第144話 僕は、異世界を訪れる


5月28日 木曜日3

第1日目――1



…………

……

一体、どれ程の時間、意識を失っていたのであろうか?

永遠にも刹那にも感じられる時の流れの果てに、僕の意識は急速に覚醒した。

目を開けると、いつの間にか、周囲の状況は一変していた。

天空から降り注ぐ陽光。

咲き乱れる色とりどりの花々。

半径50m程の円盤状のその場所は……


まさか、神樹第110層、空中庭園?


少し混乱した僕は、しかしすぐに重要な事を思い出した。


……そうだ、エレンとティーナさんはどうなった!?


慌てて身を起こした僕の目に、すぐかたわらで静かにたたずむ一人の女性の姿が飛び込んできた。

憂いを帯びたような美しく整った顔、ゆったりとした白い衣装から覗くすらりとした手足。

そして背中には、天使を思わせる美しい双翼……

以前ノエミちゃんが行った儀式の中では、物言わぬ石像であったはずのその女性が、口を開いた。


「時間がありません。手短にお話します。あなたは、エレシュキガルによりイスディフイへ召喚されようとしています」

「エレシュキガル? もしかして魔王……」

「そうです。彼女は今一度世界を書き換えようと試みています。異世界の勇者よ、どうかエレシュキガルを止めて下さい。そして……」


翼を持ったその女性の視線の先に、エレンがうつ伏せに倒れていた。

女性はエレンに近付くと、彼女の背中にそっと手を触れた。


「彼女を救ってあげて下さい」


エレンの身体が光の粒子に変化していく。


「エレン!」


僕は咄嗟に彼女の元に駆け寄ろうとした。

次の瞬間、エレンだった光の粒子が、奔流となって僕の中に流れ込んでくるのが感じられた。

同時に、視界が真っ白に塗り潰されていく……

翼の女性の声だけが聞こえてきた。


「正しき選択を……」


…………

……



「……おお! 預言通りだ!」

「勇者様が! 勇者様が降臨された!」


ざわめきが耳を打つ。

僕は、冷たい床の上に倒れている事に気が付いた。

真上には丸いドームのような天井が見える。

と、小さな手が差し伸べられた。


「勇者様、よくぞお越し頂きました」


声の方に顔を向けると、そこには信じられない程美しい、しかし、よく見知った顔があった。

エメラルドグリーンの髪、同じ色の瞳、ピンと立ったエルフ特有の耳、そして透き通るように白い肌。

身に纏うは、繊細な刺繍が施された白っぽいローブ。

確か、光の巫女の正装。


「ノエミちゃん?」


少女は、僕を助け起こしながら微笑んだ。


「お知合いに似た方がいらっしゃいましたでしょうか?」


立ち上がった僕は改めて目の前の少女を眺めてみた。


よく似てはいるが、違う……

ノエミちゃんじゃない。

もちろん、ノエル様でも無い。


少女は一歩下がって、僕にこの世界イスディフイの臣礼を取った。


「勇者様、初めてお目にかかります。私は当代の光の巫女、ノルン=アールヴにございます。そしてここは創世神イシュタル様の統べる世界イスディフイ。あなた様が降臨されるという神託を受け取り、こうしてお待ちしておりました」


僕は状況を確認してみた。

僕の今の格好は、ここへ召喚?される前と変化は無さそうであった。

エレンの衣にバンダナ、腰にはヴェノムの小剣 (風)。

足元には僕の荷物を収めたリュックサックと、魔導電磁投射銃が入ったケース。


周囲を見渡すと、ノルン=アールヴと名乗ったエルフの少女から少し離れた場所で、数人の人々が、やはり僕に対して片膝をつき、臣礼を取っていた。


僕が立っているのは、円形の磨き上げられた大理石のような素材で出来た床の上。

足元には、魔法陣と思われる複雑な幾何学模様が描かれている。

さらにその周囲には、綺麗に手入れされた芝生が広がっていた。


僕の記憶が正しければ、このホールのような場所はアールヴ王宮最奥、神樹の間だ。

しかし、光の巫女の名が、ノルン=アールヴ?

どこかで聞いたような……


あっ!

確か、ノエミちゃんとノエル様のお母さんで、現在のアールヴ神樹王国の女王様の名前がそんな感じだったはず。

まさか……


僕はエレンの衣のフードを脱ぎ、改めてノルン様に話しかけた。


「顔を上げて下さい。少し状況を教えて頂きたいのですが……」


ノルン様が顔を上げた。


「申し訳ございません。勇者様はこの世界に降り立たれたばかり。お疲れでしょうから、まずはお部屋にご案内します。その後、ゆっくりご説明させて頂きますね」


ノルン様が何かを合図すると、僕の周囲に、メイド姿のエルフ達が近付いて来た。

彼女達が僕の荷物を持とうとするのを僕は右手で制した。

そしてインベントリを呼び出すと、そこに全ての荷物を収納した。

その様子を目にした人々が再びどよめいた。

恐らく高官であろうエルフの呟きが耳に入ってきた。


「さすがは勇者殿。亜空間魔法を易々と使いこなしてらっしゃる」


……本当は、状況のよく分らない今、知らない誰かに荷物を持ってもらう不安感がまさっただけなんだけど。



10分後、僕は一人でベッドの上に横たわっていた。

ここはアールヴ王宮の一室、豪華な家具や調度品が並ぶ広く大きな部屋の中だ。

僕をここに案内してくれた女官達の言葉によると、1時間程後で、女王陛下と光の巫女が、この部屋までやって来て、色々説明してくれるという。


それはともかく……

まずは、これがちゃんと“現実”かどうか見極めないと。


「【看破】……」


幻であれば消滅するはずのこの世界は、色せないまま、ただ静かに僕の周りに存在し続けている。

残念ながら、この現実は受け入れざるを得ないようだ。

では、この世界で僕のステータスはどうなっているのだろうか?


「ステータス……」



―――ピロン♪



Lv.84

名前 中村なかむらたかし

称号 {異世界の勇者}

性別 男性

年齢 20歳

筋力 1 (+83)

知恵 1 (+83)

耐久 1 (+83)

魔防 0 (+83)

会心 0 (+83)

回避 0 (+83)

HP 10 (+830)

MP 0 (+83、+8){+∞}

使用可能な魔法 {蟆∫・槭?髮キ}

スキル 【異世界転移】【言語変換】【改竄】【剣術】【格闘術】【威圧】【看破】【影分身】【隠密】【スリ】【弓術】【置換】{転移} {俯瞰} {察知} {浮遊}

装備 ヴェノムの小剣 (風) (攻撃+170)

   エレンのバンダナ (防御+50)

   エレンの衣 (防御+500)

   インベントリの指輪

   月の指輪

効果 1秒ごとにMP1自動回復 (エレンのバンダナ)

   物理ダメージ50%軽減 (エレンの衣)

   魔法ダメージ50%軽減 (エレンの衣)

   MP10%上昇 (月の指輪)



ステータスのいくつかの項目が変化している……


僕はまず、称号{異世界の勇者}に指を触れてみた。



{異世界の勇者}:創世神イシュタルから祝福を受けた異世界人に与えられる称号。モンスターを倒した時得られる獲得経験値が通常の100倍になり、かつ、そのモンスターがドロップするアイテムは100%入手可能となる。



……ん?

別にこの効果は、{異世界の勇者}の称号を獲得する前から僕の身に起こっていた事だ。

今更な感じがするけれど。

そういや、ノエミちゃんが、称号が無いと神樹第110層、創世神イシュタルの空中庭園に入れないと話してたっけ?

この世界に実体を伴う存在として留まり続けているという創世神イシュタル……

やはり、ここに召喚?される直前に空中庭園らしき場所で出会ったあの双翼の女性が、その創世神イシュタルだったのだろうか?


さらに項目を下の方に確認していくと……

『エレンの加護』により加算されていたステータス値が消失している。

『エレンの加護』自体も『効果』の欄から消えている。

エレンはどうなったのだろうか?

最後に見た時は、光の粒子となって消滅……まさか!?


『エレン……』


僕は心の中でエレンの事を想った。

と、“エレン”の声が聞こえた。


『タカシ……』


僕の鼓動が跳ね上がった。


『エレン、生きてたんだね!?』

『……あなたは私をエレンと呼ぶけれど、それが私の名前?』


僕は違和感を抱いた。

声は確かにエレンだけど、何かがおかしい。


『今、君はどこにいるの? ここに転移して来られる?』

『転移? 私は……あなたの中にいる。実体を失った私には、どこかに転移する事は不可能』

『実体を失った? どういう事? まさか……』


死んで魂だけになって、僕に憑依してるとかそういう状態なんじゃ……


再びエレンの声が聞こえて来た。


『実体を失ったけれど、死んではいないはず。死ねば私は消滅する』

『え~と……話が大分見えないんだけど、君はエレンなんだよね?』

『エレン……分からない。私はあいつに記憶と名前を奪われた。だから私は私自身について分からない事が多い。もしかして、私は以前、あなたと出会っていたの? 私達はどんな関係だったの?』


記憶と名前を奪われた?

いつの間に?

昨晩は普通に念話で会話を交わしていたから、その後、何かがエレンに起こった?

それとも、この“エレン”は、実は他人の空似?


『僕の知るエレンはね……』


僕は、エレンとの出会いから最後、富士第一ダンジョンでの念話で会話を交わした昨夜の事まで語って聞かせた。


『……正直、君との最初の出会い方は、僕にとっては余り良い思い出じゃ無いよ。だけど、今では君の事を最も信頼できる仲間の一人だと思っているよ』


返事の代わりに、とても暖かい何かが僕の心を満たしていく。


『だから、僕は君の力になりたい』

『……ありがとう。もしあなたが本当に私を助けてくれるというのなら……あいつを殺して』

『あいつって?』


少し躊躇ためらうような感覚が伝わってきた後、エレンの言葉が返ってきた。


『エレシュキガル。全てを失った私だけど、その名前だけは私の魂にはっきりと刻み込まれている。あいつを殺すのを手伝って』


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