第306話 F級の僕は、“エレシュキガル”が、滅びを告げるのを聞く


6月12日金曜日2



凄まじい閃光が視界を埋め尽くした次の瞬間、轟音と呼ぶのもおこがましい位の音圧が僕等をなぎ倒した。



―――ヒヒヒーン!



オロバスが悲鳴を上げ、投げ出された僕の体は地面を数回転がった後に、停止した。


「ターリ・ナハ! ララノア!」


痛みをこらえながら起き上がった僕は、二人の名を呼んだ。


「タカシさん、大丈夫です」

「ご主人様……」


二人はすぐ近くで、僕と同じく、やはり地面に投げ出されていたようであった。

しかし幸いなことに、二人に目立った外傷は見当たらない。


「ララノアさんが、咄嗟に魔法障壁を張ってくれたようです」

「す、すみません……相殺……仕切れなくて……」

「二人とも良かった……ララノア、ありがとう。君のお陰で、僕等は大した怪我しなくて済んだみたいだ」


僕の言葉に、ララノアが頬を染めながらうつむいた。

周囲に視線を向けると、僕等と同じようになぎ倒されたと思われる荷馬車が壊れ、地面に伏した人々がうめき声を上げている。


「一体、何が……?」


モエシアの街の方角に視線を向けた僕の目に、衝撃的な光景が飛び込んできた。

城壁が崩れ、街全体が紅蓮の炎に包まれている。

そして吹き上がる炎は黒煙となり、天を焦がしていた。

呆然とそのさまを眺めていると、ララノアが話しかけてきた。


「ご、御主人様……あれは……多分禁呪……早くここを……」

「禁呪?」


混乱する僕に、ターリ・ナハが声を掛けてきた。


「とにかく、このままあの街モエシアに近付くのは危険だと思います。ひとまず、ユーリさん達のもとに戻りませんか?」


だけど今日、僕等はモエシアでクリスさんと落ち合う予定であった。


「ちょっと待って。アリアやクリスさんと連絡取ってみるから」


僕は右耳に『二人の想い(右)』を装着すると、念話を送ってみた。


『アリア……』

『タカシ! 今どこ? もうモエシアに着いたの?』


いつも通り、元気で明るいアリアの念話が返ってきた。


『今クリスさんって傍にいる?』

『いるよ。代わろうか?』

『うん。お願い』


しばらくしてクリスさんからの念話が届いた。


『僕だよ。どうしたの?』

『今、州都モエシアのすぐ近くまで来ているんですが……』


僕は現在進行中の出来事をそのまま伝えた。


『……それでララノアが、禁呪によるものかも、と』

『ララノアって、確か君が引き取った奴隷の子だよね?』


そう言えば、ララノアについては、ゴルジェイさんの戦闘奴隷だった少女を、戦功に対する報酬として下賜された、としか伝えていなかったっけ?


『そうです。彼女は魔法が得意らしくて』


しばらくの沈黙の後、クリスさんから念話が返ってきた。


『モエシアに転移出来るかどうか試してみるよ』

『それは……危なく無いですか?』

『大丈夫。僕は色々身を護るすべを心得ているからね。ちょっとこのまま待っていて』

『分かりました』


言われた通り待つ事数十秒で、再びクリスさんからの念話が届いた。


『どうもまずいね……モエシアへの転移が出来なくなっている』

『転移が出来ない?』


街が破壊されている事と関係しているのだろうか?


『うん。何者かが結界を張っている。それもとても強力な結界だ。モエシアを一撃で壊滅させる禁呪が使用された可能性も考慮すれば、一旦、その場からは離れた方が良いかもしれない』


と、ふいに周囲の雰囲気が一変するのが感じられた。


「タカシさん!」


ターリ・ナハが緊迫した声で上空を指差した。

見上げると、それまで広がっていたはずの青空が、いつの間にか紫に染まっていた。

その紫からにじみ出るように、巨大な、何者かの上半身だけの幻影が、揺らめきながら出現した。

幻影は、茶色のフードを目深にかぶり込んでおり、口元しか見えない。

その口元が動くのが見えた。

同時に、正体不明の女性の声が天空より降り注いだ。



「聞け、ネルガルの民よ。我が名はエレシュキガル。ヒューマンよ、恐怖せよ。汝らの偽りの支配は覆されるから。しいたげられし聖なる民よ、歓喜せよ。汝らこそ、新しい王国の支配者となるのだから。今、我が力をもって、モエシアを滅ぼした。これは始まりの1歩に過ぎない。聖なる民よ、今こそ隷属のくびきを断ち、この大陸よりヒューマンを駆逐するのだ!」



幻影は一方的にそう話すと、現れた時と同じように、溶けるように消えていった。

そして空も元の青さを取り戻した。


『……君、タカシ君!』


クリスさんの念話による呼びかけで、僕は我に返った。


『何かあったのかい?』

『空に幻影が……』


次々と発生する異常な事態に、理解が追い付かない僕は、ようやくそう答えた。


『幻影?』

『今、エレシュキガルと名乗る幻影が現れて、モエシアを滅ぼした、と……』


僕の念話に、クリスさんが息を飲むのが感じられた。


『タカシ君、落ち着いて聞いてくれ。すぐさまそこを離れるんだ。君は確か、モエシア州境を越えてユーリって人の護衛を続ける予定だったんだよね?』

『はい。予定では、今日ターリ・ナハをルーメルに送り届けた後、僕とララノアでユーリさん達を護衛しながら、モエシア州境を北に抜けて、属州リディアの街、トゥマをまず目指す事になっていました』

『トゥマ……ごめんよ。その街には訪れた事が無いから直接転移は出来ない』

『属州リディアでクリスさんが転移してこれそうな街ってありますか?』

『州都リディアには転移可能だけど……ちょっと待って』


十数秒後、再びクリスさんからの念話が続いた。


『僕とアリアとで、今日中に州都リディアに転移するよ。それから僕達は、通常の手段でトゥマに向かう。適時連絡を取り合いながら、トゥマの街で落ち合おう』


クリスさんとの念話を終えた僕は、ターリ・ナハとララノアに、その内容を詳しく伝えた。

僕はターリ・ナハに頭を下げた。


「ごめん。君のその首輪、外してあげられるの、もう少し先になりそうだ」


ターリ・ナハがにっこり微笑んだ。


「構いませんよ。元々、この首輪をめると言い出したのは、私ですから」


とにかく、そうと決まれば、ここに長居は無用だ。

紅蓮の炎と黒煙に包まれる州都モエシアを背に、僕等は今来た道を引き返す事になった。



帰路は、往路とは全く異なる様相を呈していた。

州都モエシアへと向かう人の流れは皆無になっていた。

大勢の人々が、余裕の無い表情をしたまま、州都モエシアから離れる方向へ、急ぎ街道を移動して行く。

彼等の頭上にも、あの幻影が出現したのであろうか?



午前10時過ぎ、僕等は無事、ユーリさん達の待つ野営地へと帰り着いた。

オロバスから降りる僕等のもとに、ユーリさん達が駆け寄ってきた。


「良かった! 無事だったのですね」


僕等の姿を見て、心底安心したような表情を浮かべるユーリさんにたずねてみた。


「もしかして、ユーリさんも空に現れた幻影、見ました?」


ユーリさんが頷いた。


「2時間程前に、天空にエレシュキガルを名乗る幻影が……」


ユーリさんの語ってくれた内容は、奇妙な事に、僕等が目にした幻影と、その細部まで完全に一致していた。

ここから州都モエシアまでは、スクーター並みの速度で走り続ける事の出来るオロバスで、往復4時間掛かった。

つまり、少なくとも数十キロは離れているはず。

あの幻影は、確かに巨大ではあったけれど、それ程の距離を越えてもなお見え、その声が届くものであろうか?


「禁呪クラスの大魔法が使用されたのでしょう。500年前、魔王エレシュキガルは、同様の手法をもって、全世界に滅びの宣告を行ったそうですから」


エレシュキガルによる滅びの宣告……

僕は500年前のあの世界で、ノルン様から聞いた話第149話を思い出した。

それにしても、あのエレシュキガルを名乗った人物は、何者であろうか?

ボリスさんは、『解放者リベルタティス』の首魁が、エレシュキガル、と名乗っていると話していた第292話けれど。


僕は改めて、州都モエシアに何が起こったのかを説明した。

話を聞き終えたユーリさんが口を開いた。


「私が思うに、アレは本物のエレシュキガルでは無く、その名をかたる何者かが、500年前の故事をなぞって見せた、といったところではないでしょうか。いずれにせよ……」


ユーリさんの表情が曇った。


「州都モエシアを一瞬にして滅ぼし、あれほどの大魔法でネルガルに滅びの宣告を行った存在。例え本物では無いとしても、容易ならざる相手である事は確かです」


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