第76話 F級の僕は、地下牢に侵入する


5月20日 水曜日12



僕は、【隠密】状態のまま、エレンにささやきかけた。


「エレン、ちょっとここで待ってて。扉の様子を見て来るよ」


そのまま滑るように前方の扉に向かおうとした僕は、しかし、エレンに右腕をつかまれた。


「待って」

「どうしたの?」

「これあげる」


そう言うと、エレンは、サイコロぐらいの大きさに丸めた茶色の何かを差し出してきた。


「これは……?」


見た目、丸められたエレンの衣にも見えるそれを、僕は広げてみた。

それは、最初の大きさから予想されるよりも遥かに大きな、人一人分位の大きさの袋だった。

エレンの衣と同じ素材で出来ているのかもしれない。


「え~と、なんでこの袋を?」

「獣人の女の子連れ出す時、必要かと思って」

「連れ出……あっ!」


僕は、アク・イールが、ノエミちゃんを拉致しようとしていた時の事を思い出した。

あの時、【隠密】状態のアク・イールが引き摺っていた麻袋もまた、他人からは認識できなくなっていた。

そして、アク・イールが放棄した後の麻袋は、カイスに普通に“認識され”て、中から、ノエミちゃんが助け出された。


「もしかして、【隠密】状態でこの袋を僕が持てば、中に入っている人物も【隠密】状態になる?」

「そう」


なるほど。

それなら、獣人の少女を助け出す事になった場合、この袋の中に入って貰って、僕がそれを抱えれば、誰にも知られずに連れ出す事が出来そうだ。


僕は、エレンの気遣いに感謝の言葉を伝えようとして……ふと、気が付いた。


「エレンは今、僕の姿、見えてる?」

「見えてる」

「そうだよね、見えてないと、こうして普通に会話できないもんね……。ところで、どうしてエレンには今の僕が見えてるの? 何かスキル使ってる?」


【看破】スキルを使用すれば、【隠密】状態の相手を認識する事が可能だ。

ところが、エレンは、僕の予想に反して、首を横に振った。


「使わなくても見える」

「えっ? それって、魔族の特殊能力とか?」

「さぁ……?」


エレンが、小首を傾げて固まってしまった。


そういや、僕は、エレン以外の魔族と会った事が無い。

でも、エレンは、僕と会う時以外は、どこか魔族の村みたいな所で生活しているはず。

機会があれば、エレンに頼んで、エレンの住んでる所に案内してもらおうかな……


それはともかく、今は、地下牢に閉じ込められているという獣人の少女に会うのが一番の目的だ。


「じゃあ、ちょっと行ってくるね」


僕は、エレンから貰った袋を再度丸めてポケットに入れると、改めて、前方に見える頑丈そうな扉に近付いていった。


地下牢への入り口だという扉に近付くにつれ、複数の話し声が聞こえて来た。

どうやら、扉に向かって右脇に、詰め所のような場所があり、話し声は、その中から聞こえてくるようだった。

慎重に近付いた僕は、詰め所の方に視線を向けた。

詰め所は、扉が開け放たれており、中には、看守と思われる衛兵が2名、向き合って腰かけ、談笑していた。

彼等の視線は、地下牢への扉の方には向いていない。


僕は、地下牢への扉にそっと手を触れてみた。

軽く押したり引いたりしてみたが、開かない。

扉をよく見てみると、カギ穴らしきものがついている。

どうやらカギが掛けられているようであった。


カギは、もしかして、詰め所の中かな?


僕は、【隠密】状態を維持したまま、詰め所の中にそっと忍び入った。

2人の衛兵は、僕に気付く事無く、仕事の愚痴やうわさ話に花を咲かせている。


カギはどこだろう?


ざっと見た感じ、壁や机の上に、カギのような物は見当たらなかった。


衛兵が持ってるのかな?


僕は、談笑中の衛兵の一人に忍び寄った。

そして、その衛兵のポケットを探ってみようとして、腰からカギ束が下がっている事に気が付いた。


このカギ束の中に、あの扉のカギもあるかも。

でも、さすがにこれ【スリ】盗ったらバレるんじゃ……


しかし、他に方法が思いつかない僕は、ダメ元で、そのカギ束に手を伸ばした。

次の瞬間、【スリ】のスキルの効果であろうか?

カギ束は、音も立てずに、僕の手の中に移動していた。

腰からカギ束が消えた衛兵は、それに気付く事無く、同僚との話に興じている。

僕は、そっと彼等から離れ、詰め所を出た。

再び地下牢の入り口の扉の所に戻った僕は、扉のカギ穴に、先程スリ盗ったカギを、一つ一つ順番に差し込んでいった。

三つ目のカギを差し込み、捻った時……


―――カチャ……


小さな音と共に、カギ穴が回った。

そっと詰め所の方に顔を向けてみたが、衛兵達は、何かにウケて大笑いしている所だった。

僕は、そのまま小さく扉を開け、素早く中に滑り込んだ。

扉の先は通路になっており、その両側に鉄格子で閉ざされた牢屋が並んでいた。


ここが地下牢……

このどこかに、あの獣人の少女がいるはず!


ホッと一息つきながら扉を後ろ手に閉めようとした時、何者かが、扉の隙間から滑り込んできた。


「!?」


咄嗟に身構えた僕の目の前に現れたのは、エレンだった。

僕は、苦笑しながら話しかけた。


「びっくりしたよ」

「あそこにいつまでも留まっていたら感知される。だから、ここに来た」

「感知?」


ここは王宮。

何か警報システムみたいなのが設置されていてもおかしくない。


僕の言葉に、エレンが頷いた。


「そう。定期的に精霊が巡回している」

「えっ? それって、ノエミちゃんが僕を見張らせてた奴と同じで、目に見えないんだよね? エレンは、もしかしたら見えるの?」

「見える。あなたは、見えない?」

「他の人は分からないけど、少なくとも、僕には、精霊は見えないと思うよ。もし、精霊が近付いてきたら、僕にも教えてね」

「分かった」


なんにせよ、今の状況では、精霊が見えるエレンが一緒なのは心強い。

僕は、ポケットの中から【アク・イールのネックレス】を取り出した。

ネックレスについているロケットペンダントの蓋を開けると、そこには、愛くるしい笑顔を浮かべた獣人の少女が、精緻なタッチで描かれていた。

蓋の裏側には、この世界の記号と文字が刻まれている。


僕は、【アク・イールのネックレス】をポケットに戻すと、通路沿いの鉄格子の中を、一ヵ所ずつチェックして回る事にした。

数m程進んでふと気付くと、エレンがついてきていなかった。

彼女は、地下牢の入り口扉付近にたたずんだままだった。

僕は、エレンの元に戻ってたずねてみた。


「どうしたの?」

「私は、姿を隠したまま移動する事が出来ない。ここで待ってる」


エレンの言葉は、僕にとっては少し意外だった。


「エレンにも出来ない事ってあるんだね」


僕の言葉を聞いたエレンが、驚いたように目を見開いた。


「どうしてそう思うの?」

「だって、好きな場所に転移したり、凄い性能のアイテム、易々と創り出したり出来るでしょ? エレンに出来ない事を探す方が、難しいと言うか……」

「あなたは、私を買いかぶり過ぎ。私は、出来ない事だらけ」

「そんな事はないでしょ」

「あなたに出来て、私に出来ない事ならいっぱいある」


珍しく、エレンが、少し寂しそうにそう口にした。


「例えば?」

「例えば、あいつを……」

「あいつを?」

「……なんでもない」


“あいつ”って、誰だろう?

エレンは、なぜか寂しげな雰囲気のまま黙り込んでしまった。

それ以上その事について質問しそびれた形になった僕は、とりあえず彼女に声を掛けた。


「じゃあ、行ってくる」


彼女が頷くのを確認した僕は、気を取り直して、再び通路の奥へと向かう事にした。


通路の両側には、4畳半ほどの広さの牢屋が、整然と並んでいた。

牢屋の殆どは誰も入っておらず、巡回する看守らしき姿も見当たらない。

【隠密】状態のまま奥に進んで行った僕は、ある牢屋の前で立ち止まった。

鉄格子の向こうに、一人の少女が、僕から見て、向こう側、壁の方を向いて座り込んでいた。

腰ひもで縛られた、粗末な灰色の衣服を着た彼女の頭部には、狼のような耳が生えていた。

首輪が付けられており、それは、牢屋の壁に固定されているようだった。


後ろ姿だけでは分からないけど、もしかして……?


僕は、腰のヴェノムの小剣を抜き、鉄格子をそっと叩いてみた。


―――コーン……


突然の金属音に驚いたのであろう、少女が振り向いた。


年齢は、10代後半であろうか?

腰まで届きそうな長い茶色の髪の毛。

その瞳は、琥珀こはく色に輝いていた。


あのロケットペンダントの中に描かれていた少女が、そこにいた。


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