第64話:立ち上がる者
「あっちを見てごらんなさい!」
両手の塞がったステラに、あっちがどの方向か示すのは難しい。しかし離れた場所で、何ごとか起きたのは分かる。
「れ、連隊長。市民が!」
事態を最初に告げたのは兵士の一人だ。
ビル群の真ん中。中央通りを、大勢の人々が駆けてくる。まだ遠いけれど、手に手に大きなスパナやハンマーを掲げるのが見えた。
前に立ちはだかり、横から手を伸ばし、大佐の残りの部下たちが止めようとしている。銃を使うのも躊躇わない。市民の一人が倒れると、撃った兵士も市民に殴り倒される。
「エナム兵を倒せ!」
「英雄の娘を守れ!」
「メアリ夫人がこの町を救ってくれる!」
近付くにつれ、叫ぶ声もはっきりとしてきた。市民たちは英雄の娘、メアリを旗印に蜂起したのだ。
その数はざっと千人。見えていない人数を加えれば、その数倍にもなる。
「さあ、あんたたちの何倍も居るかしら。一人が一人を撃ったって、あんたたちが先に居なくなるわね!」
突然のことに誰もが言葉を失う中、ステラが正しく現状を指摘する。
兵士たちが持つライフルは、一発しか撃てない。拳銃は六発だが、あの勢いで迫る人の波を止めるのは難しい。
「有力者の家は押さえていたはずなのに。どうしてだ。平民がなぜこんなことをする!」
最も驚いていたのは、カンザス大佐だろう。
まだ距離のあるうちに、一斉射撃でもすれば違っていたかもしれない。だがどうしても現実を受け入れられないで、近付く市民たちと兵士たちとを見比べるばかり。
やがてすぐにメアリを囲む兵士の外を、市民たちが包囲する。
「カンザス大佐! 我々市民は、あなたの支配に歯向かうことを決めた!」
一歩進み出て、慣れた風に宣言をする人物が居た。市民も答えて「おおっ!」と拳を突き上げる。
「お父さま!」
上等の縦縞のスーツ。広くなった額には、人生の年輪が深く刻まれている。腹はおせじにも出っ張りすぎだが、不健康そうではない。
自身を父と呼んだ市長の娘に「無事だったか」と声をかける。ただ視線を向けたのは、ほんの一瞬だ。
笑んではいたが、優しそうとは感じなかった。
「メアリ夫人! メアリ=グラントは無事か!」
また別の男が叫ぶ。こちらは聞き覚えのある声。市長の隣に立つ姿も、不思議と懐かしい想いがする。
「ベン! 私はここです!」
「良かった。あなたも無事だったか!」
商工会の畜産部長。デニスの兄。ベンジャミン=ウォーレンは市長の腕をとって、こちらへ向かってくる。
その後に市民も続き、兵士たちの包囲は崩れた。
「やあ、少佐も無事だったか。こちらは商工会のみんなで兵士を倒してね。市長に事情を話して、この人数が集まったんだ」
「ええ、おかげさまで。来てくれて助かりました。でも」
心情の複雑なロイに代わって礼を言う。けれども無事を喜んでくれたベンに、つらい事実がここにはある。
はっきりと言葉にする勇気がなく、視線を向けた。あれから誰も生死をたしかめてはいない。事実としてあるのは、デニスが動いていないこと。
「あれは――まさか、あそこに倒れているのは」
手に持つ小さなハンマーで、兵士を殴り倒したときのジェスチャーをするベン。武勇伝を語る強気な表情がみるみる崩れ、震え始める。
「ダン! お前、ダンだろう。どうしてこんなことに!?」
信じられないと頭を抱え、ハンマーもその場に落ちる。重そうな足取りを懸命に動かし、ベンはデニスの脇にしゃがみこんだ。
「さてカンザス大佐。武器を捨てるよう、部下に命令を」
悲しみに暮れるさまを横目に、市長はまた一歩前に出る。左右に側近らしい、ロイと同年くらいの男を連れて。
「お父さま。大佐を追い詰めたのは私たちです。いきなりやってきて、知った風に仕切るのはやめてください!」
追い詰められた事実がどちらに向いていたのか。それを置くとしても、いま争うべきではなかった。
カンザスもその部下も、武器を持っている。親娘の争いは、兵士全員を縛ってからでも良いはずだ。
「何をくだらんことを。町の敵を倒そうというのに、誰の手柄とか。そんなことを言っているから、女は駄目なのだ」
やってきた市民たちの中にも、女は居る。二割ほどだろう。市長は見えていないのか、堂々とそんなことを言った。
「そう思うなら、お父さまこそ黙ってください。最初に立ち上がったのはメアリ。田舎町の英雄の娘よ!」
「そうよ、メアリよ!」
「メアリが街を救うのよ!」
市長の娘と、その同士たちが叫ぶ。気圧された市長は、数拍も次の言葉が出ない。
メアリ自身はそんなことなど、どうでも良かった。
優先されるのは、カンザスと兵士たちを無力化し、デニスの治療をする。他にも傷付いた者は、いくらだって居るのだ。
「やかましい!」
醜い争いを前に、正気を取り戻したのはカンザス大佐。興奮で息を切らせながら、拳銃に火を吹かせた。
「ぐぅっ!」
「お父さま!」
市長が地面に膝をつく。腹か胸か、その辺りを押さえて。さすがに娘も非難をやめ、肩を支えた。
「私は極刑を免れんのでな。ここでおとなしくする利などないのだよ。お前たちも同じだ、捕まりたくなければ好きに逃げるがいい!」
軍人としてもあまりに外れた無法な行為。国外に逃亡する当てがあるからこそ、大佐はそうしていた。
それが不可能となれば、兵士たちも同様の運命が待ち受ける。カンザスは最後に、大きな混乱の種を部下に撒き散らした。
「私が死ぬとしても、お前たちだけは道連れになってもらおう!」
「メアリ!」
兵士たちが、手近な市民に銃を向ける。市民たちも殴り返す。騒乱となった中、大佐の銃がメアリに向けられた。
近すぎる。避ける猶予はないが、それでも動こうとした。しかしロイが振り返り、メアリを覆い隠すように倒れ込む。
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