第312話 F級の僕は、関谷さんから……


6月12日金曜日8



「今から私達とご同行頂けないでしょうか?」


曹悠然ツァオヨウランのその言葉、今から1時間以内にあっちネルガルに戻る必要のある僕には、当然ながら受け入れる事は出来ない。


「すみません。この後、色々予定が詰まっていまして」

「全ての予定を済まされた後……深夜になっても構いませんので、お時間、頂けないでしょうか?」

「すみません」


そして僕は関谷さんに視線を向けた。


「行こうか」


視界の隅、大柄な男が、曹悠然ツァオヨウランに何事かをささやくのが見えた。


「羁押……这个男人吗(ジィヤ……ジョオゴナンレンマ)?」


曹悠然ツァオヨウランが、それを右手で制しながら、言葉を投げかけて来た。


「人類全体の未来に関わる問題です。お話だけでもお聞き頂けないでしょうか?」


人類全体の未来に関わる話、という事は……


「チベットで実施を予定している新しい作戦について、でしょうか?」


曹悠然ツァオヨウランが、少し驚いたような顔になった。


「よくご存じですね? その話、どなたからお聞きになりましたか?」

「すみません。本当に急いでいるので……」


僕は彼女の質問を敢えて無視する形で、関谷さんをうながして車に乗り込んだ。

曹悠然ツァオヨウランと隣に立つ大柄な男は、それを邪魔する素振りは見せず、ただ僕等の様子をじっと見守っている。

僕は助手席側に乗り込み、ドアを閉めようとして……気になる事を聞いてみた。


黒い結晶体第216話への対処法、何か見つけましたか?」


曹悠然ツァオヨウランの目が細くなった。


「你也知道关于黑色的结晶体(ニィイェディダオグアンイホイスダジェジンツ)……」

「? 何ですか?」

「気にしないで下さい。感心しただけです。因みにその問いに対する答え、ですが……」


曹悠然ツァオヨウランの右の口角がわずかに吊り上がった。


「もちろんです。アレへの対処に目途がついたからこそ、こうしてお話を持ちかけています」


僕は思わず息を飲んだ。

あの黒い結晶体は、ティーナさんの言葉第223話を借りれば“エネルギーその他を世界の壁を越えて転移させる事の出来る一種の転移ゲート”だ。

こちら側の攻撃は全てイスディフイに拡散させられ、さらにはあの黒い結晶体自体が、周囲のモンスターに強力なバフを持続的に与え続ける。

結果、こちらの攻撃はモンスターに届かず、モンスターの苛烈な攻撃は、地球側の最強戦力S級達をいともたやすく蹂躙した。


黒い結晶体にどう対処するべきか?


これについては、僕とティーナさんとで相談してみたけれど、いまだに効果的な対処法を見つけ出せずにいる。

中国は、その問いの答えを、本当に見つけ出したというのだろうか?


少し考えた後、僕は言葉を返した。


「とにかく、今は時間がありません。時間が出来次第、ご連絡しますので……」

「明朝7時」

「えっ?」

「明朝7時までにご連絡下さい。明日午前中には日本を離れますので」

「……分かりました」


僕は関谷さんに声を掛けた。


「行こう」


走り出した車内から、背後を確認すると、曹悠然ツァオヨウランと大柄な男が、その場にとどまったまま会話を交わしているのが見えた。

さらに、僕等の車が動き出したタイミングを見計らったように、鈴木のスクーターもまた走り出していた。

僕が前に向き直ると、関谷さんが話しかけて来た。


「さっきの人達って……」

「うん。男のほうは知らないけれど、曹悠然ツァオヨウランって名乗っていた女性は、この前、僕等を事情聴取した中国の情報機関の人だよ」


あの時、関谷さんも同席していた。

当然、曹悠然ツァオヨウランの顔にも見覚えがあるはずだ。


「メッセージがどうとか言っていたけど……」


僕はうなずいた。


「どうやって調べたのかは、分からないんだけどね……」


僕は関谷さんに、チャットアプリを介して届けられた曹悠然ツァオヨウランからのメッセージについて簡単に説明した。


「聞いた話なんだけど、中国は、世界中のフリーのS級達を引き抜こう第259話としているんだってさ。多分、その流れで僕にも声を掛けて来たんじゃ無いかな」


ただし、本当にフリーのS級狙いなら、“均衡調整課の嘱託職員”である僕に声を掛けて来るのは、若干、違和感があるけれど。


「S級……」


関谷さんがつぶやいた。


「どうしたの?」

「ううん。あの……」


関谷さんは口ごもりながら言葉を続けた。


「それじゃあ中村君、今はS級……って事?」


僕のレベルは105。

素のステータスをこの世界地球の尺度で客観的に判定すれば、S級という事になるはず。


「まあ、そうなるのかな」


僕は特に深く考える事も無く、そう言葉を返した。


「それって……その……」


丁度信号待ちで停車した車の中、関谷さんが探るような視線を向けて来た。


「さっきの鈴木さんってコの話じゃ無いけれど……中村君って、何らかの方法でステータスを成長させ続ける事が出来る……って事?」



―――ドクン!



心臓が撥ねた。


「どうしてそう思ったの?」


信号は青になり、車は再び動き出した。


「中村君、前に第112話ファミレスで一緒に食事をした時、“今はA級かな”って……」


あれは桧山を斃した直後、均衡調整課での事情聴取の帰り。

僕は黙ったまま、彼女の言葉の続きを待った。


「あの時、元々F級だったのが、気付いたらA級になっていたって……それに、今、S級になっているって……それって、つまり……」


車はバイク屋に到着した。


「関谷さん、今日はありがとう。また連絡するから」

「あ、中村君、あの……」


追いすがるような関谷さんの声を振り切る形で、僕はドアを開けて外に出た。

彼女に明確な答えを返さなかったのは、つまり僕自身、どこまで説明するべきか判断が付きかねたからだ。

中途半端に説明すれば、単なる自慢話になってしまう。

僕だけが、“選ばれて”経験値を貯めてレベルを上げられるようになった。

僕だけが、“選ばれて”(少なくとも今の所)無限にステータスを向上させる事が出来るようになった。

真似をしたくても、決して誰も真似できない。

“何者かによって選ばれる”前の僕ならば、そんな話を聞かされても、羨望の念しか残らない。


では、完全に全てを話せば?


それはつまり、僕等の世界が、異世界イスディフイに起源を持つエレシュキガルに“攻撃”されている、と伝える事を意味する。

S級のティーナさんならまだしも、C級の関谷さんは、もし僕等の世界が直面している危機的状況を知ったとしても、結局、何も出来ないはずだ。

自分が知らない間に世界が危機的状況にあり、なのに、自分は絶対に何も出来ず、ただ幸運強者或いは運命が世界を救ってくれるのを祈るしか出来ない……

それを関谷さんみたいにいい人に、はっきりと認識させるのって、どれ程の意味があるというのだろうか?



バイク屋の中に入ると、まだ作業中だったらしい店主のおじさんが顔を上げた。


「中村君か。あと10分待ってくれ」

「分かりました。それじゃあ、近くで待っているので、終わったらスマホ鳴らして下さい」

「あいよ」


バイク屋から出ると、関谷さんの車、ベージュ色のワゴンタイプの軽が、まだ停まっていた。

僕に気付いたらしい関谷さんが、車から降りて来た。


「スクーター、まだ直ってなかったの?」

「うん。あと10分待ってくれ、だってさ」


答えながら関谷さんの様子をそっと観察してみたけれど、先程までの会話を気にしている素振りは見られない。


「じゃあ、私の車の中で待てば?」

「そんな、悪いよ」

「いいからいいから。ね?」


彼女のたおやかな微笑みに引き込まれるように、僕は再び彼女の車の助手席へと収まった。

僕はとりあえず、当たり障りのない会話を試みてみた。


「それにしても関谷さんのメイスさばき、なかなかさまになっていてびっくりしたよ」

「ふふふ、おだてても何も出ないわよ? それに今日は相手も格下D級モンスターだったし、中村君が手伝ってくれたから」

「でも関谷さん、どうしてメイスで近接攻撃してみよう、なんて思ったの?」

「それは……」


関谷さんが少し頬を染めながら言葉を繋いだ。


「中村君と一緒にダンジョン攻略する時、私も役に立ちたいなって」

「もう既に色々してくれているじゃない。僕等のダンジョン攻略、事実上マネジメントしてくれているのって、関谷さんだし。それに関谷さんはヒーラーだからいざと言う時の……」


関谷さんが首を横に振りながら、僕の言葉に自分の言葉をかぶせてきた。


「ううん。中村君は強いから、本当は私の助けなんか無くても何でも出来ちゃうと思うけれど……」


少し言葉を区切った後、関谷さんはいつになく饒舌じょうぜつになった。


「どんな形であれ、私は中村君の役に立てる存在であり続けたいの。近接攻撃も出来るようにしておけば、いざという時、自分の身を守る手段が増えるでしょ? それはもしまた中村君と一緒に誰かと戦う事になっても、中村君の負担を減らす事に繋がると思うし、その……とにかく、中村君がまだ私には話せないような色々な事情を抱えていたとしても、私は、やっぱり中村君の傍に居たいの。そのための努力の一環……てトコかな」

「関谷さん……」

「ごめんね。なんかヘンな事、喋っちゃってるけど、気にしないでね」

「全然ヘンじゃ無いよ。それに僕なんかの傍に居たい、なんて言ってもらえるなら、S級並みに強くなった甲斐があったかな」


冗談交じりでそう口にしてから少し後悔した。

これじゃあ暗に、僕がS級並みに強くなったから傍に居たいって言ってくれているんだよね? って念押ししているようなものだ。


関谷さんがポツリと呟いた。


「中村君が何級とか、関係無いから」

「えっ?」

「中村君は何度も私を助けてくれて、私以外の大勢の人達も助けてくれて、そんな中村君を私は……」


関谷さんが、真剣な眼差しを僕に向けてきた。


「私は中村君の事が、す……」



―――ピロリロリン♪ ピロリロリン♪



突然鳴り響いたスマホの着信音が、僕等の会話を中断させた。


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