていません」

「そうですか……」


曹悠然は、少し目を細めただけで、それ以上はこの話題を引っ張ろうとはしなかった。

彼女が言葉を続けた。


「では手短てみじかに、中村さんにお伝えして欲しい要件について述べさせて頂きます。実は私達は、明日14日、北京時間の午前7時、日の出と共にチベット自治区ガリ地区ゲルチェ県で進行中のスタンピードに対して、殲滅作戦を開始する予定です。つきましては、中村さんにも是非ご参加頂きたいと思いまして、お声掛けさせて頂きました。ご参加頂けるのでしたら、報酬として、日本円で10億円、加えて、もし我が国に居住を希望されるのでしたら、土地、邸宅、その他希望通りの物品、人員等準備させて頂く用意がございます」


ボイスレコーダーが音声を記録しているにもかかわらず、関谷さんはメモ帳を開くと、曹悠然の話した内容の要点を書き留め始めた。

慎重な彼女らしい行動だ。

デジタル電化製品は時に、人間を裏切る事が有る。


関谷さんの手の動きが止まったのを見計らったように、曹悠然が声を掛けてきた。


「何か質問はございますか?」


関谷さんが、チラッと私の方に視線を向けた後、口を開いた。


「まず、どうして中村君に声を掛けようと思われたのでしょうか?」

「それはもちろん、日本のS級達の中でも、中村さんが頭一つ飛びぬけた能力をお持ちだからです」

「ですが、中村君は均衡調整課の嘱託職員です。どうして均衡調整課を通さなかったのですか?」

「中村さんなら、均衡調整課を通さずとも、お話をお聞き下さる公算が高いと判断したからです」

「その理由をお聞きしても?」


曹悠然の右の口角が僅かに吊り上がった。


「それは、関谷さんの方がご存知だと思いますが?」


これはブラフ?

それとも曹悠然は、タカシが均衡調整課の嘱託職員のフリをしている事に気付いている?

いずれにせよ、関谷さんがどう切り返すのか、私的にも非常に興味深いところだ。


関谷さんは、目を閉じて少し呼吸を整える素振りを見せた後、再び目を開けた。


「分かりました。それでは次の質問です。黒い結晶体について、ですが……」


関谷さんの言葉を聞く曹悠然の目が細くなった。


「……あなた方は、あの黒い結晶体についてどこまで把握していますか?」


曹悠然は投げかけられた問い掛けに、自身の問い掛けで応じてきた。


「ちなみに、あなたがたは、あの黒い結晶体の正体について、ご存知ですか?」


関谷さんの瞳に一瞬動揺の色が浮かんだけれど、彼女が瞬きをすると同時にそれは霧散した。


「申し訳ありません。私は中村君から、ただ、曹さんの話を聞いてきて欲しいと頼まれているだけですので」

「なるほど……」

「質問の繰り返しになりますが、黒い結晶体についてご存知の事を説明してもらえますか?」


彼女は少しの間考える素振りを見せた後、言葉を返してきた。


「あの黒い結晶体は、少なくとも周囲10km以上の範囲に渡って、モンスターに強力なバフを与え続けるのと同時に、こちらの攻撃を吸収する性質を持っています。つまり、黒い結晶体の周辺でモンスターと戦う場合、通常なら、S級を1万人集めても決して勝利する事は出来ません」


黒い結晶体についてその詳細を始めて耳にしたはずの関谷さんの目が、大きく見開かれた。

曹悠然は、目の端でそれを確認する素振りを見せながら、言葉を重ねてきた。


「ですがここ数日、状況に急激な変化が生じています」

「変化……ですか?」

「以前は無制限にこちらの攻撃を吸収し続けると思われた黒い結晶体ですが、今は吸収できるエネルギー量に上限が生じているらしい事が判明しました」


私の背中をサッと緊張が走った。

黒い結晶体のエネルギー“転移吸収”能力に上限?

それはまだEREN内部でも把握出来ていない情報だ。

曹悠然、或いは中国は、その事をどうやって確認したのだろうか?

私は自身で問いかけたい衝動を抑えながら、関谷さんの言葉を待った。


「……具体的に説明して頂いても宜しいでしょうか?」

「黒い結晶体が現時点で吸収出来るエネルギーの上限値は、推定ですが、約300PJペタジュール私達中国は、戦術高エネルギーレーザーシステムの集中運用により、この数値をクリア出来ると見込んでいます。黒い結晶体に吸収限界以上のエネルギーを維持したレーザーを浴びせ続け、その間に全世界から招集したS級40人により、周辺モンスターを殲滅する。これが、今回我が国が計画している作戦の骨子となります」



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